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012ヨルディス陛下

 騎士府での訓練見学を終え、昼食のために大公館(たいこうやかた)へ戻る。

 部屋でキャリナに服を脱がされて身体を拭かれるが、これも二日目にしてもう慣れてきた。

 海外出張が多い商社マンだった丈二にとって、「出かけたらとにかく早く現地に馴染む」というのは、必ず上司から教え込まれる訓示だ。

 したがって八歳児のエルシィとなってしまったこの異常な現状も、とにかく「そういうものか」と受け入れて慣れるよう心掛けているのだ。

「エルシィ様が出歩かれるようになるなら、あれを戻らせないといけませんね」

 ふと、独りごとのように侍女キャリナが呟いた。

「あれ、とは? 人?」

 その呟きを拾って訊ねれば、キャリナは「ああ、説明が必要ですか」と話し始めた。

「姫様付きの侍女は、私の他にもう一人いるのです。

 ただ今までは姫様が館から出ることもありませんでしたから、他の手伝いに行かせていたのです」

 つまり、今までは余剰人員だったわけだ。

 エルシィがこれから館以外の活動を増やしていくなら、その者の仕事を本来の形に戻すべきだろう、と、そういう訳である。

「近いうちにお目見えさせますね」

「楽しみにしています」

 二人は会話をそう結んで、身支度に集中した。


 その後はフレヤも引き連れて食堂へ行く。

 ヘイナルは先に昼食を摂るため近衛府へ行ったらしい。

 彼が戻れば交代でフレヤが行くことになる。


 すでにお馴染みになった通り、先頭をキャリナが歩き、最後尾をフレヤが歩く。

 午前中の初めはぽやぽやニコニコしていたフレヤだが、今はヘイナルに散々叱られたようで、かなりしょんぼりしてる。

「気にしなくてもお昼を食べたら元に戻りますよ」

 と言うのはヘイナルの談だった。

 ちょっと扱い酷い。

 と、エルシィは同情的な視線をフレヤに送った。


 食堂ではまたカスペル殿下と会食になる。

「まだ元気そうで良かった。城の散策ではどこを見てきたんだい?」

 朝食時と同じ、赤みの差した健康そうなエルシィの頬を見て、カスペル殿下はホッとする。

 これまでのエルシィなら、朝元気でもその元気が半日持たないのが当たり前だっただけに、心配していたのだろう。

 カスペルの問いにエルシィは魚料理に入れるナイフを止めて楽し気に語った。

「騎士府を見せていただきました。

 ホーテン卿が凄かったのです。わたくしを片腕で抱き上げて、それでいてフレヤの攻撃にビクともしないのです」

 妹の言葉を聞いて想像し、カスペルは少しばかり顔を蒼くした。

「何やら危ない訓練でもしたのじゃないか? どういうことだ」

 聞かれたのは自分の近衛士と共に食堂の壁際へ整列しているエルシィの近衛士フレヤその人だ。

 問われたフレヤの頬には途端に赤みが戻り、なぜか生き生きと返答する。

「はい。ホーテン卿には護衛の手本を見せていただきました。

 ホーテン卿は姫様を抱えたまま、私を苦も無くグラウンドに転がすのです。

 さすが大公三代に仕える(つわもの)だと尊敬いたします」

 うっとりと頬に手を当てるフレヤ。

 転がされたのがよっぽど楽しかったんだろうな。この脳筋狸ねーちゃん。

 そんな嬉々とした様子に、エルシィは呆れた風なジト目を向けるのだった。

「そ、そうか。まぁ無事なら良い。あの爺様にも困ったものだ」

「爺様って、ホーテン卿はそれほどのお歳ではないでしょう?」

 カスペルの呟きを拾って聞いてみる。

 エルシィの目にホーテン卿は、白髪交じりとは言えまだまだ壮年世代に見えたので、お爺さんと呼ぶにはさすがに早いだろうと首を傾げたのだ。

「いや、あの御仁、あれでもう六〇歳超えたはずだ」

 それであの怪力と身のこなしですか。

 と、エルシィは目を皿のようにして驚きを表現し、フレヤは「ほほほ」と上品に笑った。

「お兄さまはお昼の後どうされるのですか?」

「私はこれから、騎士府の訓練に参加させてもらう予定だ。エルシィの見学も午後だったら良かったのに」

 話を変えようと聞いてみれば、カスペルは少しばかり不貞腐れるような素振りでそう言った。

