120貴族の成り立ち
ハイラス領都の港にて、騒ぐ幼女を羽交い絞めする警士。
「貴様、不敬じゃ不敬!」
「いや参ったな。ここは危ないから、子供は向こうで遊んで……お願いだから」
警士はもうほとほと困った顔でそう言い聞かせるが、幼女はまた何かよくわからないことをわめきながら暴れるのだ。
子供とはいえ、本気で暴れられるとなかなか厄介だ。
常識がある大人程「相手が子供ゆえ、傷つけてはならない」という意識が働くため、余計に苦労するのだ。
そんな光景をしばし呆然とした顔で眺めていたエルシィだが、ハッと思いついて口を開く。
「今、あの娘さんが男爵って名乗ったけど……」
「はい、本来であれば爵位を騙るのは重罪でございます。
……ですがまぁ、子供の言うことですからそこまで大きな話にはならないのが普通ですね」
エルシィの言いたいことを汲んで、侍女頭のキャリナが答えた。
「ねぇ、そもそも貴族ってなんなの?」
「姉ちゃん、そんなことも分からないのかよ」
「なによ! アベルは分かる?」
「たぶん姉ちゃんよりは分かってるよ」
根本的な貴族制度が分からないバレッタが訊ねるが、これはすぐに実弟アベルから呆れられた。
とは言え、アベルもおおよそ「こんな感じ」という程度のことを知っているにすぎず、この国、正確に言えば旧レビア王国における貴族のあらましを正確に知っているわけではなかった。
実のところ、これはエルシィも同様だったので、三人そろってキャリナへと懇願じみた視線を向けるのだった。
キャリナは肩をすくめながらため息を吐く。
「確かに、細かい話をするととても複雑ですからね。
理解できないのは仕方ないでしょう」
そう前置いて、話を始める。
「そもそも貴族とは、神に土地を治める権利を認められた者たちです」
「え、そうなんです?」
言われ、反射的にエルシィは驚いた。
これつまり、王権神授を地で行ってるわけだ。と感心交じりでほほうと息を吐く。
ただ、よく考えれば、エルシィはこの話は知っているのだ。
なにせハイラス伯国を制して印綬を結果的に奪った時、エルシィはイナバ神よりその所有を正式に認められているのである。
これだけでおおよそ予想がつく話ではあったが、まぁ元の世界での常識が邪魔してつい驚いてしまった。
「ええ、そうなんです」
キャリナはエルシィの驚きに対し、重々しく頷いて返事とした。
話は続く。
「そして貴族たちを束ね君臨することを神に認められたのが王です。
ですがこの王は今はおりませんが……」
このあたりの話は歴史のお勉強でクレタ先生から習ったところだ。
昔、レビア王国なる国があったが、各貴族が独立を望み蜂起したことにより崩壊。
今ではその貴族たちそれぞれが国を治める状態となったという話である。
「ゆえに、神より認められた爵位号を詐称するのは大罪となるのです」
そしてキャリナはそう話をくくった。
なるほど、罪の根拠としては納得いく話ではある。
が、エルシィは少し引っかかるところがあった。
「なぜ神に授与された王権を侵した貴族たちは裁かれなかったのです?」
疑問はそこだった。
貴族の称号は神の意志によるものだから、詐称すれば大罪。
であるなら同じく神の意志によって定められた王権を排除した貴族たちもまた罪に問われるはずではないだろうか。
「そこは昔から貴族や神職の者たちによって論議の的でした。
神職の者たちによる神への数々の問いかけにより、これらは一応理由が確定しております」
「そうなんですね。ではなぜです?」
「それは神に『与えられた』訳ではなく、『認められた』だけだからです」
フレヤやバレッタは「?」という顔になった。
敏いアベルは少し考える顔になる。
そしてエルシィは「あー、なるほどね」となんだかやるせない顔になった。
つまり契約の文言の解釈違いとでも言おうか。
