101エル・クリーク
「さて、私はそろそろ仕事に戻らせていただきますよ。
訊きたかったのは、ユリウス殿まわりの事情だったのでしょうし」
驚きと唖然のひと時が過ぎると、カップのお茶を飲みほしたクーネルが席を立った。
確かに彼を引き止めた大きな理由は言う通りだったので、エルシィもこれ以上の同席を求める気はない。
ただひとつ。
「お忙しいでしょうけど、程々で休んでくださいね?
お仕事は大事ですけど、健康はもっと大事ですから」
これだけは言っておこうと思ったのだ。
サラリーマン時代、何かと忙しく飛び回る仕事だったので、身体や心を壊してリタイヤする人はそれなりに見て来た。
そうした人はおおよそ仕事から解放されてホッとした顔をする。
転職で収入が減る人も多いが、街などでバッタリ会うと顔色が良く穏やかな様子になっている人も多い。
そんな場面に出くわすたびに「ああ、健康って大事」と常々思うのだ。
言われ、クーネルはポカンと口を開けて間抜けな表情を見せる。
今まで様々な上司から、「もっと働け」とせっつかれることは何度もあった。
だが「ほどほどでいいよ」などと言われたことは一度も無いのだ。
クーネルは少し面白い気分になり、ふふふと小さく笑った。
「あれ、何か変なこと言いました?」
その様子に、エルシィもまたキョトンとして首をかしげたが、クーネルは静かに首を振り、改めて畏まった仰々しく腰を折って跪く。
「ははぁ、姫様の仰せの通りに」
エルシィはまだ不思議そうな顔をしていたが、クーネルは幾分疲れが抜けたような様子の軽い足取りで食堂を去って行った。
「わたくし、何か変でした?」
クーネルの背を見送り食堂の扉が閉まると、エルシィは周りの者に向けて首を傾げなおしてみる。
だが、誰も柔らかい微笑みを浮かべるだけで、彼女の問いに答える者はいなかった。
またひと時、エルシィが疑問符を浮かべる時間が過ぎ、食堂の話題はユスティーナの話に戻る。
とは言え、もう結論は出ている。
「では、ユスティーナさんは採用ということで」
何度も言うがエルシィ陣営は人手不足なのだ。
それが有能な人材ならば、見逃す手はない。
「しかし、あのオドオドした性格は何とかした方が良いんじゃないか? ……いいんじゃないでしょうか」
おおよそエルシィの言には賛成であるが、という前置きを無言で表しながらアベルがそう意見を述べる。
確かに詩吟を奏でる有能さは認めるが、あの様子ではそれを発揮するにマイナスでしかないだろう。
これはアベルだけでなく、ここにいるほとんどがそう思っていた。
「そうですねぇ。
まぁまだ若いですし、何とでもなります。
彼……いえ、彼女は褒めて伸ばし、そして成功体験を味あわせるところからですね」
「成功体験……ですか」
またぞろ聞きなれぬことを言いだした。という表情でキャリナが復唱する。
まぁ、字面から意味は想像できるが。
「それで、ユスティーナには何をさせるの?」
ちょっとワクワクした顔で身を乗り出すのはバレッタだ。
面白いことならあたしも一口乗るわ!
と言いたげな表情だった。
エルシィは勿体着けるようにニヤリと笑い、バレッタの肩を押し戻す。
「まぁまぁ、まずはのびのび仕事できるよう、楽しんでもらうところからですね。
これは……フレヤにお手伝いしてもらいましょう」
「私ですか!?」
まさか自分が指名されるとは思っておらず、どちらかというと他人事で聞いていたフレヤが優雅に飲んでいたお茶を噴いた。
「ええ、まずユスティーナには孤児院で、好きに歌ってもらおうと思うのですよ。
孤児院の子たちも楽しいし、近い歳の子たちを相手にすればユスティーナも気楽でしょ?」
「でも私は姫様の護衛という任務があります」
理由を述べるエルシィに対し、フレヤはいかにも困ったように頬に手を当てて言う。
その裏には、まさか近衛の任を解かれるのでは? という恐れもある。
「孤児院のことですからフレヤが適任だと思うのです。
頼りにしてます!」
「はい! お任せください!」
が、次に出たエルシィの言で、彼女の感情は反転するのだった。
こうして夕食後の会議はおしまいとなり、それぞれが席を立った。
そのタイミングでエルシィは思い出したように声を上げる。
「あ、そうですそうです。言うのを忘れるところでした」
「どうかしましたか?」
キャリナが訊ね、エルシィと共に食堂を出て行こうと身の回りを整え始めた側仕えたちが振り返って、エルシィの言葉を待つ。
エルシィは皆が反応してしまったので少しビビりつつ、取り繕いながら口を開く。
「えーと、その。アベル。
無理に丁寧な言葉遣いしなくていいですよ?」
何を言われたのか一瞬判らなかったアベルだが、いろいろ思い当たるので恥ずかしくなって片手で目を覆った。
なかなか慣れない丁寧な口調で、いつも言いなおすのを咎められたと思ったのだ。
「あ、違う違う。ホントにそう思ってます。
アベルは……いえ、わたくしたちまだ子供ですし、もっとお友達感覚でいいと思うのです。
ねぇバレッタ?」
助けを求めるようにアベルの姉を見るエルシィだった。
この姉の方は、丁寧に話すなどまったくやっていないし、それどころかエルシィのことは「お姫ちゃん」呼ばわりだ。
気楽なんてものじゃない。
「アベルは真面目だけど不器用よね。
お姫ちゃんがこう言っているのだから、もうやめちゃいなさいよ」
少しタジタジになったアベルだったが、大きくため息をつき「わかった」と小さく言った。
エルシィは満足そうに頷いて、それぞれはエルシィの部屋に向かって進みだした。
が、しかし。
「さーて、明日は五人目の『姫様一党』メンバーにいろいろ教えてあげなきゃね」
と、歩を進める中で何の気なしに出たバレッタのそんな言葉で、足が止まる。
「その、える……何とかって……なんですか?」
実は最近、街で言われているのだ。
国を治める幼い姫。
そしてその側近であるバレッタとアベル。
その子供たちを人呼んで『姫様一党』と。
何か唖然とした表情のエルシィをさておき、行列の最後尾を歩いていたねこ耳メイドのカエデが大きく首をかしげる。
「ちょっと待つにゃ。
五人? 計算間違ってるにゃ?」
「当然、カエデも入ってるわ!」
言われ、カエデもエルシィ同様に唖然とした。
ちょっと職場の方に不幸があり、その穴埋めをする関係上、金曜の更新はお休みさせていただきます
次回更新は来週の火曜です