131太守解任
辺境伯という言葉をご存じだろうか。
ヨーロッパにおける貴族階級の一つであり、その名の通り「辺境に領土を持つ高位の貴族」のことだ。
辺境と言えば国の中心から見てずっと隅の方、という意味だが、回りがすべて海の島国である日本だとどうにも「追いやられた田舎者」という感想を持つ人が多いようだ。
だがよく考えて欲しい。
ヨーロッパの様な他国と地続きの大陸国において、辺境とは国境地帯なのである。
隣国と言うのは何かと利害が衝突する間柄になるので、必然として国境地帯では紛争が起こりがちだ。
これは外交に携わる者がよっぽど優秀であったり、首長同士が親類縁者であったりする場合でも、紛争がまったくなくなるわけではないのが頭の痛いところである。
ではそんな辺境を任せられる人物とはどういう者だろう。
それは国の首長から大きな信頼を寄せられる人物だ。
血縁主義の君主制国家においては、それは累代の宿老であったり、あるいは血族が任される。
国境地帯なので、当然大きな軍権も必要となる。
ゆえに隣国に寝返る可能性が低く、また大きな軍権を持たせても中央に攻め入る心配の無い者である。
つまり、だ。
「あなた方がナバラ市府やカタロナ市府のような要衝の太守を任されていたのは、ひとえに、旧伯爵家の親類だったからという訳なのです」
エルシィはいろいろ解っていない二人の太守に、上記にあるような説明を懇切丁寧に述べ上げた。
さながら、出来の悪い生徒に言い聞かせるように。
「さすが、さすがエルシィ様。
あのような愚物にでもわかるように尽力なさるなんて」
フレヤなどはそんなエルシィの雄姿をうっとりと見つめている。
その信仰心にも似た何かを眺めて、いつものことながら呆れるしか無いのがキャリナだった。
さて、そんな説明を聞きながら、徐々に理解が及んで蒼ざめて来たのはヤセぽちのカタロナ市府太守ギフルだ。
この男はアバルカの腰ぎんちゃくなので、人の顔色を見る芸に多少長けている。
だからやっとではあるが、エルシィの言いたいことが理解できたのだ。
だが、旧伯爵家の親類ゆえに持ち上げられ、常にその肩書を振りかざして生きて来たアバルカはいまいち理解できていないようだった。
「ふむ、つまり今後もナバラ市府やカタロナ市府のような重要都市を任せられるのは、伯爵家の血を引く我らしかいない。
そうおっしゃるのですな」
それどころか、なんだか気を良くした様子だった。
え、これだけ丁寧に言っても解んないの?
エルシィは少しばかりの驚きに目を見開く。
世界は広い。
いやいや、思わず遠い目をしてしまったが、なにもそこまで対象を広げなくともいいだろう。
人の話を、どうあっても自分の都合の良い様に曲解する者と言うのは、どんな社会にでもいるものだ。
こういう人物に解らせるにはどうしたらいいか。
それはもう、結論をハッキリ突き付けてやるしかない。
と、そこへフレヤがにこやかに短剣の鯉口辺りを撫でながらぼとっと囁く。
「エルシィ様、斬りますか?」
「……そこまでしなくてもいいんじゃないですかね?」
後顧の憂いを無くすには確かにフレアの言う通り処断してしまう方が良いだろう。
だが、まだアバルカには「伯爵家の血縁である」という以上の罪が無い。
いや、その気になれば「現伯爵に対する不敬罪」で処してしまってもいいのだが、さすがに現役の太守をそんな理由で物理的に斬っては、今後の治世にも影響するだろう。
なのでもう少し甘い対応で済ませることにする。
とは言え、処する前に解らせるのが先である。
「伯爵家の血を引く、とおっしゃるけど、今の伯爵はわたくしですよ?
つまりあなたは赤の他人なのです」
こう言われて、ようやくエルシィの言いたいことを理解した様で、アバルカは怒りか羞恥か顔を真っ赤にする。
「ななな、なんと。
しかしこれまでナバラ市府を治めて来た私の力がなければ……」
だが、まだしつこく食い下がるアバルカだった。
まぁ、悠々自適な好き放題人生が急になくなるという宣告に他ならないので、それはもう必死にならざるを得ないだろう。
しかしエルシィは無慈悲である。
「いえ、結構です。いりません」
「しかし、伯爵の血が……」
「ですから、今の伯爵はわたくしなんですって。
それに、もし、万が一に旧伯爵家のご家中が必要になったとしても、それはあなたじゃなくてもいいのです」
「は? いやしかし、ヴェイセル様はすでに……」
畳みかけるように言葉で追い詰めるエルシィに、アバルカは戸惑いつつ問い返す。
彼がよって立つ旧伯爵家の血筋さえ、今、否定されつつあった。
「だって、ねぇ?」
あまり追い詰めると反発が嫌だなぁ、と曖昧に困った顔でエルシィは周囲を見回し、そして合図をする。
するとその指示を受けた若い男が謁見の広間にゆっくり歩み入ってきて、太守たちを追い越し、そしてエルシィの付く玉座の傍らに立った。
ゆったりとした古の文官服に孔雀の羽を束ねた扇を持ったその人物を見て、アバルガを始めとした太守たち息をのんだ。
「ライネリオ殿下!」
ギフルが悲鳴に似た声を上げる。
「そ、そうか、ライネリオ殿下が貴様を引き入れたのだな!?」
アバルカは「すべてなぞは解けた」と言わんばかりに見当違いのことを言いだした。
エルシィはもう面倒になって大きなため息を吐く。
「まぁ、という訳なんで旧伯爵家の血とやらは間に合ってますので。
アバルカさんとギフルさんは太守を解任いたします。
この領都にある屋敷と財産の所有はお認めしますので、余生をお楽しみください。
あ、ご希望であれば官僚は不足してますので、読み書き計算ができる人材は歓迎しますよ」
ギフルはさらに顔を蒼くし、アバルガはもう熟したトマトのように真っ赤だった。
「かくなる上は……」
アバルガは呟き今までの人生のうち最も早く脳を回転させる。
こんな暴挙が許せるものか。
こうなれば急ぎナバラ市府へ戻り、軍を率いて攻め上がってやる。
国境の市府の軍権を任される太守を甘く見るなよ。
ギフルのカタロナ市府も合わせれば、領都の騎士や警士の倍は集まろう。
そしてこの小娘を排除すれば、次期伯爵は私のものだ。
アバルカはひそやかに顔を伏せたままに獰猛な笑みを浮かべた。
ライネリオ「ところでエルシィ様、服はともかくこの扇は?」
エルシィ「うん、なんか似合いそうだなーって思いまして」
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