112貧民街
フレヤの剣幕に触発され、男たちのうち二人が武器を身構える。
ナイフ、と呼ぶには少し大ぶりな、まるで鉈の様な厚みがある。
あのナイフであれば人の肉など易々と削ぐことが出来そうだ。
その姿を見てフレヤ、アベル両名の緊張も高まった。
アベルなどは右手で短剣をおざなりに構えつつも、左手を軽く宙に向けて挙げ、いつでも八本の業物を呼び出す体勢だ。
そのおかしな構えをなめるでもなく、道を塞ぐ男たちもまた緊張する。
「待て待て待て。
俺たちは別にやり合うつもりで出て来たんじゃねぇ。さっきも言ったろう。
お前らもだ!」
リーダー格の傷の男が慌てて両手を上げ、そして子分たちにも叱りつける。
「へーい」
大ぶりナイフを構えていた血の気の多そうな若い二人はシュンとして、すぐにナイフを鞘に戻した。
そんな様子にエルシィはホッとして、護衛二人の腕にそっと触れる。
「どうやら大丈夫そうですよ」
「しかしエルシィ様……」
だがフレヤは納めない。
まぁこれはフレヤが正しいとも言える。
相手の素性が判らない以上、何かだまし討ちがあることも警戒すべきなのだ。
アベルも同様で、エルシィとフレヤのやり取りに耳を傾けながらも構えを解かない。
エルシィは苦笑いをもらし、傷の男は肩をすくめ、無言のやり取りを交わした。
「嬢ちゃんたちの警戒もわかるし、それで構わねーよ。
ただ俺たちは野盗じゃねぇ。カツアゲでもねぇ。
ただ警告に来たんだ」
「警告とは?」
聞きようによっては不穏な言葉である。
ゆえにフレヤは視線をさらに鋭くして男を見据えながら先を促す。
「薄々わかっていると思うが、こっから先はスラムだ。
行儀の悪い連中もたくさんいるからよ。嬢ちゃんたちの様な金持ちが立ち入れば、安全を保障できねぇんだ」
「行儀が悪い? あなたたちの様な?」
傷の男が口上を述べると、フレヤが口を挟む。
この返事如何ではすぐに戦闘へ移行することもあるだろう。
が、男は気の抜けたようなヘラっとした笑いを浮かべてまた肩をすくめた。
「否定はしねぇよ」
これには子分たちもゲラゲラと笑い出した。
「ちげえねぇ」
「そりゃ、俺たちみんなスラム育ちだからな」
「お上品とか、食ったことねーし」
これにはフレヤとアベルもやっと警戒を解き構えを降ろした。
「やはりここはスラムなのですね」
そんなやり取りをよそに、キャリナは頬に手を当てながら不思議そうにあたりを見回した。
確かに造りが粗末で無計画に増築したような建物ばかりが散見する、いかにも貧民街といった風景ではある。
日本であれば取り締まりに何か月かかるんだ、とお役人がため息を吐くレベルの違法建築ぶりだ。
ただ先にも述べた通り、それにしては街並みが小奇麗なのだ。
「そんなに不思議かしら。
ジズの城下街だってこんなもんだったでしょう?」
と、これはバレッタ。
彼女は神孫という尊い身ではあるが、アベルと一緒にジズ公国城下の街を縦横無尽に遊びまわっている。
なのでジズ城下についてはここにいる誰より詳しいと言える。
だがそれはジズ公国に限っての話だ。
エルシィは知った顔で「ちっちっち」と指を振った。
「ジズ公国は国全体が貧しいので、それほど格差が無いのです。
ゆえに貧民街と言えどそれほど荒れていないので……あれ、どうしたのです?」
言葉途中で気づいてみれば、キャリナとフレヤが少しばかり沈んだ顔をしていた。
「エルシィ様、あまり胸を張って言うことではないです」
「……そうかもしれませんね」
二人は「うち貧乏だからね!」言われて、ちょっと落ち込んだようであった。
ともかく、裕福なハイラス伯国であれば上下の格差も大きくなるのは自明の理であり、であればこそ、エルシィもキャリナも、貧民街の状況はもっと酷いのではないかとイメージしていた。
それが思ったほど荒れていなかったのでビックリしつつも感心したのだ。
「まぁなんだ。ここも前は酷かったが、最近はボスがうるせぇからな。
みんな気を付けてんだ」
口では面倒そうな風で言う割に、その表情は明るく、そして誇らしげですらあった。
おそらくそのボスを尊敬しているのだろう。
「ほほう、ボスですか。
それはそれは。
一度お会いしてみたいですね?」
傷顔の男の言葉にエルシィは目をキラリと光らせる。
現状、ハイラスを治めるのには全くの人手不足なので、有能そうな人物がいるのであれば引き抜くなり協定を結ぶなり、とにかく仲間にしたいところだと思ったのだ。
この反応に、傷顔の男やその子分たちは少し面をくらったようで、眉を寄せて困惑気に首を傾げた。
「ボスに会いてぇだなんて、変わった嬢ちゃんだな」
彼らはエルシィご一行を「どっかの豪商のモノ好きなお嬢様だろう」くらいに思っていたのでこの感想も当然である。
どこの女児がスラムの顔役に会いたいなんて言うものか。
「あれ? 皆さんどうしてこんなところに……?」
と、その時だ。
やけに暢気な子供の声が聞こえ、エルシィ一行も傷顔の男たちも一斉に振り向いた。
「なんだユスティーナ。この嬢ちゃん知ってるのか?」
傷顔の男が言う通り、そこに通りかかったのはダークブラウンの前髪で目を半分隠した美しい顔の子供、ユスティーナだった。
この新進気鋭と言ってもいい吟遊詩人の子供は、この貧民街でもそこそこ知られている。
吟遊新人と言えば、例外を除いてほとんどはあちこちを旅する流浪の民であり、あまり裕福ではない
なので貧民たちからすれば気の良いお隣さんみたいな感覚であった。
「ええ、このお方はボクのパトロンで……」
ユスティーナが言いかけたところで男たちはギョッとした。
皆、知っているのだ。
ユスティーナが父に連れられてこの街に来たこと。
父が逮捕されそうになり逃げたこと。
吟遊詩人の元締めであるユリウス師にユスティーナが預けられたこと。
そしてそのユリウスの元から出され、今は誰の元で働いているかということを。
「ちょ、マジかよ!
なんで総督様がこんなところに……。
おい誰か、デンカ呼んできてくれ!」
傷顔の男は焦りに大きく顔をゆがめつつそう叫び、子分の数人が転げるように駆け出した。
「……殿下?」
にわかにザワつき慌ただしくなる男たちを眺めつつ、エルシィは彼の言葉に引っかかりを覚えて首をかしげるのだった。
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