001エルシィ
彼が目覚めると、なぜか年端も行かぬ女の子だった。
「ああるえぇぇ!?」
ベッドからガバりと半身起こして叫ぶ。
部屋に響くのは聞きなれたものではなく、鼻に掛かったような甘い舌足らずな声。
声だけではない、ベッドもおかしい。
大学時代から使っているリーズナブルなパイプベッド。では無く。
木製の重厚な天蓋付きベッドだ。
もちろん部屋もおかしい。
六畳ワンルーム、バストイレキッチン付きの安アパート。では無く。
古いが品の良い家具類が散見される、十二畳はあろうかと言う部屋だ。
畳とは言ったが、もちろん洋間。
一通り見回して、壁に掛けられた鏡に目が留まる。
縁に装飾を施された、楕円形の姿見だ。
そろそろとベッドから降りる。
いや、降りようと思って躊躇した。
足元はホームセンターにて六畳用三九八〇円で買った再生プラスチック製のカーペット。ではもちろん無い。
踏み込んだ足がふわりと沈み込む様な、毛の長いウールの絨毯だ。
「おおっと、裸足じゃダメっぽい。雰囲気的に」
取り急ぎ履物を探せば、ベッド脇に置かれた可愛らしいもこもこなスリッパが目に入った。
さすがに自分が使うにはちょっと可愛すぎ、と思ったが、かと言って高級敷物の上を素足で歩き回る度胸も無い。
数秒の苦悶の末、彼は可愛いスリッパに足を通した。
意識を鏡へと戻し、恐る恐ると歩み寄る。
するとまぁ、なんということでしょう。
そこには、薄金色した長い髪の幼い少女が映っていた。
「ああるえぇぇぇぇぇぇぇぇえ!?」
今度の叫びは、屋敷中に響き渡ったと言う。
上島丈二はサラリーマンである。
サラリーマンとは何かと言うと、端的に言えば「月給取り」の事を指す。
イメージとしては、「商社などの正社員として背広を着てアクセク働く人」というのを思い浮かべがちではないだろうか。
上島丈二も、そんなイメージを背負うに相応しい、アラフォー社会人だ。
世間ではブラック企業などという言葉が流行っているが、そんな流行言葉の曖昧な定義に従えば、上島丈二の勤める会社もまたブラックである。
ただ、確かに出張が多く拘束時間は長いがその代価はシッカリ払われているし、休日出勤も当たり前にあるが、忙しい時期を過ぎればまとめて代休や有給が取れる。
ブラック企業という言葉の本来の意味は「法的に黒い」ということなので、その定義に従えば歴としたホワイト企業なのだ。
こんな企業は日本にいくらでもある。
上島丈二は、そんなどこにでもある小忙しい某商社のいち社員であった。
まぁ、丈二の勤める会社の事はこの際あまり重要ではない。
重要なのは、海外出張から戻ったばかりで様々な処理により夜遅くなった丈二が、疲労でふらつきながら帰路の途上にあった。と言うことだ。
「ここもすっかりシャッター街になっちゃったなぁ」
この街は丈二の地元だ。
名前が示すとおり彼は次男なので実家からは出ていたが、なんだかんだで結局は地元へ戻っての就職に落ち着いたのである。
なので今歩いている商店街も、もっと栄えていた頃から知っている。
時間からして閉店時間でもおかしくないような頃合ではあるのは確かだが、並ぶシャッターはどれも長く開けていない風合いだった。
日本全国のあらゆる商店街同様、ここも時代という津波に呑まれた場所だ。
具体的に言えば、近隣に建った大型ショッピングセンターのあおりを受け、買い物客の足が遠のいた。というところか。
その後のリノベーションにまだ乗り出していない。
そんな印象の商店街だった。
ともかく、丈二はちょっとした郷愁に駆られて立ち止まった。
まぁ、郷愁と言ってもここは地元なのだが、それはいい。
人気も感じない。
生活の気配も薄い。
道を照らすはずの街灯も所々切れている。
そんな商店街でゆっくりと歩を進めると、ふと、道端に風呂敷を広げて座り込む誰かが目に入った。
上から下まですっぽりと一枚布の被り物をしていて、男なのか女なのか、若いのか年配なのかもわからない。
見るからに怪しげな雰囲気ではあったが、治安のいい田舎街であるがゆえに、丈二はまったく警戒心を働かせなかった。
「何を売ってるんです?」
無許可の露天商だろう、と当たりをつけて覗き込む。
すると被り物の人物は疲れた目を上げて丈二を見た。
それはメガネをかけたうら若き女性だった。
綺麗にすれば割と美人かな? とは思ったが、丈二は何となく独りを貫く身であり、すでに色恋ごとは面倒ごとと割り切っていた。
ゆえに、興味はすぐに売り子より商品へと移った。
広げられた風呂敷に並んでいるのは、古いROMカセットだ。
「うわ、懐かしい。今の学生くらいじゃ、判らないヤツも多いんだろうなぁ」
ROMカセット。
古のゲームソフト形態である。
丈二も今ではゲームなどすっかりご無沙汰だったが、子供時分にはかなりお世話になったものだ。
いわば、この形態のゲームソフトは、丈二の青春の友だったとも言えるだろう。
などと、ほんわかな気分になった丈二の言葉に、売り子の女性は怪訝そうに眉をひそめた。
「え、若い子には今、これが一番ウケるって聞いたんだけど」
「さすがに情報古いよ」
丈二はその呟きに苦笑いを返し、続いて自分の財布を探った。
社会人である自分にとっては、そこに並ぶソフトの値段などたいした金額でもない。
戯れに一つ買って、ちょっと懐かしい気分に浸ってみるのもいいかと思ったのだ。
押入れを探れば、まだこのソフトを使うゲーム機があったはずだ。
「さて、どれにするかな」
「あれま。買ってくれるの?」
丈二の反応にショックを受けていた売り子さんは、翻って明るい表情を浮かべた。
まぁこんな時間に、こんな人通りも無い場所で露天を広げる神経は解らないが、きっと当然ながら全然売れなかったのだろう。
と、丈二も不憫に思いつつ、並んだソフトに目を向ける。
ところが、だ。
三〇個ほど並んだどのタイトルも、丈二が見たこと無いモノばかりだった。
そりゃ、このハードが流行していた当時はソフトも何千本と発売されたのだから、丈二が知らないものがあっても不思議は無い。
とは言え、三〇も並べば一つくらい知っているのが普通である。
未だに中古が残っているほど本数が出たタイトルであればなおさらだ。
「お勧めはコレ。ロボットアクション物だよ」
戸惑う丈二を他所に、売り子さんはうれしそうに一つのソフトを掲げてくる。
「『ロードスカッシャー』? やっぱり聞いたこと無いなぁ」
眉を八の字にして首を傾げる。
まぁどちらにしろそのソフトを買うつもりは無い。
なぜなら、丈二はアクションゲームがあまり得意ではないのだ。
「ロールプレイングかシミュレーションは無いの?」
「うーん」
丈二の問いに腕を組んで考え込み、売り子さんもまた並んだソフト達を眺めた。
しばし眺め、そして一つのソフトを手に取り掲げる。
「『レジェンダリィチルドレン』?」
丈二が読み上げたそれが、そのソフトのタイトルだった。
「ええと、たぶんシミュレーションロールプレイングってやつだよ、うん」
「ほほう」
これには丈二もニッコリ。
その後もしばし検討したが、結局はそれを買う事にしたのだった。
「毎度あり。その世界のことは、しっかり頼んだよ」
売り子さんは、そう、少々意味不明な挨拶で丈二を見送った。