116貧民街で何が起こったのか
スカウトしたライネリオは後日お城の方へ出仕してもらうことになった。
彼にも現在の立場があり、エルシィの元で仕事するにはいろいろと整理しなければならないことがあるだろう。
そういう訳で一行はライネリオとは別れて貧民街をでた。
なぜなら。
「そろそろお昼ね! お腹が空いたわ!」
「市場でさんざん食べたろう」
「お昼ご飯は別腹よぉ」
と、バレッタたちが騒いだからだ。
貧民街は貧民街ゆえに食事をするような店があまりない。
みな、外食をするほど余裕が無いのだ。
そんな中で営業している数少ない食堂と言えば、「自炊するより安上がり」という者たちが集まる場所である。
味や見た目は二の次で、とにかく腹持ち優先という店。
「一度そういう店を体験するのも良いと思いますよ?」
などとエルシィはニコリとのたまったが、当然ながら側仕え衆が良い顔しなかった。
特に幼少時、貧民街の片隅で生きた経験のあるフレヤなどは、いつにないほど嫌そうな顔だった。
「ここまで来れば贅沢は申しませんが、大公家の姫たるエルシィ様が入る最低限の格だけは必要と存じます」
「格はどうでもいいけど、どうせなら美味しいものが食べたいわね」
「どうでも良くありません」
フレヤの顔を見て察したキャリナがため息交じりに言い、バレッタが同調したつもりで頷いた。
キャリナからすれば同調ではなかったようだが。
そういう訳で市場方面に一度戻ったエルシィたちは、そこからまた別の進路へと進んだ。
露店が軒を連ねる市場から、店を構えて商売をする商業区へ向かったのだ。
ちなみにそういう商店と市場の露店はどう違うのか。
商人の持つ資産の規模、という意味合いもある。
が、別の視点で言うなら「注文販売が主」か「産地直送の現物販売」かという部分だろう。
商店には見本として幾らかの現物が並んでいるが、基本的には注文を受けて職人へ発注し、後日現物を引き渡すという形式の商売だ。
ゆえに商業区は職人街に隣接している。
商人が職人に仕事を出し、職人の作った品が売れる。
つまり何が言いたいかといえば、この区域は健全に経済が回る景気の良い場所ということになる。
こういう場所には、働く者たちの食を支える店から、商談の為に利用するようなちょっと格式ばったお店まで、実に多様な食事処もまた軒を連ねていた。
その中で、バレッタの要求とキャリナの妥協バランスを満たしたのが、「海の小鹿亭」という店だった。
少し裕福な商人が入る店、という感じの小奇麗な食堂だ。
「ここは港の組合でも評判いいのよ!」
バレッタはそう言いながら、先頭に立ち店の扉を勢いよく開け入った。
さて、そのお店でつつがなく食事を終え、程々に満足した余韻を楽しむ一行に、エルシィはこう言った。
「貧民街をあのように整えるには、どうすればいいかわかりますか?」
それはさっき見た、ライオリアが取り仕切る貧民街のことだ。
だがこの問いには誰もが言葉に詰まった。
問いを発したエルシィさえ、その答えを持っていなかった。
「ちょっと難しすぎましたね。
では、貧民街に住む人たちは、なぜ貧乏なのでしょうか」
「働かないから、かしらね?」
「働かないから貧しいのであれば、それは自業自得ですね。
この街の景気は悪くなさそうですし、その気になれば仕事は幾らでもあるでしょう」
この問いにはバレッタがすぐに答え、そしてキャリナは少し不快そうに眉を寄せた。
エルシィは少し苦笑いを浮かべて訂正する。
「そうですね。
ただもう少し正確に言い換えると『働けないから』ですかね?」
「働けない?