簡単に言えば神様から能動的に「お前が王になって治めよ」と言われたわけではなく、人間の方から「王になることをお認め下さい」とお願いした形なのだ。
なので神からすれば人間が争った末に誰が王になっても、最後にその実力を認めて「よし、承認する」と言えばいいだけなのだ。
エルシィにしてもハイラス伯がいなくなった後に印綬を入手した際「権利があるが継がされた」だけだった。
神は人間の世を見守って管理していはいるが、かといって積極的直接的な介入をしないということなのだろう。
考えれば「世界を救う」という名目でわざわざエルシィを送り込むのも、そういうことなのだ。
直接介入する気があるなら、エルシィなどを送り込まず神自ら手を下すはずである。
ちなみに混乱するからとキャリナが省いているが、治める土地がない貴族と言うのも存在する。
その代表格が「士爵」である。
士爵はいわば軍事階級で、その任命の権利は王にある。
貴族たちは土地を守るために王よりその士爵たちを借り受けるのだ。
騎士爵と言い換えるともう少しわかりやすいかもしれない。
エルシィの近くにいる者で言えば、ホーテン卿やスプレンド卿がこれにあたる。
王よりレンタルされたのがその始まりではあるが、今はたいてい貴族が治めるそれぞれの国に帰属している。
彼らの承認は神ではなく王が任命するものなので、厳密には詐称してもそれほど重い罪にはならない。
「ならあの子は罪人ね! 懲らしめてあげなくちゃ」
とりあえず都合の良い所だけ思考の咀嚼が済んだようで、妙に嬉しそうなバレッタが袖まくりする。
「いえ、だから子供だから大目に見るという話でしたよね?」
「あたしだって子供よ!」
もう訳が分からないよ。
エルシィが呆れて見守る中、バレッタがズカズカと幼女に寄って行く。
さて、先から幼女と呼んでいるが、基本的にはエルシィとおおよそ近い背丈である。
ということは、である。
エルシィは八歳ではあるが、同年代の中では極端に小さいく、おおよそ二歳くらいは下に見られる。
つまり、その幼女は背恰好で判断するなら六歳くらいなのであろう。
その推定六歳児に近づいたバレッタは、取り押さえている警士に視線で「あたしが相手するからあなたもういいわ」とサインを送る。
警士は無言で目礼してから幼女を放した。
「ふっふっふっ、やっとワシの高貴さに気付いたか。
もうちょっと遅かったら貴様の首をはねておるところじゃが、まぁよかろう。
寛大なワシに感謝せよ」
幼女はなんだか都合の良い解釈した様で、ご満悦になる。
そしてどうやら目的があるようで、どこかへ駆け出そうとした。
そこへズイと立ちふさがったのがバレッタだ。
「ん、何じゃ童。ワシ急いでおるから、サインならまた今度な」
「爵位を語る大悪人に、神に代わって正義の鉄槌を下しに来たわ!」
もう、お互いに言いたいこと言ってるだけで、最初から話がかみ合っていない。
あとバレッタが勝手に神の代弁者気取りだが、まぁ神孫ではあるので微妙なところである。
にらみ合う二人。
と、そこへバレッタより少し年上の、優しそうな少年が慌てて駆け寄って来た。
少年は子供にはまだ似合わない三つ揃いの背広の様な服を身に着けている。
姿勢や動線がやけに美しい少年である。
「お嬢様、このようなところに!
さぁ帰りますよ!」
「捕まった者たちを助けに行かねばならんのだ。帰ってなどいられるか。
それからお嬢と呼ぶな、親分と呼ばんか」
「もう、そういうのいいですから……
あ、連れが失礼しました。すぐつれて帰りますので!」
そのように言い置き、少年は幼女を引きずって去っていくのだった。
「それで、結局なんだったのでしょう?」
「うん、わかんないわ!」
一行はしばし呆然と二人を見送るのだった。
次回は来週の火曜を予定しております




