われ思う、ゆえに天使あり
「はぁー、緊張した―」
一仕事終えた俺は伸びをした。
横にいる天留美が微笑みかける。
「神様、お疲れ様です。あの、何か飲み物で持ってきましょうか?」
「いいよ。それともう勇者は旅立ったから、神様モードは終了だ。決めただろ『神様』と呼ぶのは勇者の前だけだって」
「あっ、はいです。はるやお兄ちゃん」
俺の顔がほころぶ。
やっぱりいいなー、お兄ちゃん。
もう一回呼んでもらいたいけど、要求したら引かれるかな?
ああでも一仕事終えた後だし、そのぐらいご褒美があっても、フヘへ……。
「はるにいー! ねえ、聞いてる? はるにいー!」
天鞠が俺の服を引っ張る。
いかん、お兄ちゃんと呼ばれたのが嬉しすぎて恍惚な気分に浸ってしまっていた。
せっかく天鞠が呼んでくれているのに気づかないとは不覚。
にしても「はるにい」か……うん、この呼び方もいい……実にいい!
「あーまた呆けちゃった。てるみん、どうしよう?」
「私に聞かれてもわかんないよ、てまりお姉ちゃん」
「ふふふ、私にまかせなさい」
「「⁉」」
ぱちんと指を鳴らす音が聞こえた。
っは、いかん! またもや我を忘れてしまった。
「すまん、天鞠、聞いてなかった。いったい、何の話を――」
声を失う。
気が付くと見知った部屋に立っていた。
ベッド、勉強机、パソコン、液晶テレビ、ゲーム機。棚には無数の漫画やライトノベル、キャラクターのフィギアなどが並べられており、いかにもオタクの部屋といった感じだった。
忘れるわけがない。一日のほとんどをこの空間で過ごしていた。
ここは俺の部屋だ。
「いつの間に自分の部屋に移動したんだ……?」
そういえば天鞠と天留美はどこへ行った?
二人の姿はどこにもない。
狭い部屋だ。隠れられる場所もない。
俺だけが一人ぽつんと立っている。
「おいおい、どうなってんだよ? 俺は死んだはずじゃなかったのか? 死んで神様になったんじゃなかったのかよ?」
ふと、手が温かいもので包まていることに気づく。
両手には天使の姿をしたパペットがはめられていた。片方はアホ毛がついて元気そうな子で、もう片方は髪の毛が長く、大人しそうな外見をした子だった。天鞠と天留美によく似ていた。
「えっ……なんでぬいぐるみなんて手に嵌めてるんだ? 意味わかんねえ。てか、二人ともどこにいったんだよ? おーい、天鞠ー、天留美ー!」
呼びかけても返事は帰ってこない。
部屋はしんと静まり返る。
嫌な考えが頭をよぎる。
「まさか、俺は今までずっと夢を見ていたのか?」
女神ダイスに出会ったのも、天鞠と天留美が誕生したのも、神として勇者を異世界に送ったのも、全て夢? ありもしない幻想を夢見ていたのか?
両手を上げて恐る恐るパペットを見つめる。
見れば見るほど、その姿は天鞠と天留美にしか見えなくなっていった。
『ハルヤオニイチャン』
「ひいっ⁉」
思わず悲鳴を上げる。
パペットから天留美の声が聞こえたような気がした。
「嘘だろ……ぬいぐるみが……喋った?」
パペットをよく観察するが、スピーカーらしきものは見当たらない。どこからどうみてもただのぬいぐるみだ。
『ハルニイ!』
「ひいいいっ⁉」
今度は天鞠の声が聞こえた気がした。
「まさか、本当に今までのは、全部……全部、夢だったのか? 信じらんねぇっ! 俺は両手にぬいぐるみをはめて一人ずっと小芝居をしてたってわけかよ⁉」
あまりの事態に声が震えていた。
長い間引きこもっていた影響で、気づかぬうちに頭がおかしくなってしまったのか⁉
ありもしない幻聴まで聞こえるようになっている?
『ハルヤオニイチャン』
『ハルニイ!』
「ひいいいいいいいいいっ!」
もうダメだ! 俺は完全にイカれちまったんだ!
