140報告会 その三 パンの使い道
「続いて『サーカスとパン作戦』の後半部分の報告をおねがいします」
「はい。これもちょっとずつですが効果が出てきています」
ユスティーナの「効果あり」の結果報告を受けて、エルシィはひとまず安心して頷いた。
頷きつつも、先を促す。
「ふむ、くわしく」
その様子がなんだかいつになく偉そうな口ぶりだったので、周囲の側仕えたちはなんだか妙に可笑しくなって小さく噴き出した。
「なんで笑うんですか!」
「いえ、エルシィ様も立派におなりと思いまして」
キッと睨みつけてみるがいかんせん小さな童女のすることなので迫力が足りない。
それでも「いけないいけない」と嗜んでキャリナがそう答えた。
言葉面だけでも一応褒めてはいるので、エルシィもそれ以上は追及せず、ちょっとだけぶつくさ言いながらユスティーナへと視線を向けなおした。
ユスティーナはこの主従の小芝居が終わったのを見計らい、改めて口を開く。
「ではまず作戦の内容を皆さんに。
この作戦はエルシィ様が先日貧民街の様子を見て思いついたそうです」
「ほう、それはそれは」
つい、そう声を挙げてしまったのは、ちょっと前までその貧民街の指導者的立場であったライネリオである。
旧伯爵家の元殿下として申し分ない優雅さを醸し出しながら、嬉しそうに話へ耳を傾ける。
この御仁を少々面白くなさそうに見るのは、エルシィの実兄カスペル殿下だった。
何も隔意を持つほど話したわけではないが、自分が外遊している間に知らんイケメンが妹の側近になっていたのが気に入らないのだ。
つまりただの焼きモチである。
「簡単に言えば、子供たちにパンをあげて街をお掃除してもらうという作戦です」
先に例に挙げたローマにおける「サーカスとパン」という言葉の中の「パン」とは、何も本当にパンのことを言っているわけではない。
これはつまり食料を支給することを解りやすく述べている言葉である。
実際に支給したのは小麦粉だったらしい。
だが、ここハイラス領における「サーカスとパン」の「パン」とは、そのまま言葉の指す通り「パン」だった。
エルシィのこだわりによって、一般家庭で食べられるモノよりちょっとだけ美味しさが増したと評判の丸パンだ。
この話を聞き、実際に街よりキレイな貧民街を訪れた側仕え衆やライネリオは「うんうん」と納得気味に頷いたが、それ以外の各司府へ出向している幹部たちは「?」という顔だ。
疑問をまず口にしたのは元々この領都の住民であったクーネルだった。
「そうすることの……意味は?」
パンを報酬として子供たちに街の清掃をさせる。
その因果関係は解る。
だがそれをさせる意義というか、そもそもなぜ鎮守府が予算を割いてそのようなことをさせるのか。
そこが理解できなかった。
場合によっては各所の住民に「清掃せよ」と命じれば済むことである。
エルシィは「ふむぅ」と頭をひねりながら席から立った。
どう説明すればいいかな、と考えながらだったので、これは無意識だった。
「たとえばですね? 人気があまりない所に空き家があります」
「?」
突然始まった話に、多くの者は困惑の表情だった。
比較的、エルシィ共に過ごすことの多い者は、なんとなく言いたいことを理解してそっと目を瞑って想像する。
「その空き家にですね、ある日誰かがラクガキをしました。
次の日に見たら別の人の落書きが増え、また次の日にはもっともっとラクガキが増えました。
さて、なんでだと思いますか?」
「……なるほど」
治安維持にかかわる仕事をしているホーテン卿などはこのたとえ話ですぐピンときたようで、感心気に頷く。
「犯罪は誘発される」というたぐいの話なのだろう。
しかし、その奥方である文化畑のクレタ先生などは微妙に首を傾げたままだ。
自分がすぐ解ったので、未だ首をかしげている者の多さを意外に思いつつ、ホーテン卿は自分の思ったことを口にしてみる。
「つまりな、治安の悪いところはさらにガラの悪い者が集まって、もっと治安が悪くなる。という話だな。
姫様、そういうことでありますな?」
「良く出来ましたー。さっすがホーテン卿!」
エルシィはにへっと笑ってパチパチと小さく手を叩く。
この話を聞いて、おぼろげながもそれぞれが理解しつつあるようだった。
「みなさんも最近、とても忙しい日々を送っていると思います。
そんな中、もう今すぐに寝たい! という気分でご自分の家に帰ったら、ゴッチャゴチャで片付けも掃除もしてない部屋だったりしたらどうですか?
心が荒みません?」
「ああ、それは荒みますな……」
エルシィが別の例えをしてみると、今度こそクーネルはしみじみと頷いた。
この例えはとにかく忙しい管理職でありながら独身者でもある彼こそ、心に響いた。
つまりこの「パン作戦」とは犯罪学者ジョージ・ケリング先生が提唱された「割れ窓理論」を元にした実践政策である。
「割れ窓理論」とは何か。
建物の割れた窓を放置すると、その建物を誰も管理していないと認識される。
そうすると、そこは胡乱な者たちが根城にしたり、治安が悪くなる原因となる。
と、簡単に言えばそのような言説だ。
はからずも、近頃ではライネリオの指導により貧民街が小奇麗になり、治安も良くなったという結果があり、側仕え衆には早々に理解された作戦であった。
まぁ、貧民街の治安回復はそれだけではなく、他にも簡単な教育や雇用の確保など、様々な要因があるのだが、そこは今は置いておこう。
さて、そうなって来ると気になってくるのが「貧民街より散らかっている市場や職人街」である。
特に忙しく働く人たちがいる場所なので、こういうところが散らかっていると、やはり人の心は荒みやすい。
そこでエルシィはこの散らかりを清掃させるために指示したのだった。
「さすがエルシィ。これは素晴らしい政策だと思うよ。
母上に報告して本国でも実施したいくらいだ」
「まぁジズ城下はそれほど散らかってませんけどね」
「……確かに!」
と、これは感心したカスペル殿下とエルシィの会話である。
散らかる、というのは一面では、豊かである証拠ともいえる。
散らかるモノがない清貧であれば、そもそも発生しない。
悲しいことにそれがジズ公国の現状でもあった。
おおよその理解が広がった中で、ちょっとまだ腑に落ちない、と言った顔でクーネルが再び疑問を口にした。
「ではなぜそれを子供にやらせたのです? パンまで与えて」
エルシィはキョトンとした顔でこれに答える。
「だって忙しい人に仕事増やしたら怒られるじゃないですか」
ああ、それはそうだ。
とクーネルは大いに頷いた。
彼の仕事を増やしているのが、目の前のお子様であることも含め、しみじみと。
そんな彼の心を知ってか知らずか、エルシィはこう言葉を締めくくった。
「それに……子供はいつだってお腹ペコペコですからね」
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