それは病気やケガがあって、ということでしょうか。
それでしたら……甘えというのは言い過ぎでしたね」
エルシィの言葉を聞き、キャリナはすぐに態度を軟化させる。
このあたり、彼女の育ちの良さが現れているな、とエルシィは感じた。
「もちろん、キャリナの言う通り、ケガや病気という理由もあります。
だけど他にも、彼らにできる仕事がない、ということもあります。
また、仕事はあっても賃金が安い、という問題もあります」
このあたりが貧困が生まれる原因だろう。
エルシィは続けて話す。
「貧民街に住む人々は何らかの理由で継続的な雇用にありつけず、収入が不安定なのです。
この何らかの理由が、ケガや病気の場合もありますが、それより多いのが知識や技能による場合ですね。
知識や技能が無いから仕事に就けなかったり、就けても低賃金だったりします。
ではそれを改善するにはどうすればいいでしょう?」
「簡単じゃない。
知識や技能がないなら、お勉強すればいいのよ。
あたしもお爺のところではよくお勉強させられたわ」
バレッタがえへんと胸を張って答える。
エルシィが誘導したということもあるが、問題さえ解っていればこの答えは多くの人が導き出せるだろう。
なので、キャリナや他の者たちもおおよそ同意という態で頷いた。
エルシィも「大変結構です」と満足そうに頷き、そしてさらに続ける。
「では、伯爵家に連なるライネリオさんが公的資金を使って貧民街の人たちへ大々的に教育を施すとしましょう。
さて、上手くいくと思いますか?」
「いくわけないにゃ」
「いきませんね」
エルシィの新しい問に即座に答えたのは、フレヤとねこ耳メイドのカエデだった。
「なぜです?
では……カエデからどうぞ」
まるで学校の先生の様な口ぶりでエルシィはそれぞれの回答の理由を引き出すべく、話を向けた。
カエデは肩をすくめて口を開く。
「貧民街の連中は無気力にゃ。
あいつらに努力とか出来るわけがないにゃ」
「なるほど。
フレヤも同意見ですか?」
「いえ、カエデの言うことも間違いではないでしょうけど、私はまた違う話です」
水を向けられ、フレヤは小さく首を振る。
エルシィは無言で先を促した。
「知識と技能を身に着けるにはお金がかかります。
なので市井の者たちもそれを学ぶには苦労しています。
職人であれ商人であれ、弟子入りや丁稚奉公でこき使われながら、安い給金で長い時間を掛けて学びます。
それを貧民街の者たちが伯爵家の保護を受ける形で、税金を使って教育を受けるなど、市井の者たちが納得するとは思えません。
下手すれば暴動が起きますよ」
絶対王政の封建社会だからと言って、市井の者たちが必ずしも大人しく従うという訳ではない。
支配者層が大きな権力を持っているので納得できなくとも嫌々従うことも多いが、それでも不満がたまれば反乱が起きる。
これが大きくなれば市民革命である。
「そうなんですよねぇ」
エルシィはフレヤの意見に大きく頷いた。
カエデの言うことも一理ある。
だが彼女の言う無気力は、ほとんどの場合貧困状況から生まれる無気力なので、これを何とかしようという雰囲気づくりさえできれば何とかなるものだ。
例えば先に数人を促成し、「教育を受ければ儲かる」という成功例を作ってしまうのが手っ取り早いだろう。
ところがフレヤの言った方はもっと厄介だ。
カエデの例は貧民街だけを対象に改革していけば良いが、市井の者たちの不満となれば街全体、ともすれば国全体を巻き込まなければならなくなる。
こうなると計画規模も資金もいきなり莫大に跳ね上がるだろう。
いくら伯爵家の者とは言え、継子ではないライネリオが動かすのは難しいだろう。
特に継子ヴァイセルに嫌われている状況では。
「そこがライネリオさんの凄い所、という訳なんでしょうねぇ」
エルシィはしみじみとかみしめる様にそう呟いた。
実際にここで出た話の様に貧民街の者たちへ教育を施したのかどうかはわからない。
彼がやったことの詳細を聞いたわけではないので、その辺りは想像でしか無いのだ。
だが、貧民街の状況を改善させたのは間違いないだろう。
少し見ただけでも治安は悪くなさそうだし、見るからに街に清潔感があった。
これだけでも大きな進歩である。
「そこまで見通してあの者を召し上げるとは、さすがエルシィ様です」
フレヤはフンスと鼻息を吐いて、自らの君主を褒め称えた。
その目は尊敬の念に満ち溢れキラキラと輝いている。
「とにかく、その調整能力や実務能力は折り紙付きでしょう。
良い人に出会えました」
すこし居心地悪そうに微笑み、エルシィは話をしめるようにつぶやいた。
「しか」は「しか」でも、海に住む「しか」はなーんだ
……さて、次の更新は来週の火曜を予定しております
金曜はコロワクの3回目を受ける為に有給取るので、その為の調整に色々あって書けそうにありませんので




