133行政権の移譲
エルシィがスプレンド卿に対し、具体的にはどのような命を下すか。
顔を伏せながらも興味津々な太守たちの思いをよそに、エルシィはスプレンド卿との話を進める。
「これが命令書です。無くさないでくださいね?
では早速、飛んでもらいましょうか」
「は! お任せあれ」
このやり取りを太守たちは「なるほど、疾く行け、ということか」と解釈した。
いささか具体性に欠ける指示ではあるが、考えても見ればまだこの地にやって来たばかりの総督閣下より、もともと将軍職を務めていたスプレンド卿の方が地理をよく把握しているだろう。
ならば、その辺りは「首尾よくやれ」と任せてしまった方が良いという判断なのだろう、と。
幼いながらに、なかなか器もあるようだ。
などと太守たちはエルシィを見定めた。
……気になっていた。
だが、ここからは彼らの予想というか、想像の範疇を越えていた。
ナバラ市府へ向かうスプレンド卿と、カタロナ市府へ向かう士官が、それぞれエルシィより恭しく命令書を受け取り書筒にしまう。
これは彼らへの命令書ではなく、あくまでそれぞれの市府にいる役人たちへ向けたものだ。
簡単に言えば「太守が解任されたので、ひとまず新伯爵であるエルシィの代理人に従いなさい」という内容だ。
ちゃんと伯爵印を押した正式な物である。
そうして言葉を交わすや否や、エルシィはキャリナが恭しく差し出した錫杖を受け取って、虚空に向けてくるりと小さく振るう。
「『ピクトゥーラ』!」
すると、何もなかった宙に横長の四角い光が現れた。
現れ、眩かった白い光が萎んでいくと、そこにはどこかの街の風景が映し出される。
「こ、これは……」
太守たちが呻くように呟いた。
そう、そこに映し出された風景。
それはまさしく、今アバルカが急ぎ戻ろうとしているナバラ市府の情景だった。
「ではでは、スプレンド卿とあと一〇人ほど……『とんでけー』」
ぱぱぱと錫杖で肩を叩き画面へ向かって振るうと、彼らが消え去り、そして画面の向こうに現れた。
「もひとつ『ピクトゥーラ』!」
続けてエルシィは別の画面を宙に浮かび上がらせる。
こちらに映し出されるのは、やはり太守たちにはご存じのカタロナ市府だ。
「こっちはあなたたちですね。……『とんでけー』」
と、残った一〇名の肩を錫杖で軽く叩いて画面へ向ける。
すると彼らもまた、一瞬でカタロナ市府へと飛んで行った。
「まさかこんなことが……どちらも早馬で四、五日はかかるのだぞ」
驚愕に声を上げる太守たち。
だがエルシィは無言でニコッと笑顔を向けるだけで、すぐに視線を画面へと戻した。
画面の向こうでは、送られたスプレンド卿たちが早速行動を開始している。
「ではみなさん、ちょっとだけ一緒に様子を見守りましょうか」
誰に向けての言葉か。
だがそんなエルシィの言葉を、太守たちも、そして新たに召し上げられたライネリオも、画面に映された光景に夢中で聞いてはいなかった。
ナバラ市府はセルテ侯国との国境に近い位置にある都市である。
ゆえに、防衛を意識した高い街壁に囲まれている。
とは言え、セルテ侯国とハイラス伯国が争っていたのははるか昔のことであり、今では街壁などあまり役を成していない。
なぜなら、人口のほとんどはその街壁の外側に住んでいるからだ。
ナバラ市府は裕福層や役人たちが住まう街壁内の旧町と、中流から下層まであらゆる市民が住む街壁外の新町に分かれるのだ。
新町側は街壁もないので大まかな縄張りがされているだけで、出入りも比較的自由であるが、旧町はさすがに門を通らなければ入ることが出来ない。
その門には、当然、出入りをチェックする街壁番の警士たちが詰めていた。
彼らはそこで不届きモノがいないか、異変がないかなどを警戒するために内外を常に監視している。
……しているのだが、その日は唐突に、信じられない異変が街壁の内側に現れた。
数人の警士が見ている中、門内すぐのところに設えられている広場。
そこに武装した何者かが数人、こつ然と現れたのだ。
唖然として見守る警士たち。
だが偶々そのうちの一人がいち早く再起動を果たして、すぐに立てかけてあった槍を担いで誰何した。
「何者だ! 誰の許可あって、どうやって門を通った!」
彼の問いかけはまったくもって職務に忠実で正当なものであった。
そんな彼の言葉を耳に入れ、他の警士たちもハッとして動き出す。
一人だけ、報告の為か街壁の方へ走り、あとの者が現れた一団を取り囲む。
取り囲み、改めてよく見れば妙である。
その一団、細かい部分は違うが、おおよその装備が自分たちハイラス伯国警士と同じなのだ。
そして一人、リーダーと思わしき騎士風体の男。
これもまた何やら見覚えがあった。
だが、彼がその男を思い出すより早く、その男が動き出した。
「元将軍府の長、ラット・スプレンドである!
