011騎士府(後)
機嫌がすっかり治ったことを見て取り、側仕えたちは少しばかりホッした。
グラウンドの片隅で騎士たちの訓練に目を輝かすエルシィと、微笑ましくエルシィを眺める側仕えたちでしばらく過ごしていると、何人かの騎士がこちらに気づいたようだ。
その中から、特に大きな身体の男がノシノシと近寄ってくる。
年配者のようで、軍人らしい短髪が半分くらいは白髪だ。
鋭い眼は焦点が読みづらく、遠くを見ているようでもあり、近くを見ているようでもある。
そんな二mを超えるだろう巨漢が口元を緩ませてエルシィの前で膝を付いた。
「これはこれは姫様ではありませんか。この様な所でお会いするなど珍しい」
エルシィはまたもドキッとした。
この口ぶりだと年配の巨漢騎士はエルシィを知っているようだが、当然ながらエルシィはこの男を知らない。
どうしたものか、と目を彷徨わせると、さりげなく前に出たキャリナが先に口を開いてくれた。
「本日はエルシィ様の体調がよろしいので城内を散策しているのです。こちらの見学をお許しください騎士長様」
でかしたキャリナ。いよっ、出来る侍女!
などと内心で称えつつ、エルシィはこの巨漢の顔と立場を覚えるために凝視する。
騎士長と言うからには騎士府の偉い人だろう。
名前も判ればベストだったのだが。
「そうであったか」
キャリナの言葉に大きく頷き、騎士長はエルシィへと恭しく述べた。
「姫様、心行くまでご観覧くだされ。
姫様の目があれば騎士たちにも励みとなるでしょう」
エルシィは未だ自分の立場に慣れていないこともあり、何と言葉かければよいかと悩みつつも、とりあえずニッコリと微笑みを返して頷いた。
すると膝立ちから戻った騎士長がしげしげとエルシィを眺める。
いや正確に言えば服装を眺めた。
「その乗馬服はカスペル殿下のものですな。お懐かしい。
確か殿下が六歳の頃、乗馬訓練を始めたばかりの時に着ていたものでしたか」
言われ、エルシィも自らの服を見下ろして眺めた。
ピッタリとした動きやすいズボンに、上は丈の短いジャケット。
運動しやすい服ながら、どこか凛々しさや気品を感じさせる服装だ。
いかにもクラシックな乗馬服である。
というか、兄六歳の時の服がぴったりな八歳児って、どんだけ小さいの。
子供の時の成長って、女子の方が早いんじゃなかったっけ?
などと、エルシィは自分の成長具合に愕然とした。
「それにしても」
と、これまでまるで孫を見るような眼をしていた騎士長が、急に二人の近衛士へ厳しい目を向けた。
「たとえ調子が良いとはいえ、身体が丈夫でない姫様に歩かせるとは良くないのではないか?」
え、ちょっと過保護なんじゃない?
とエルシィは思ったが、確かに丈二が入るまでのエルシィはほとんど寝て過ごしたというのだから騎士長の心配ももっともだ。
睨まれた近衛士たちは「う」と短い声を上げて答えに窮する。
「し、しかしホーテン卿。我らが姫様を抱き上げて運んだとして、いざと言う時に困るではないですか」
とはいえ、黙っていては自分の非を認めることになるだろう、と、ヘイナルは急いで自らの理を述べた。
これもまた正論であるだけにエルシィはどちらの弁の肩を持つべきか迷ってしまった。
彼ら近衛士の仕事はあくまで護衛だ。
ちんまい子供とは言え、その重さは二〇kg弱くらいある。
歩くのがつらいからと言って、その重しを抱えたさせたまま護衛戦を敷かせるのは、あまりにも酷というものだろう。
そう考えながら腕を組み、その反面でエルシィは「騎士長の名前はホーテン卿。騎士長の名前はホーテン卿」と繰り返して憶えた。
「ふむ。ではちょっと失礼いたします姫様」
「ふえ!?」
急に身体がふわっと浮いたので、驚きに声を上げた。
少し自らの思考へ深く入り込みすぎて、何が起こったのか解らなかったのだ。
急ぎ周囲を確認するようキョロキョロして、やっと現状が把握できた。
エルシィは騎士長ホーテン卿の左腕に抱えあげられたのだ。
「お、おう」
二mを超す巨漢の腕に抱えられると、地面がものすごく遠く感じられる。
だが、鍛え上げられたホーテン卿の左腕はエルシィの体重にもびくともしない様で、まるで丸太に座っているような安定感があった。
「近衛士は少々鍛え方が足りぬのではないか?」
エルシィを抱えたまま、ホーテン卿は二人の若い近衛士を見下ろすように言う。
その目は呆れと少々の失望感が見て取れる。
「どれ、打ちかかってこい!」
そして空いている右手で二人を挑発した。
「ホーテン卿! お戯れが過ぎます。すぐ姫様をおろし……」
と、慌てたヘイナルが言いかけた時だ。
彼の横から一陣の疾風が躍り出た。
「ホーテン卿、お覚悟!」
それは腰の短剣を躊躇なく抜き放ったフレヤだった。
矢の様に飛び出たフレアの斬撃がホーテン卿の頭上へ迫る。
が、余裕の表情のまま、ホーテン卿は右手をツイと払うように動かし短剣の軌道を逸らした。
逸らし、さらには態勢を崩したフレヤの足を蹴たぐった。
フレヤはたちまち、一回転してグラウンドに落ちる。
「はっはっは、なかなか鋭い斬込みだが、それではまだワシに傷一つ付けられんよ」
そんなホーテン卿の笑いに、緊迫した空気が一気に弛緩した。
「ご指南、ありがとうございました。精進します」
キャリナとヘイナルはホッと息を吐き、フレヤは神妙に片膝をついて頭を垂れた。
ただ、初めて間近に剣の斬っ先を見せられたエルシィだけが、表情をこわばらせたままひきつった笑いを浮かべるのだった。
狸顔のおっとり美人、などと考えていたが、フレヤさん、実はただ考えなしの脳筋なんじゃないだろうか。
ヘイナルの言ってた「考えが少し足りない」ってこういうことなのか。
……少しどころじゃないんじゃない?
そう疑い始めていた。
その後、エルシィはホーテン卿に抱えられたまま訓練場をめぐって、騎士たちに声を掛けたり、剣技や槍術、馬術を見せてもらった。
「姫様も乗馬をなさいますか?」
「やってみたいです!」
若い騎士に問われて即答したエルシィだったが、すぐにキャリナに止められた。
「まずは体力づくりが先です。いきなり乗馬などやったら、明日からまた寝たきりですよ」
そう言われれば尤もなので、「乗馬服いみねーな」と呟きながらもエルシィしょぼんと頭を垂れて承知する。
「ではお身体の具合が良い時に、騎士府の片隅をお借りして少し運動をいたしましょう。
ある程度体力がついたら習えば良いのではないですか?」
「それな。いや、そうしましょう!」
見かねたキャリナの提案に、エルシィは両手を握って頷いた。
ちなみにこの間、フレヤはヘイナルからこってりと絞られた。