102情報政策の顛末
さて。
次の日の朝食でエルシィ陣営の人材として採用を言い渡されたユスティーナは、困惑しながらもフレヤに連れられ孤児院へと行った。
「アベル。しばらくは負担をかけるけど、よろしくお願いしますね?」
そうなると護衛に着くのがアベルだけということになるので、エルシィは振り返ってそう伝える。
ハイラス伯国の近衛府メンバーは、おおよそ旧伯爵陛下を護衛しつつ隣国へ行ってしまった。
まぁ残っていても忠誠心などの問題でエルシィの護衛を任せられるものではないのだけど。
ともかく、その空っぽな近衛府を何とかするために、エルシィの筆頭近衛であるヘイナルはちこち駆け回って人材を手配しているのだ。
アベルはなんてことない顔で頷いて、自分の胸をトンと軽く叩いた。
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
昨晩言われたのでもう丁寧にしゃべろうとするのはやめたアベルだ。
この方が堂々としていて頼もしく見えるのは気のせいだろうか。
そんなことを考えながらほほ笑んだエルシィは、続いて執務へ取り掛かるのだ。
彼女を待っている案件は、情報政策以外にもたくさんある。
むしろ情報政策は自分で言い出したことなので、仕事が増えたともいえる。
ちなみに情報政策の一環として、実はすでに外交に着手していたりする。
内政官と比べて外政官はあまり逃散していなかったので人手に余裕があるということもあったが、何より頼りになるエルシィの実兄、カスペル殿下が側仕え衆を引き連れて応援に来てくれたことが大きい。
そのカスペル殿下には、そのまま親書と共に外遊に出てもらったのだ。
つまり「此度のハイラス伯国接収には正当性がある」ということを、近隣諸国に伝える為のメッセンジャーである。
ジズ公国の貴公子であるカスペルにはうってつけの仕事なのだ。
なのでこっちはもうエルシィの手を離れているので余裕綽々である。
ちなみに残っていた外司府長は、国内の式典などについての仕事があるので別にお手すきという訳ではない。
外司府は外交と式典、祭典などを取り仕切る部署なのだ。
それから一週間ほどが経った。
いつも通り小さなウサギ神を机上の文鎮代わりにしながら執務に精を出すエルシィに、新たな報告書や決算書を携えてやって来たキャリナがこうつぶやきかけた。
「もう効果が出始めているようですね。
まさかこんなに早いとは……女神様の御使いは伊達ではなかったのですね」
感心しているのか貶しているのか、そんな風にも取れる言葉だった。
ただエルシィは何のことかわからず小首を傾げる。
「……何の効果が出たのです?」
「あら、まだご存じなかったですか。
まぁエルシィ様はここ最近、こもりきりですしね……」
そうなのだ。
午前執務、午後は各司府や有力者などとの会合というサイクルなので、エルシィの生活は完全に外の情報から閉じられていると言っていい。
一応、報告や世間話という形で間接的に入っては来るが、直接見て来た一次情報から比べると様々なバイアスを受けた参考情報でしかないのである。
ともかく、これもそんな世間話で入って来る二次情報ではあるが、それでも側近という信用できる筋からの話なので重要度は高い。
エルシィは報告書を読む目を止めて顔を上げた。
「市井の子供たちを中心に、エルシィ様を讃える歌が流行ってるみたいですね」
「へぇ、それはまた……」
そんな言葉を聞いて、エルシィは微妙な顔で頷いた。
一応これはエルシィが考えていた流れではある。
ハイラス伯国によるジズ公国侵攻、そしてそこからの逆撃と元伯爵の逃亡、そしてエルシィの総督就任。
このあたりの話を、エルシィたちの正当性を交えた詩吟にして流布してもらう。
それが当初からの計画であった。
その為に吟遊詩人見習いであるユスティーナを雇ったのだ。
だが今はまだその準備段階のつもりだった。
当のユスティーナは師匠から遠ざけられたせいか、自信なさげなオドオドした人物なので、とりあえず仕事の前に気持ち的にもほぐれてもらおうと、そういう段階だった。
つまりこれは、ユスティーナの案内を任せたフレヤの暴走である。
「そういえばフレヤって、公国でも孤児院からわたくしの評判を広げてくれてましたね」
「あらまぁ。
その辺りも織り込んで、フレヤに任せたのかと思っていましたわ」
ちょっと遠い目をしながら、エルシィは現実から目を背けるかのように執務に没頭するのであった。
少しだけその後の話をしよう。
街で小さな姫君の苦労譚の様な歌が流行の兆しを見せ始めると、ユスティーナ以外の吟遊詩人たちもこれを扱い始める。
元締めであるユリウスは為政者を嫌う傾向にあるが、とは言え他の吟遊詩人の儲け話を邪魔する程の権力はない。
ゆえに流行こそ正義の|無党派な吟遊詩人たちは、エルシィの噂を集めては次々に詩吟へと反映させて積極的に流布していった。
実際、賄賂を要求する小役人を追い出したエルシィは、市民からおおむね好意的にみられていた。
ゆえにこれらの流行は急速に広がっていく。
もっとも、エルシィが一斉に摘発し更迭したことになっている悪徳役人は、公国から入って来たエルシィの評判を聞いて勝手に逃げたというのが真相である。
だが、急速に広まるモノには反発もつきもので、世の流行が気に入らないマイノリティたちのさらに過激寄りの一部は、酒場の片隅なんかで愚痴を垂れ流すのだ。
そしてエルシィが着任し一ヶ月が過ぎたころ、コズールが発見されて逮捕されたのだった。
やっと2章冒頭に戻ります
次回金曜更新、コズールが登場! するはず
いや先にユスティーナ視点の話かな?