『ハルヤオニイチャン』
『ハルニイ!』
「やめろおおお! 俺を『お兄ちゃん』と呼ぶんじゃなーい!」
そのとき背後からかすかに笑い声が聞こえてきた。
「ぷっ、ぷぷぷ」
「だ、ダメだよ、笑っちゃ」
「だって、おかしいんだもん! ぷふぅーくすくす」
「しぃー、気づかれちゃうよ」
声のしたほうを見やると、ドアがわずかに開いていた。
ドアの隙間からはくるっとしたアホ毛と白い羽がちらりと垣間見れる。
のぞき見にしている存在に気づかれないよう俺はそっとドアに近づいた。
ドアを一気に開く。
「「あっ⁉」」
ドアの向こう側には目を見開いて驚く天鞠と天留美がいた。
無言のまま俺は手からパペットを外す。
笑っていた天鞠の頬を軽くつまみこう尋ねた。
「あなたはそこにいますか?」
「へ? ……えーと、いないよ?」
頬をつままれながらも天鞠は誤魔化すように笑う。
頬をぐいっとひっぱった。
「いた、いたたたっ⁉」
良かった。天鞠はちゃんと存在しているようだ。
ちらりと天留美を見る。天鞠が頬を引っ張られているのを見てあわあわと怯えている。
もう片方の手で今度は天留美の頬を軽くつまんだ。
そして再びこう尋ねた。
「あなたはそこにいますか?」
「はっ、はい、いるです!」
頬をふにっとひっぱった。
「ふえー、にゃんでです?」
ふむ、良かった。天留美も確かにいるみたいだな。
いたずらっ子たちに向けて俺は笑いかける。
「この質問にはイエスと答えても、ノーと答えてもいけないのさ」
「「しょんなー」」
突然背後から声を掛けられる。
「その辺にしてあげたら?」
天使たちから手を放し振り返る。
いつの間にかベッドにダイスが腰かけていた。
「楽しんでもらえたようで良かったわ」
「なるほど首謀者はダイスだったか……」
「ふふ、そうよ。ドッキリ大成功ね。よくできてるでしょ? これ」
ダイスは例のパペットを両手に嵌めていた。
『ハルヤオニイチャン』
『ハルニイ!』
「こええよ! どうなってんの、それ⁉」
『私が晴也の脳に直接話しかけているだけよ』
ダイスの声が直接頭の中に聞こえていた。部下のイメージをしたときと同じだ。
俺と触れていなくてもできるのか。
『こんな風に……こほん、声を変えてね』
聞こえてきた声が途中でダイスのものから天鞠の声色に変わった。俺が初めて天使に声をかけようとしたとき使われた変声術だ。
「すげえ技術だな」
「ふふ、見直したかしら?」
もっとほかのことに活かせばいいのに……。
片手をはいはーいと天鞠は元気に上げる。
「ちなみにはるにいを神殿からここまで運んできたのは、あたしとてるみんでーす!」
「さいですか。名前を呼ばれただけでずいぶんと長い間俺は呆けてたんだな。運ばれているのにも気づかないとは」
「ああそれは私が晴也の体感時間を少し停止させたのよ」
コンビニにちょっと寄ってきたみたいなノリでダイスは言った。
「たかがドッキリにどんだけ大掛かりな真似してんだよ! 大丈夫のなのか⁉ 俺の体に何か異常をきたしてないよな?」
小柄なダイスは俺に上目遣いをしながら囁く。
「平気よ、ハルヤ、お・に・い・ちゃ・ん」
ぶるっと俺は身震いを起こした。
「やめろ、もうお兄ちゃんはごめんだ」
ドッキリのせいか『お兄ちゃん』と呼ばると、若干恐怖を感じるようになってしまった。
天鞠と天留美は顔を見合わせる。
「もうあたしたちも呼ばないほうがいいのかな?」
「少し残念なの」
振り返って俺はきりっと伝える。
「いや二人はこれからもお兄ちゃんと呼んでください、お願いします」
天使たちは揃ってくすりと笑った。
「あは、うん、わかったよ、はるにい」
「了解です、はるやお兄ちゃん」