110亜麦の正体
塩のお店でスパイスーな香りを堪能した一行は、次のお店を求めて市場の路地へと戻った。
とは言え、特に目的があるわけではなく、また気ままに散策するだけだ。
「あ、そうだ」
いや、目的らしい目的を思いついたらしく、エルシィが声を上げる。
「どういたしましたかエルシィ様。
なにか欲しいモノでも見つけたのですか?」
「欲しいと言いますか……さっき話に出た亜麦が見てみたいです」
斜め後ろを歩くキャリナの問いに振り返りもせず答えたエルシィは、キョロキョロとならんだ露店を見渡した。
とは言え、穀物類を売るお店がどれかなんて、始めて来る市場ですぐ見つけるのは困難である。
エルシィは困ったように人差し指であごをトントンと突いてから、護衛についてきているフレヤを見る。
見て、コテンと首をかしげてみせた。
「はい、エルシィ様。すぐ探してまいります」
そしてすぐに主人の言いたいことを察したフレヤが、まるで花が咲いたかのような笑顔を浮かべて駆け出そうとする。
それを止めるのはもう一人の護衛、アベル少年だ。
「おい待て、近衛が離れてどうするんだ!」
「アベルはヘイナルのようなことを言いますね」
不満そうに足を止めて振り返るフレヤ。
呼び止めたアベルもまた不満顔だ。
「オレもヘイナルも、護衛として当たり前に事を言っているだけだ」
そのヘイナルがここにいない以上、この考えが少し足りない近衛を操縦するのは自分しかいない、ということに気付き、アベルは少しばかり眩暈を感じる思いだった。
「アベルは強いから大丈夫でしょう。
なんならアレやったらどうですか?」
「アレ、とは?」
「しゅべると……なんとか」
「……剣の舞な。
こんな人混みでやったら、大変じゃないか……」
やっぱり考え無しの言うことは危険だ。
そう再認識をするアベルだった。
「探しになんか行かなくてもわかるにゃ
……あれにゃ」
結局、そんな二人のやり取りにため息をつきながら、ねこ耳メイドのカエデがため息交じりにその店を指さした。
「よくわかりますね?」
「小麦の色……黄色い旗が出てるにゃ。
あれが粉売りの印にゃ」
「なるほど」
見れば確かに、天幕の柱に風化なのか染色なのか判らないような小さな黄色の布が括りつけられている。
図案だったら良かったのだが、さすがにこの符丁では判る者しか判らないだろう。
まぁそれはさておき、エルシィは一行を引き連れてその露店へと向かった。
「へいらっしゃい」
威勢と体格が良い店のオヤジが出迎える。
見回せば、天幕の中にはパンパンになった麻袋が山と積まれていた。
「ですよねー、はは」
その様子を見てエルシィは苦笑いを浮かべる。
ここは市場である。
市場で食材を買い付けるのは、料理を提供するお店の人か、もしくは家庭の料理担当者だ。
ならばこうして一定の単位ずつ袋詰めされているのが当たり前だろう。
そしてビニール袋がない以上、このままで中が見えないのもまた当たり前だった。
「オヤジさん、亜麦はあるかにゃ?」
さてどうする、という顔で思案しているエルシィをさておき、カエデがすすっと前に出てそう声をかける。
店のオヤジもこの集団を怪訝そうな顔で見ていたので、カエデの声にやっと商売を思い出したようだった。
「お、おう。亜麦な……こっちの袋がそうだ」
身なりからして良い所のお嬢さんが護衛と侍女、メイドを引き連れて何の用かと思ったが、まぁどっかの商家のお嬢かも知れない。
ならば何が自分の商売につながるか判らない、と店のオヤジは気持ちを切り替えた。
切り替えれば、あとは商品を見せて売るだけだ。
目的の亜麦の在処が判ったところで、カエデは「さぁどうするにゃ?」と呟きながらエルシィを見る。
エルシィは少し思案してから店のオヤジへと声をかけた。
「えと、中を見ることはできますか?」
「普段は見せねえが……まぁいいだろう」
我々の社会では品質を目で確認してから買い物するなど常識レベルの話だが、この世界ではまだそこまでの意識は一般まで広まっていない。
特に麦など主食として一度に大量買いするようなものは、ほとんど店の信用に任せて買い付けるのだ。
それでも商人同士や一部の拘る料理人相手ならそういうこともあるので、店のオヤジも肩をすくめながら一番小さな袋を渋々開ける。
「ほれ、どうだ。
なかなか良いツヤだろ?」
自信満々である。
この態度に感心しつつ、エルシィは袋を覗き込んだ。
そこには……粉が入っていた。
「ですよねー」
当然である。
先にも述べたがここで買い求められるのは「食材」なのである。
つまりすぐにでも料理に使えるものが求められるのだ。
すなわち、麦、亜麦であれば製粉後の状態なのだった。
「あのー、製粉前のモノってありませんか?」
まぁ、ダメもとで訊いてみた。
店のオヤジはまた怪訝そうに表情を変えた。
このお嬢さん、商家ではなく豪農か何かの娘か?
だとすると商売にはなんねぇか。
とはいえ、ここで態度変えるのも良くねぇ。
と考えを巡らせてため息を吐いた。
吐きながら、オヤジは奥の箱から一握り程度の小袋を出してくる。
「見せるだけだぞ。これは預かりもんだから売れないんだ」
そう言って開けた小袋には、確かに脱穀前のモノが入っていた。
いわゆる籾である。
「これはやはり……お米ですね」
エルシィはゴクリと固唾を飲む。
素人ならこの状態から判断など出来ないだろうが、エルシィの中にいるのは元食品総合商社のベテラン社員である。
これが米か麦かくらいは見分けがつくのだ。
「うふふ、明日は製粉前のモノを買い付けに、農家へ行きたいところですね?」
エルシィはとても楽しそうにつぶやいた。
次回は金曜更新予定です




