109塩屋さん
「塩とか珍しくもないにゃ。変わった姫さまにゃね」
市場に出ている塩の店に側仕えたちを引き連れて駆けて行くエルシィを見て、ねこ耳メイドのカエデはため息交じりに肩をすくめた。
そしておもむろにポケットから取り出した紙束に何かを走り書く。
これは我々が使うメモ帳の様なものだと思えばいいだろう。
この世界では羊皮紙ではなくいわゆる植物紙が流通しているが、すべてが手作りなのでそれほど安価でもない。
ゆえに庶民は古紙屋から誰かの使い古しの紙を安く買い、こうして束ねて書きつけたりするのだ。
一通り書くべきことを書いたのか、カエデはその紙束をまたポケットにしまい、エルシィたちの後を追うのだった。
「主が先頭になってはいけないと、いつも言っているでしょう」
慌てて追って来たキャリナに叱られ、エルシィは「はぁい」と言いつつすました顔で塩屋の天幕の下へ入った。
続いて神孫の姉弟やフレヤも入るものだから、それだけで天幕はいっぱいになる。
「なんだい、たくさんお客さんが来たと思ったら、どっかのお嬢さんかい」
特にガッカリした風もなくそう言うのは、塩屋の店主だろう白髪のやせた老人だ。
彼は他の出店と違って客に呼びかけるでもなく、ただ並べた壺を前にして椅子に座り本を読んでいたようだ。
先にも述べたが紙がそれほど安価ではない以上、本だって高級品である。
エルシィが公国で使っていた教科書の値段が、おおよそ庶民の稼ぎひと月分くらいなので、頑張れば買えるが、だからと言っておいそれと買えるものではない。
つまり、店番しながら暇つぶしに本を読めるこの老人は、それなりに裕福なのだろうと察せられる。
エルシィは天幕内をキョロキョロと見まわし、幕の骨組みに掛けられた小さな旗に目を止めた。
城の絵などが入った盾の紋章と、壺の絵が描かれた旗だ。
この紋章は最近よく見る。
つまりハイラス伯の紋章である。
ちなみにこの土地を治めていた元ハイラス伯爵は逃亡し、エルシィが印璽を手に入れたので、実のところ現在のハイラス伯はエルシィなのである。
つまりハイラス伯の紋章は、現状そのまま国内で使われているのであった。
店主はエルシィがその旗に目を止めたのに気づき肩をすくめる。
「うちは伯爵様から許可を得ている真っ当な塩商人だよ。
並んでいるのもまがい物じゃない良い塩ばかりさ」
それを聞き、エルシィはなるほど、と頷いた。
別に何かを疑って見ていた訳ではない。
そもそもハイラス伯国にて塩の販売が許可制とは知らなかったので疑いようもない。
いや、そもそも塩は戦略物資でもあるので、許可制であったり専売であったりしても何の不思議もない。
ないが、基本的にその辺りの許認可は水司の仕事なのでノータッチだったのだ。
たとえ「伯爵様の許可」と言えど、実際に許可を出すのは官僚なのである。
……とまぁ、許可制については今知った訳だが、余計なことを言わずに知った顔で大仰に頷くのだった。
「塩にまがい物などあるのですか?」
と、さりげなく誤魔化し顔のエルシィをよそにキャリナが訊ねる。
「あるさ。
雑な作り方している塩もあるし、わざわざ混ぜ物してカサ増しするヤツもいる。
当然そんな商品は許可されんがね」
店主のそんな言葉にカエデは「あるにゃ」と納得気に頷き、他の者たちは感心そうに「ほぉ」と声を上げる。
このあたりは出自の違いだろう。
「例えばどんなものを混ぜるのです?」
「……そうさな、亜麦を細かく砕いたものなんかはよくあるな」
「亜麦……でしたか」
訊いて、判ったふりをしているが、実は判ってないエルシィだった。
それを察して、キャリナがすかさず耳元に口を寄せる。
「小麦に似た作物で、実が固いのが特徴です。
小麦より製粉に手間がかかるので一、二段下がる食材とされていますが、温暖なハイラスの地ではよく育ち広く作られています」
「姫様の食べてるパンの材料にも混ざってるにゃ」
「そうなのですか」
なるほど、ここに来てからパンの食感がちょっと違うなと思ってましたが、そういうことですか。
と、エルシィは謎が解けた、という顔で何度も頷いた。
そして、あれ? と気づいて首をかしげる。
もしかして亜麦ってアレなんじゃないの?
という顔である。
「これは今度確認しなくてはなりませんね」
「これは何か面白いことを思いついた顔ね?」
「くふふ、さてなんのことでしょー」
つい呟いた言葉をバレッタに拾われるが、まぁこれは後々のお楽しみにしておこうとごまかした。
バレッタは楽しそうな顔でノリに突き合い、一緒になってくふふと笑った。
さて、いろいろと他ごとに思いを馳せたが、気を取り直して塩の壺を見る。
「塩は一種類ですか?」
たぶん違うだろう、と思いつつもエルシィは訊ねる。
いくつも置いてある大きな壺だが、色違いの壺が何個かある。
そこに付けられた値札もまた違うので、これらは違う種類だと思ってのことだ。
はたして、店主の答えは予想通りであり、また予想を少し超えていた。
「いや、天日塩と岩塩と、まぁいろんな地方の塩がある。
あと他の壺は輸入物の香辛料さ」
「香辛料! どれどれ……」
「なんだい嬢ちゃん、料理に興味あるのかい?」
「えへへ、まぁそんなところです」
店主の、微笑ましいものを見るような顔にちょっと照れつつ、エルシィは早速と塩以外の壺へと寄って行った。
まず黒い壺。
開けて見ると、黒い乾燥した小さな実がある。
「これは胡椒ですか。もう一つは……」
続けて赤茶色の壺を空ける。
こちらは開けた瞬間につんとした香りがした。
赤く細長い実がぎっしり詰まっている。
「こちらは唐辛子ですね」
どちらも辛味スパイスの代表格と言えよう。
塩以外の壺はこの二つのみだったか、それでもエルシィは満足そうにニンマリとした。
「こんなのどうやって使うにゃ?」
ひと一倍に嗅覚が鋭いのだろう。
眉をしかめながら鼻をおさえたカエデが訊ねる。
これに店主より早く目を爛々とさせたエルシィが答えた。
「いろいろな料理に使いますけど、胡椒は塩と一緒にステーキで使うと、無敵に素敵な仕上がりになりますよ。
唐辛子は炒め物や漬物に使うとピリリと辛いアクセントになるでしょう」
「ほほう嬢ちゃん物知りだね。
どっちも輸入品で数が少なくて高価なんだ。
おかげで一部の美食家しか買っていかんし、知名度も低いのだが」
「えへへ……」
店主の感心した言葉に、エルシィはまた笑ってごまかした。
次回は来週の火曜日を予定しております




