113デンカ
エルシィたちが元ハイラス伯国領治めるハイラス鎮守府総督であることが判ったところで、傷顔の男があたふたし始めた。
「ええと、お嬢ちゃん、ちょっと待っててくれねぇか。
あんたらみたいなの俺らじゃ対応できねぇからよ。
……と、お嬢ちゃんじゃマジいな、こういう時はなんて言えばいいんだ?
総督様でいいのか?」
そう言いつつ子分たちに顔だけ振り返る。
「俺だって知らねぇよアニキ、偉ぇ人なんか会ったことねーもん」
「俺だってねぇよ!」
「こういう時はあれだ、閣下とか呼ぶんだよカッカ」
「おお、なるほどな。おめぇ学あるじゃねぇか」
「へ、どうでぇ。
これでも下町に住んでいた頃は三軒隣にうだつの上がらねぇ学者先生が住んでたからよ」
「おめぇ下町出身だったか!
道理で少し洒落てんなと思ったんだ」
「さすがだな、今度から学士様と呼んだ方が良いか?」
こんなやり取りに目を点にしながら、エルシィは傍らにいるキャリナに呟く。
「三軒隣じゃもはや他人ではありませんかね?」
「エルシィ様。事実は口にすればいいというものではありませんよ」
キャリナもなかなか辛辣だった。
そうこうしている間に、たまたま通りかかったという風のユスティーナが苦笑いを浮かべながら近くまでやってきて膝をついた。
「ごきげんよう、エルシィ様。
こうして直接ご挨拶できる偶然に感謝を」
子供とはいえさすが吟遊詩人。
このような演技がかった大仰な仕草が様になっている。
初めて会った時のオドオドした態度はもうあまりなかった。
エルシィがユスティーナを雇ってからしばらく経っているが、彼女にはハイラス領差押え劇の顛末を流布してもらう仕事を任せているのでなかなか会う機会がない。
というか、いくらエルシィ直属で雇われているからと言って、子供のみで王城へと出仕するほど堂々と振舞えないという、ユスティーナの心の事情もある。
とにかくそういう訳で、こうして対面するのもしばらくぶりであった。
「ええユスティーナ。あなたが充分以上に勤めを果たしていることは様々な方面から聞き及んでおります。
ご苦労様です。
なにか仕事の上で不足があればおっしゃってくださいな」
エルシィとしても良く働く配下には報いるつもりがあり、すでに特別ボーナスを支給している。
「……それでしたら、いろいろ相談できる人がいるとうれしいです」
そしてユスティーナが控えめに言う。
エルシィはその言葉に「おお」と感心して手を叩いた。
「ああ、失念しておりました。
フレヤとは孤児院で会うでしょうけど、いつもという訳にはいかないですしね。
解りました、誰か適当なお役人か警士に話を通しておきましょう」
「ありがとうございます」
ユスティーナが長い前髪の奥からニコリと笑う。
子供さんが好きな特殊な趣味の方でなくても、これにはクラっと来そうな可愛さである。
実際、エルシィも眩さに少し目を細めた。
さて、そうして雇用主と従業員の交流をしていると、傷顔の男が使いにやった子分が一人の若者を連れて戻って来た。
どうやらそれが「殿下」らしい。
年のころはおそらくフレヤとそう変わらないくらいで、学者か文官の卵かといった感じの細身の男子だ。
「ユスティーナはその、デンカさんのことはご存じですか?」
エルシィはその様子を見ながら小さな声で訊ねる。
だがユスティーナは小さく首を横に振った。
「この町に出入りすることはありますけど、殿下さんには会ったことないです。
この近辺を取り仕切るボスだとは聞いていますけど……」
ユスティーナはそもそも旅の吟遊詩人なので、多少交流はあってもそこまで深くはないようだ。
具体的に言えば傷顔の男とは面識あっても、その上のボスと易々会えるほどではないということである。
「……ボス、でしたか」
訊いて、エルシィや側仕え衆は小首を傾げる。
「そうは見えないわね。貫禄がないわ!」
と、バレッタが皆の思っていることを代弁するように言った。
しかもいつもの元気で大きな声で。
これは確実に相手側にも聞こえていたようで、傷顔の男サイドの何人かはジロリとこちらを睨みつけ、何人かは苦笑いを浮かべつつ肩をすくめる。
そこには当の本人も含まれていた。
その本人、「殿下」が子分たちへ微笑みかけるように何事か呟くと、彼らは黙ってうなずいてその場にとどまる。
そして「殿下」だけが進み出て、エルシィから数メートルほど離れた位置で跪いた。
「お目にかかることが出来、光栄に存じます。
私、先のハイラス伯が二子、ライネリオと申します」
ただの通称ではなく、本当に元殿下だった。
先の、と言っているが、現在のハイラス伯はエルシィなので、前ハイラス伯は隣国へ逃げたヴェイセルのことである。
その息子、ということではなく、おそらくはヴェイセルの弟ということになるのだろうか。
つまり場合によってはハイラス伯爵になっていたかもしれない男ということである。
それにしてはエルシィに対して隔意は無さそうで、というか野心というものがあまり見えない様子だった。
これで内に秘めているなら、相当な上手である。
そうした事情を察し、フレヤ、アベルの両名は再び警戒をあらわにして、ライネリオとエルシィの間に立ち構えた。
ただ、ライネリオは気にした風もなく、ただエルシィに対して謙虚に頭を垂れたままであった。
残念、殿下は女児ではありませんでした
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