今日は伯爵閣下の命により罷り越した。
上意である!」
騎士風体の男……スプレンド卿はそう言ってほんのつい先ほど仕舞ったばかりの命令書を書筒から取り出し、蝋封を切って広げた。
「ナバラ市府において太守を任されていたアバルカはその職を罷免された。
新たな太守が赴任するまで、この私が代行を務める。
伯爵領の臣はその忠誠を示し、速やかにこちらの命に従うように!」
いきなりそんなこと言われても、ナバラ市府の警士たちには何が何やらである。
が、スプレンド卿の顔には確かに見覚えがあったし、何より彼が広げて見せた命令書には確かに正式な伯爵印が押されていた。
彼ら警士はいわば伯国の公務員なので、この命に従わないという道はない。
「ははっ!」
警士たちは事情を飲み込むより早く、スプレンド卿の前に跪いた。
ところが、である。
その一幕に一歩遅れてやって来た騎士風体の男、おそらく警士たちを統括する立場の騎士なのだろう
その男が、怪訝そうな顔であたりを見回し、そしてドヤした。
「貴様ら何をやっておるか! とっとと仕事に戻れ!」
いつもならこれで、仕事をさぼっている警士たちが慌てて戻り解決、というところである。
だが、彼にとって不運なことに、その日は何もかもが非常時過ぎた。
「あ? 何だお前、何をやっている?」
騎士男がスプレンド卿に気付いて、威圧的に声をかける。
しかし、もう一度言うが不運なことに相手が悪かった。
スプレンド卿は小さくため息をつきながら、掲げたままの命令書の内容をもう一度告げる。
「アバルカは太守職を罷免された。
貴君らは伯爵の代理として赴いた私の命に、疾く従いたまえ」
「は? アバルカ様が? 何を言ってるんだお前? そんなことに従えるか阿呆め!」
度々いうが不運なことに、彼は頭も悪かった。
騎士に叙任されるのは強さだけではなく、その品性や知識も精査されるはずだが、どうやら彼にはなぜかそれが適用されなかったようだ。
あるいは正式な騎士ではないのか。
ただ、彼にとっては幸か不幸か、その謎を解明することは必要とされなかった。
まるで風が吹き抜けるような、そんな一太刀が走った。
スプレンド卿が携えていた大剣を一息に引き抜き、そして振り下ろしたのだ。
不運な騎士はその一振りで頭から股まで一刀のもとに両断された。
「阿呆はどっちだ。
この伯爵領内においてエルシィ様の命に従わぬどころか反逆の意を示すとは。
お前たちも見たな!
このことを各司府へ伝え、アバルカからの指示で動いているすべての命令を一時停止せよ」
こうしてナバラ市府の行政は、アバルカ解任から一時間もしないうちにスプレンド卿へと渡った。
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