139報告会 その二 パンとサーカス作戦
「はて……『パンとサーカス作戦』?
そこなユスティーナという童には、噂をばらまく役目を任せていると思っておりましたが、姫様?」
そう不思議そうな顔で首をかしげたのは、ジズ公国一の武芸者にてその名をハイラス領にも轟かせる老騎士ホーテン卿だった。
「ええ、そうですそうです。
ホーテン卿もよくご存じで」
エルシィはにこやかに頷いてから、彼の慧眼を湛えて小さく手を叩く。
彼は軍事畑の人間であり内政にかかわらないので、この話は知らないはずである。
それでもジズ公国では騎士府の長として人を動かす役に長く付いていただけあり、人心掌握については多少心得ているのだ。
よって、エルシィお抱えとなった吟遊詩人のユスティーナが、エルシィの正当性について謳う詩を街で披露していれば、おのずとその任を理解するのだ。
ユスティーナの働きかけで城下に滞在する吟遊詩人たちも同じ動きをしていればなおさらである。
実のところ、最近ではそれらの朗唱は、ホーテン卿の楽しみの一つでもあった。
ところで『パンとサーカス』という言葉は、世界史を学んだことのある方なら聞いたことがあるのではないだろうか。
この言葉の由来は古代ローマ帝国の時代にさかのぼる。
簡単に言えば当時の為政者である皇帝たちは、ローマ市民に食事と娯楽を提供するという政策を行った。という話である。
これだけだと福祉政策のようにも聞こえるが、実はそんな簡単なものではない。
当時のローマ市民は、属州から吸い上げる富によって、多くは労働から解放された状態であった。
そんな暇を持て余した市民が興味を持つのは何かと言えば、ひとつは政治だろう。
だが、為政者からすると民衆が政治に口を出すのはあまり面白い事態ではない。
ゆえに馬車レースや剣闘士などの娯楽を与え、興味の対象をそらす狙いがあった。
食料の提供についても、まぁ同様の狙いがあったのだろう。
それがいわゆる『パンとサーカス』である。
では果たして、ユスティーナが任された作戦とはどうであろうか。
「ではユスティーナ。
まずは皆さんに作戦の大まかな説明と、その経過報告をお願いします」
「はいエルシィ様」
という訳で、ユスティーナは緊張で荒れた呼吸を整えながら話を始める。
「まず最初に『こうほう』?ですか。
これはもうホーテン様もご存じのようですが、つまりエルシィ様が正当にこの国を治める方であると民草に伝えるお仕事です。
これはひとまず大成功と言っていいと思います」
「なるほど、『広報』というのか。
さすが姫様、民衆の面倒くささをよくわかっておられる」
ユスティーナのそんな短い説明を聞き、ホーテン卿は満足そうにうなずいた。
その顔はまるで良く出来た孫娘を自慢するよう表情だった。
民衆の面倒くささ、というか、民衆に不満や不信が溜まるとどうなるか。
つまりは暴動や反乱、最終的な革命の心配である。
これらはエルシィの側仕え衆とは情報政策が始まる時に話していたが、軍務経験者であるホーテン卿やクーネルなどは、おおよそ肌身で理解している。
ゆえに理解も早かった。
ともかくユスティーナの弁によれば、この作戦は成功らしい。
エルシィは満足そうに頷き、彼女の言葉の続きに耳を傾けた。
「特に最新作『電光石火の逆賊うち』はなかなか好評で……」
「ん?」
だが、ここでエルシィは何か重大な齟齬を感じた。
疑問符を浮かべて首をかしげる主君にビクッとしたユスティーナは話を止め、おずおずとその顔色を窺う。
「あ、あの、私、何か間違いましたか?」
「いえ、その……『電光石火の逆賊うち』とは?」
自信無さげなユスティーナと、これまたかすかな不安に眉を八の字にするエルシィの視線が交差し、そして互いに困惑する。
「あれは私も聴きました! 素晴らしい詩です。
ユスティーナ、良くやりました」
困惑頻りの二人をよそに、少々うっとりとした顔でそう称賛するのはエルシィの後ろに控える近衛士フレヤだ。
彼女はユスティーナと孤児院へ行くこともあり、割となかよしでもある。
そんな彼女の賞賛に、ユスティーナは少しホッとして胸をなでおろした。
「ええと、それはどんな詩なのです?」
「先日の悪徳太守の解任と討伐を唄ったものです」
なるほど、ナバラ市府太守アバルカを処断した話ですね。
でもそれが、好評? そんな話だった?
エルシィはちょっと嫌な予感を覚える。
「ちょっとここで唄ってみてもらえますか?」
「? かまいませんよ?」
求められれば歌うことはやぶさかでない。
いくら緊張しいのユスティーナとはいえ、本職の吟遊詩人である。
エルシィ一党の幹部たちが見守る中、彼女は実に堂々と『電光石火の逆賊うち』を唄い上げた。
それは私腹を肥やし悪逆の限りを尽くす悪徳太守を断罪、解任し、逆上して兵を挙げようとするかの者を先回りして処断した。という内容の話であった。
いや、事件としてはおおよそそんな感じではあったのだけど、それぞれの場面がとても劇的に演出されており、例えるなら八代将軍吉宗公を主人公にした時代劇の様な、痛快娯楽活劇に仕上がっていたのだった。
もちろん、各場面にてエルシィが出ずっぱりで大活躍だ。
「なるほど、これが好評ですか。そうでしょうね、そうでしょうとも」
確かに、娯楽作品としてはとても良く出来ていると思ったエルシィだった。
ただでさえ娯楽の少ない民衆にとって、この一大活劇のような詩吟は楽しかろう。
だがその主人公が自分だと思うと、頭痛が抑えられないような感覚に襲われるのも確かだった。
「吟遊詩人の先輩方もノリノリでエルシィ様のことを唄っておいでですよ」
「ノリノリ……でしたか。
もしかして、他の唄もこんな感じで?」
「どれもとても良い出来です」
これにはとてもいい顔でフレヤが返事した。
「……嘘は唄ってないでのすよね?」
「もちろんです。先輩方は伝聞で作っていますので正確性に欠く部分は多少ありますが、おおむね事実です」
なら、良いのかな。
その「おおむね」の部分が不安ではあるけど。
とエルシィはあきらめ顔で気持ちを切り替えていくことにした。
まぁ、ユスティーナの求める内容に沿った唄を演る分には、市民からのおひねり以外に総督府から補助金が支給される仕組みになっている。
そうなればスポンサーにおもねった内容を喜んで演るのは確かにあり得る話である。
とは言え、ここまでご機嫌で演るとは思っていなかったのだ。
特にこの街における吟遊詩人の元締めが、為政者嫌いなユリウス氏だったから。
「そういえば、ユリウス氏はどうされてるのです?」
そうだ、ユリウスだ。
ユスティーナの師匠でもあるかの者が、この状況を黙っているとも思えなかった。
だが、ユスティーナも少し困った様な顔で首を傾げた。
「最近の先生は、何か他にやることがあるそうで、あまり詩吟の活動には顔を出されないのです」
何か不穏なものを感じないでもなかったが、とりあえずこちらの作戦が上手く行っている分には良いだろう、とエルシィはひとまず納得することにした。
ユスティーナの報告が続いてしまった……い、言え予定通りですとも(そもそも予定立ててないけど)
次回の更新は来週の火曜日です