 貴公子然とした金髪美男の騎士姿。

 それは一つ見物したいものだとエルシィは期待した目で、給仕に徹しているキャリナを見る。

 が、キャリナは居心地悪そうに首を横に振った。

「午後はお勉強の予定です。

 それでなくても、午前中たくさん歩いたのですから、お身体を休めないと」

 残念だが仕方ない。

「はーい」

 エルシィは肩をすくめて返事をした。

 ちなみにキャリナが気まずそうにしていたのはなぜかと言うと、エルシィと一緒にカスペルまでが期待を込めた視線を向けていたからだ。


 さて、その後も歓談と共に食事を続けていると、食堂の外が俄かに騒がしくなった。

「イェルハルド、何か」

 気づいたカスペル殿下が怪訝そうに眉をひそめて声を発する。

 名を呼ばれて動いたのは彼の近衛士の一人で、彼は素早く、それでいて慌ただしく見えぬように扉を開けて外を伺いに行った。

 そしてすぐに戻る。

「大公陛下の御成りです」

 近衛士のそんな言葉にカスペルはハッとしてカトラリーを置いて立ち上がった。

 大公陛下、つまりここジズ公国の国主に当たる人で、エルシィやカスペルにとっては母上である。

 エルシィもそうした前知識を思い出し、兄に倣って立ち上がった。

 しばらくして二人の侍女がが扉を大きく開けると、ふっくらとした妙齢を過ぎたあたりの女性が近衛士を四人も引き連れてやって来た。

 ゆったりと、そして堂々とした足取りで歩むこの女性こそが大公ヨルディス陛下なのだろう。

 エルシィはしばし呆然と顔を眺めてから、ハッとし兄に倣って頭を垂れた。

「急な訪問でごめんなさいね。二人とも、頭をあげなさい」

 優しげな声だ。

 それでいて、逆らい難い威厳があった。

「訪問などと。ここは陛下の屋敷ではありませんか」

 顔を上げたカスペルが苦笑いしながら答えると、ヨルディスもまた困ったような笑みを浮かべた。

「私の屋敷、と言うならあなたこそ『陛下』はおやめなさい」

「畏まりました母上」

 互いに笑顔で頷き合い、そしてヨルディスは優し気な顔をエルシィに向ける。

 そしてゆるりと歩み寄り、腰を落として小さな娘を抱きしめた。

「エルシィ。貴方が元気そうだと聞いて会いに来たのよ。

 急にどうしたのか、とも思ったけど、確かに顔色がだいぶ良いようね」

 その言葉も表情も、本当にエルシィを心配していたことが伺えるものだっただけに、一度は流れた罪悪感が蘇ってズキリと胸を締め付けた。

 エルシィは表情を歪めつつも笑顔を浮かべようと努め、出来るだけ明るい声で母に応えた。

「お母さま、これは女神さまのご加護なのです。

 まだ体力が弱々しいわたくしですが、これからはどんどん元気になりますわ」

 それを聞き、豆鉄砲の速射を浴びた鳩の様な表情になった母ヨルディスだったが、すぐに優し気な顔でエルシィの頭を撫でた。

「そうなの。良かったわ。でも無理をしてはだめよ」

「はい、お母さま」


 母娘の初対面を済ませた後は、ヨルディスも加えて親子の歓談となった。

 食事はすでに終えたというヨルディスにはお茶が給される。

「そうだ、お母さま。わたくし、天守の探検がしたいのです」

 と、近況話の中でエルシィは思い出して身を乗り出す。

 今朝、ダメ出しされたばかりの天守探検。

 その許可を受けるチャンスが、まさかこんなに早く来るとは思ってもいなかった。

 だが、チャンスが来たからには逃す手はない。

「まぁ、探検?」

 それを聞いてヨルディスは楽しそうにクスクスと笑い、そして視線でキャリナを探して首を傾げた。

 娘の予定はどうなっているのかしら? と、無言で訊ねているのだ。

 キャリナはすぐ畏まって答える。

「本日はこの後、学習の時間と予定しております。明日以降なら調整できます」

「では明日の朝食後に、体調が良かったらいらっしゃい。少しだけ時間を空けて案内するわ」

 こうしてエルシィは早々に天守見学の機会を得た。

「わーい、ありがとうございます。お母さま!」

 エルシィは元気よく両手を上げて喜びを表現する。

 中身おっさんではあるが、すでに女児仕草に慣れて来た丈二であった。

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