132させませんよ?
アバルカはいろいろと自分の動かせるはずの兵権を計算し、さらにはそこに隣のカタロナ市府を計上する。
自分が伯爵陛下よりまかされているナバラ市府だけでも兵数は領都を上回るだろうが、拠点を攻めるには数倍の兵力がいると聞く。
なら親族のギフルと共にカタロナ市府の兵もあげればよい。
なに、我らが市府は国境にある。
いざとなれば隣国へ退避されたヴァイセル様と呼応して、セルテ侯国兵も引き入れればよい。
アバルカは顔を真っ赤にしてエルシィへと怒りを向けつつも、そう企みに思考を回転させる。
無能に見えるアバルカではあるが、それでも要衝を任される人物であるのでそれなりの服芸は出来るのだ。
今に見ていろよ。
そのすました面にわからせてやるぞ。
なんて、考えてるんでしょうねぇ。
ふぐちょうちんのようなアバルカを眺めながら、エルシィはため息を吐く。
「ふん、解任と言われるならもうここにいる理由もない。
失礼する。
ほらギフルも来い」
「は、はいぃ、失礼いたします」
そう吐き捨てながら去っていく二人の背を見送りながら、エルシィは誰にも聞こえない小声でつぶやいた。
ま、当然、そんなことはさせませんけどね?
「伯爵陛下」
と、そんな一幕が終えたところで、厳格そうな初老のバニシア市府太守フンカルが手を上げる。
発言の許可を求めているのだろう。
勝手に話しださないあたり、一応敬意というか形式は守るという強い意志が見られ、好感が持てる。
エルシィはそう感想を抱きつつ、発言許可を出す前にひとこと断りを入れる。
「あ、その『陛下』ってやつですけど、今後はやめてくださいね。
この旧ハイラス伯国領はジズ公国に編入されたので、現状でトップであるわたくしは『陛下』ではないのです」
『陛下』と言う敬称は、あくまで「国内に並び立つ者がいない至上の存在」に対するモノである。
ゆえに、すでにジズ公国に編入されたこのハイラス伯国改めハイラス領では『陛下』と言えばジズ大公ヨルディス陛下のことになるのだ。
「ふむ、承知いたしました閣下」
「はい。では発言をどうぞフンカルさん」
「では……閣下、あの者をあのまま放逐してよろしいのですか?」
反逆の意を抱いているように見えた。
そこまで出かかったが、下手に具体的なことを述べてしまえばそれは自分の身に降りかかることもある。
フンカルはまだ未知数なこの総督閣下を警戒しつつ、短く問いかけるにとどめた。
まだ様子見であるからこそ、その手腕や考えを知りたい。
という思惑もあった。
エルシィは「なんだそんなこと」と他愛もないことを言われたかのような気の抜けた表情で肩をすくめて見せる。
「なるほどフンカルさん。ご心配ありがとうございます。
その心根は嬉しく思います。
ま、その答えについては、ちょっとお待ちください。先に片付けちゃいたいことがありますので」
そう断り、また謁見の広間の隅に控えた申し次の小者に合図を送った。
小者はパッと広間を辞すると、次の間に控えていたと思われる者たちを迎え入れる。
それは旧ハイラス伯国において将軍職にあった老美丈夫、スプレンド卿だった。
そのスプレンド卿に付き従うように、およそ二〇人ほどの警士が付き従っている。
警士、と言っても市内を巡回している下っ端とはその装いが違う。
おそらく元将軍府に重用されるような選りすぐりなのだろう。
「お召しにより参上いたしました。エルシィ様」
そして彼らは今、エルシィに忠誠を誓う家臣でもある。
スプレンド卿はこのハイラスの民においては絶大の人気を誇る、シンボルの様な人物であったから、そこに跪く太守たちも当然見知っていた。
その旧国の英雄が、何の憂いもないどころか心から従うような素振りでエルシィに首を垂れる様を見て、彼らは驚きに息をのんだ。
『ああ、ハイラス伯国は滅び、新たな君主を迎えて生まれ変わったのだ』と、頭だけでなく実感を伴って理解したのだ。
「さてスプレンド卿。
だいたい予想通りになってます。
この後は手筈通りに」
「承知」
エルシィがニコッと微笑みかけると、スプレンド卿もまたニヤリと見返して応える。
このやり取りで、両者においてはすでにアバルカのことなど織り込み済みだというのが判る。
太守たちは「するとすぐアバルカを追いかけさせて処断するつもりか」と背筋にいやな汗をかいた。
「いえいえ、まだアバルカさんは何もしてませんから、わたくしも何もしませんよ?
そんな暴君ではありません」
彼らの顔色を読んでエルシィは手を振る。
太守たちはギョッとしてエルシィをまじまじと見つめた。
彼らも太守という地位にあり、様々な人間と折衝交渉を行ってきた人間である。
ゆえに、顔色や考えの読み合いという行為は慣れたものだ。
だが、まさか年端も行かぬ幼児に読まれるとは、思いもしていなかったのだ。
さすがこの歳で一国を任されるだけはあるということか。
フンカルは表情を引き締めて事の推移を黙って眺めることにした。
「というかスプレンド卿、それだけでよろしいのです?」
太守たちはさておき、エルシィは改めてスプレンド卿とその配下を見渡した。
先にも述べたが、その兵数、たったの二〇余というところである。
この後下命する任にはちょっと少なすぎやしないか?
という懸念にエルシィはこてんと首を傾げた。
だがスプレンド卿は自信ありげに頷き、そして配下の二〇人へ目を向ける。
「ご安心ください。どの者も選りすぐりです。
それに、向こうにいる兵はそもそも太守のモノではありませんからね。
正式な命令書を出したなら、おおよそこちらに従いましょう」
「なるほど。なら安心ですね」
エルシィも納得して頷いた。
このやり取りを見て、太守たちもある程度納得した。
なるほど、スプレンド卿たちを早馬で行かせ、アバルカたちより先に市府をおさえてしまおう、という魂胆か。と。
だがそこに懸念もある。
果たして彼らはアバルカより先に市府へ着けるだろうか、ということだ。
当然、軍の人間として彼らは馬の扱いにもたけているだろうし、早駆けもお手の物だろう。
しかしアバルカも必死である。
一刻も早く市府に戻って兵を掌握してこの領都へ攻め上がりたいだろう。
これは競争だな。
と、すまし顔のビブル市太守セドニンなどは、少し不謹慎ながら面白そうだという顔で肩を揺らした。
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