142報告会 その五 太守
「いやだ、ですって?
クーネルさん、あなた……」
思わず出てしまったクーネルの心からの叫びに、真っ先に反応して腰の差料へ手をかけるのはエルシィの近衛フレヤ嬢だ。
「ひっ」
「エルシィ様から直々に信を得て賜った大役に、まさか恐れ多くも異を唱えると……そうおっしゃる?」
先ほどから蒼かったクーネルの顔がますます蒼くなった。
彼も元々軍部の人間なれば、己の武にもそこそこ覚えはある。
とは言え、胸を張って言えるほどの実力が自分にないことは解っているのだ。
所詮、自分は調整型の人間である。それがクーネルの自己評価だった。
対して、先だってのジズ公国侵攻の時、配下だった青年士官がフレヤに首を刈っ斬られるところを見てしまっている。
彼女の実力は本物だ。そう、評価している。
ゆえにフレヤの睨みには恐怖を覚えるのだ。
ただでさえ、こういう時のフレヤと来たら、その目に狂信者らしい正気でない光を湛えているのだ。
「畏れ多くも面倒な……いやいや勿体ない信任を授かり、たいそう光栄ですとも!
ですが太守という大任、私にはいささか荷が重いかと……そういうこと、ね」
「ちっ」
「ほっ」
フレヤはなぜか渋々という態で一寸切った短剣の鯉口を戻し、クーネルは安堵に胸をなでおろした。
「先輩、なに漫才やってんすか」
と、そこへまた場にいないはずの声色がかかる。
これまたスプレンド卿同様にもう一枚の虚空モニターがピャッと現れ、そこに映った若い士官が発した言葉だった。
彼は先の国境市府接収において、スプレンド卿の抜擢によりカタロナ市府へ送られた警士府の士官である。
「あれ、おまえフリアンじゃないか。そんなところで何を……」
「どーもご無沙汰でーす」
振り返ったクーネルがキョトンとした目で見ると、エルシィに対するのとは打って変わっ軽い様子の士官が虚空モニター越しに手を振っていた。
「おや、クーネルさんお知り合いでしたか?」
その様子にエルシィが首をコテンと傾げる。
「ええ、こいつは私の実家の近所にいた悪ガキの一人で……まぁ弟分みたいなもんですか」
「悪ガキは酷いですね。俺が悪ガキならその頭は先輩でしょう」
「というかその『先輩』ってなんだよ……」
職場で幼馴染に合った気まずさから手で顔を覆うクーネルは、そのまましばし思案する。
そうかいつの間にかこいつは警士府に就職してたか。
というかここでエルシィ様に使われているところを見ると、ジズ戦役に従軍してたんだな。気づかなかったわ。
しかし、これは僥倖かもしれん。
そしてクーネルは姿勢を取り繕って小さく咳払いをする。
お仕事モードに切り替えましたよ、という態である。
「エルシィ様? 一つ提案なんですが……」
「なんでしょー?」
「こいつ……フリアンを太守にしてはいかがでしょう。
いち警士ですがスプレンド卿に従ってカタロナ市府を一時ながら治めた手腕は中々だったでしょう?」
いかにも見て来たかのように言うが、そもそもナバラ、カタロナ両市がこうなっていたのを朧気ながらしか知らなかったので、ほぼでっち上げである。
とは言え、フリアンを幼少時から知っているクーネルなら「必ずそうなっているだろう」という確信があって口にした根拠あるでっち上げだった。
果たして、確かにエルシィも彼の言葉に疑問符を浮かべながら頷いた。
「ええ、そう、なるんでしょうかね?」
実際のところ、両市の一時的な行政はスプレンド卿に丸投げしているので、そのスプレンド卿の抜擢を完全に信頼している状態であり、エルシィはフリアンの名前すら把握していなかった。
だが……そう言われてみればそうだったかも。いや、きっとそうなんだ。
そもそもスプレンド卿が抜擢したんだから無能ってことはないだろうし。
と、次第に納得の表情へと変わっていった。
「なるほど、確かにそうですね!」
「え、ちょっと、先輩?
いやいやエルシィ様、クーネル先輩の口車に乗るとか、良くないですそういうの!」
さっきまでクーネルを囃すようなそぶりだったフリアンが慌てだす。
なにせたかだか警士の数人を与る隊長程度の器であることを自負しているフリアンである。
さすがに太守は飛躍し過ぎだろう。
「いやいや大丈夫、おまえならできるよ!
エルシィ様、こいつは昔っから要領がいいやつでして、なんだかんだ言ってうまい具合に物事を処理する能力に長けてるんですわ。
いやー、まさかこんなところで太守に最適な人材に会えるとは、僥倖ですよホント」
「なるほど、クーネルさんの太鼓判であればこれは信用する価値がありますね!」
当のフリアンの心中など置き去りで話が進む。
なにせクーネルにしてみれば自分の人身御供として差し出すのだから、それはもう必死である。
そしてダメ押しとしてもう一言。
「なに、私がフリアンのケツ持ちますんで。
初めは覚束ないこともあるでしょうが、あいつならすぐ慣れて上手いことやります」
そしてこの一言でエルシィの心は決まった。
「わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら大抜擢しちゃいましょー!
フリアンさん、あなたをカタロナ市府の太守に任じます。
辞令は後で書きますが、たった今をもってあなたはカタロナ市府の太守閣下です。おめでとー!」
ぱちぱちぱち、とエルシィが小さな手で拍手をすると、この茶番を見守っていた周囲の者たちも万雷の拍手をもってこの人事を歓迎した。
それは面倒なポストがひとつ、自分以外の人事で埋まったことへの歓迎でもあった。
しばしフリアンが顔をすっかり蒼くし、クーネルの血色が戻ったころ合いをみて、エルシィは拍手を止めさせる。
そしてくりっとクーネルへと視線を向けてこうのたまった。
「というわけで、クーネルさんはナバラ市府の太守に就いてもらいます。
フリアンさんのフォローもお願いしますね!」
「はあぁぁぁぁあ!?」
「おめでとう」
「おめでとう!」
会議室の各所から祝辞の言葉が上がる。
こうして、問題の一つであった国境人事についてはひとまず解決したのであった。
ちなみに最もホッとしたのは現在暫定的にナバラ市府太守代理を務めていたスプレンド卿だったという。
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