129太守たち
太守らの名前や街の名前は無理に憶えなくてもいいと思います
農村でパエリアを堪能したエルシィは翌日からまた忙しいお仕事の日々に復帰するのである。
という訳でその日、朝一番の仕事は謁見であった。
何者との謁見かと言えば、旧ハイラス伯国においても重鎮だったと言えるだろうこの者たちだ。
「ナバラ市府太守アバルカでございます」
ハイラス領主城の謁見広間において、跪いた五人の男たちの中からでぷんとした体形の初老の男が代表面して恭しく名乗った。
恭しく、とは言え、その端々に見える仕草や厭らしく歪んだ口元を見る限りは、これっぽちもの尊王の意は汲み取れない。
こういうのを慇懃と言うのだなぁ。
と、エルシィは半ば呆れつつ、半ば感心しつつ小さく頷いた。
「他の方たちもどうぞ名をお聞かせください」
エルシィは静かにそう促す。
「バニシア市府太守フンカルにてございます」
「ビブル太守セドニンです」
「ザクロフ市太守イブンであります」
続けて名乗った三人は歳のほどは違うが、アバルカとは違いどれもエルシィを馬鹿にした様子はない。
それぞれ気難しそうな初老の男、若いが隙の無いすまし顔の男、そしてオドオドした中年男、というところだろう。
そして最後にもう一人が名乗る。
「カタロナ市府太守ギフルでございます」
これまたアバルカとよく似た厭らしい顔の男だ。
違うのは年齢が幾らか若いのと、アバルカとは対照的に酷くヤセぽちであるということだろうか。
だが、顔の造形がよく似ているので血縁なのかもしれないな、とエルシィは少し面白そうに二人を眺めた。
どっちもこの場に望んで、エルシィに対する嘲りを抱いているように見受けられる。
はてさて今日のお話にこの二人はどう反応しますかね?
エルシィはそれと判らぬよう、小さく肩をすくめた。
ナバラ市府太守アバルカは他の者たちが名乗る間、伏せた頭を少しだけ起こして玉座に付くエルシィを覗き見る。
ふん、話には聞いていたが本当に小さいな。
こんなのでハイラス伯が務まるわけがあるまいに。
どれ、ここは色々と難癖付けてワシの地位向上に利用してやろう。
あわよくば宰相の地位にでもついてやってもいいしな。
そうすればこの国は実質ワシのモノよ。
そう、ほくそ笑みながら考えているうちにそれぞれの名乗りは終わったようで、エルシィの目が再びアバルカへと向いた。
ほんの一瞬であったが、その目は突き刺すような、彼の心を見通すような、そんな冷たく恐ろしい何かを想像させるものであった。
アバルカは背筋に震えを感じたが、すぐに気のせいと振り払う。
そして次にエルシィが目を向けた先を追って、またニヤリと笑った。
エルシィはアバルカに次にギフルを見た。
ギフルはアバルカの甥にあたる男であり、アバルカには従順な腰ぎんちゃくのような男だ。
さらに言うなら、この二人は旧伯爵家に連なる血を引く者だった。
なるほどな。
あの小娘もよくわかっているということか。
伯爵の血なくしてはこの国を治めるなど到底かなわないということをな。
そう謙虚になるなら色々と便宜を図ってやるのも吝かでないわい。ぐふふ。
先の震えなどもう彼の記憶のどこにもなかった。
それぞれの名乗りが終わって一息ついたところで、エルシィは玉座から各々をいっぺんに視界に入れるように遠い目をしたままそっと立ち上がった。
「皆さん、わたくしの召喚に応じ遥々やって来ていただきまして、誠に感謝しております。
今日は皆さんの今後について……」
「エルシィ殿、そんな挨拶はよい」
と、なぜかアバルカが唐突にエルシィの言葉を遮った。
「……は?」
君主の立場からの言葉にまさか割って入るとは思わなかったので、エルシィは目を点にする。
エルシィはその程度で済んでいるが、彼女の脇で護衛の為に控えているフレヤなどは今にも飛び出してアバルカを斬り捨てんばかりに顔を真っ赤にしていた。
フレヤだけではない。
アベルやキャリナもまた、無言のままに眉を吊り上げてアバルカを睨みつけている。
だがいきなり悪くなった空気が読めないのか、はたまた読む気などないのか、アバルカは立ち上がって太ましい腰に手を当てる。
「エルシィ殿もお側衆もまだ若いので何も解っていないようだが、この地を差配すべき伯爵の地位を簒奪するというのは神の意に背く大罪であろう。
それは人の道に反し、許されざる行いよ。
……まぁ、寛大なワシはそのことについては何も言うまい。
だがな、この地を治めるのにワシの血……つまり神よりその地位を約束された伯爵家の血を引く者が必ずや必要なはずである。
エルシィ殿が望むのであれば、この力を貸してやるのも吝かでないと思っておる」
尊大オブ尊大。
いかにも絶対的真理の上に立っているかの如き自信をもって彼はそう謳い上げた。
エルシィは埴輪並にぽかんであるし、フレヤ達はもう噴火寸前である。
こいつ何も解ってねぇ……。
なぜエルシィがここに座っているのか。
それは神授の印を継承することをイナバ神より認められたからに他ならない。
そして彼ら神は、どうやら人間の権力争いには興味なく、ただ印綬の所持者がいなくなった時点で継承権のある者がそこにいれば認めるのだ。
つまりアバルカの言っているのは誇大な妄想と言えるだろう。
そしてなぜエルシィが印綬を受け継ぐに至ったかと言えば、元はと言えば旧ハイラス伯がいらぬ野心と妄想的危機感を持ってジズ公国へ攻め入ったからだ。
そう言った事情を知らず、また神授についても何やら間違った認識のようだが、正しい口伝や書伝がない以上はこんなものかもしれない。
とエルシィは感慨深げに腕を組んだ。
というかアバルカがそれらを知れば、喜んでエルシィを殺しに来るかもしれないくらいだ。
まぁ、こうした反発があることはエルシィも予想していたし、その対策もすでに講じてある。
後は、いかにこの愚かな太守に解らせるか。である。
「まぁまぁなるほど、太守さんたちもいろいろ思うところがおありのようですね」
エルシィは出来る限り平坦な表情で静かに言う。
そして「あら困ったわ」とでも言わんばかりに頬に手を当てた。
「ではここで訊ねます。
アバルカ殿と同じ思いの方はご起立ください」
誰が立つか見ものである。
と、エルシィは少しばかり楽しくなってきていた。
そろそろ地図を描かないといけませんな……
次回更新は来週の火曜日を予定しております




