130それぞれのポリシー ※三国白地図掲載
ナバラ市府太守アバルカが態度に示すように「お前の様な小娘にはハイラス伯領を治めるのは無理だから、仕方ないが手を貸してやろう」という、いかにも尊大でこちらを馬鹿にした様子に賛同する者がいかほどいるだろうか。
実のところあらかじめクーネルやスプレンド卿、またはエルシィの家臣となったハイラス兵たちから太守の情報は集めていたので、エルシィにはおおよその予想はついていた。
その上でニヨニヨしながら太守たちを眺めているのだから、幾分趣味が悪いと言わざるを得ない。
とは言え、すでにアバルカの態度に腹を据えかねている側仕え衆たちはそれを咎める気もない。
そして、それからたっぷり一〇秒ほどの時間が経過する。
謁見の広間はシンと静まり返り、アバルカは皆が賛同すると信じて疑わず、エルシィは反応の鈍さに困惑し始めた。
その中で颯爽と立ち上がるのはカタロナ市府太守ギフル。
ガリガリに痩せたひょろ長い男だ。
「アバルカ様の言うことももっともであります。
伯爵とはすなわち神より与えられし支配者の称号。
それを追い出したからと言ってこの土地を治められるわけではないでしょう。
ですが心配召されるな。
私もまた、アバルカさまと同じく伯爵の血を引く者にございます。
我々を引き立てて損はございますまい」
ギフルがフフンと鼻で息を吐きながら恭しくのたまった。
もちろんこれも慇懃無礼と言う奴だ。
エルシィはこれらの言い分にホトホト呆れかえった。
彼らの認識は神授について正しい知識がなければ、ある程度は仕方ないと言えよう。
しかし、一般に知られる歴史を学んでさえいれば、この認識の矛盾に気づくことが出来るはずだ。
王侯貴族の地位が神より授けられた、というのは確かである。
だが、その神授の王権、つまり旧レビア王家を追放してそれぞれ独立したのがハイラス伯国であり、またヴァイセルが逃げ込んだセルテ侯国であり、その他もろもろの旧レビア王国文化圏の国々なのだ。
自分たちが神授の上位存在を追い落とした歴史を持つくせに、自分たちは逆に追い落とせるわけがないなどと、よくもまぁ言えたものだ。
エルシィは呆れのあまりその瞳を白眼化させつつ、他の太守たちの反応を見た。
こいつら何も解ってねぇ!
さて、そう思ったのはエルシィだけではなかった。
すっかり険悪な空気に満たされた広間で一念発起の思いで立ち上がったのは、オドオドした中年太守イブンであった。
彼はアバルカたちのような旧伯爵家に連なる者ではない。
ゆえに神授については彼らよりもさらに詳しくない身であるが、その分、エルシィがここにいる経緯を他の太守より深く知っていた。
なぜなら、彼が任されているザクロフ市は他の市府と比べて最もハイラス領都に近かったからだ。
またザクロフ市はハイラス領においておおよそ中央付近に位置し、交通の要所であり、様々な情報が行き来する場所でもある。
元来臆病者であるイブンは、その性質ゆえにもちろん、自分の保身を第一とするため情報を重視するのだ。
つまり、繰り返しになるが、彼は旧伯爵を継いだばかりだったヴァイセルがジズ公国へ侵攻し、逆侵攻にあって今に至り、そしてエルシィが旧伯爵家の支配に比べて善良な統治を行っており大層評判が良い、などというところまで知っている。
また、この潮流に逆らうは、己が身を滅ぼすことになると感じていた。
ここはひとつ、大技を繰り出す必要がある。
そしてこの場の険悪な雰囲気からこの身だけでも逃れなければならない。
そうした一大決心の元、イブンは意を決して立ち上がったのだ。
「エルシィ様! アバルカ殿の言葉は我ら太守衆の総意ではありません!
おおお、お間違いなきようお願いいひしますぅ!」
イブンはそう言い、後方へと飛び退りながらひれ伏した。
バックダッシュ・ジャンピング土下座が決まった瞬間である。
ほほう、鮮やかな!
エルシィはかの者の御業に感心し小さく拍手しようとして、さすがにキャリナから止められた。
そしてかの素晴らしい土下座で一瞬忘れた、いや忘れたかったアバルカのことを思い出す。
ため息一つ吐き、エルシィは玉座に腰を下ろす。
「イブン殿。なるほどあなたの意は心得ました。
他の方たちはいかがです?」
エルシィに認められ、土下座姿勢のままにほーっと長い息を吐くイブンだった。
さらに、エルシィに促されて続き発言したのはバニシア市府太守フンカルだ。
フンカルは、おそらくこの場にいる太守たちの中で最年長だろう初老の男である。
厳めしい表情で顔を上げ、そして口を開いた。
「畏れながら申し上げましょう。
私は主君より言い渡された任を全うするのみです。
ゆえに、新たな主君がエルシィ様であれば、それに異を唱えるモノではありません」
静かに、それでいて信念に裏付けられたような重い言葉に感じた。
それもそのはず、彼の言はそのまま彼のポリシーであったからだ。
自分は所詮、市府の運営を主君より任された代官でしかない。
主君より解任されれば、ただ少しばかり裕福な平民でしかない。
常々そう考えながら職務を全うしてきた。
そんな彼からすれば、逆に任された土地さえ平安に治められれば、お上がどうあれ関係無いのだ。
その次に発言するのはビブル市太守セドニンだ。
彼はフンカルとは逆に太守勢の中で最も若い。
若いが、何か飄々とした雰囲気を纏った男である。
だからこそ、油断ならないとエルシィなどは考える。
「フンカル殿の言う通り、我ら太守は所詮は主君様より任命された代官。
いうなればお役人でしか無いのですよ。
以前の伯爵様のご親戚であるアバルカ殿たちとは、少々立場が違いますな」
これは一種、謙った様な物言いであるが、ハッキリと「我々は違うよ」と線引きしたに他ならない。
これらの意見を聞いてエルシィは「さもありなん」と深く頷き、逆にアバルカとギフルはまるではしごを外されたかの如く狼狽した。
さて、裁定の時は来ました。
解任するのは二人で済んで、ホント良かった。
ただでさえ人手不足なんだしね。
そう思いつつも、かの二人が治める地の重要度を考えると、これで良かったとも思うエルシィだった。
市と市府の違いは規模や重要度によります
次回更新は金曜日です




