ステルス・隠れてる
勇者を異世界に転移させてからまた一日が経過した。
勇者には前とは異なる新しいスキルを与えてある。
今度こそ魔王を倒せるはずだ。
俺はモニタリングルームで待機していた。
モニタリングルームには俺のほかに女神のダイスと神使のポット、天使の天鞠と天留美がいる。
ポットが小さなベルを鳴らして傍にいるダイスに注目を集めた。
「ではまず晴也から今回与えたスキルについて聞かせてもらうわ」
一度頷いてから俺は説明を始める。
「俺は考えたんだ。チートスキルが人目につきすぎると、スキルを手に入れようとする権力者が現れる」
「ハゲのおっさんだね!」
「頭のおかしい人間さんだったのです」
「でも嫌いじゃないのよね、ああいう馬鹿って」
「どこか憎めないって感じだよな」
その点ダイスにも似たようなアホっぽいところがある。
ダイスからするどい視線を感じた。
「今、失礼なことを考えてなかった?」
心を読まれた気がして俺はぎくりとする。
「べ、別に考えてねぇよ」
「本当に?」
ダイスの言葉に若干圧力を感じる。
さっと目をそらした。
「証拠もないのに疑うのか?」
「証拠はなくても挙動は怪しい」
「おっと顔に出ちまったか」
「あの、声に出てますよ、はるやお兄ちゃん」
「はっしまった!」
ダイスはぱちんと指を鳴らした。
するとポットが飛び跳ね、手のように動く長い耳を振りかぶった。
「ぼふぅ!」
もふもふのパンチが俺の顔に直撃した。
柔らかいのにちょっと痛い……。
「で、何の話をしていたのだっけ?」
「スキルの話の途中なのです」
「そうだったわね。晴也、とっとと続きを説明して」
「……へい」
気を取り直して俺は説明を再開する。
「チートスキルが人目に付きすぎるのも問題がある。人類側に勇者が捕らえられ、魔王討伐どころではなくなってしまう恐れがあるからだ。なら見つからなくなるスキルがあればいい。誰が勇者を狙おうとも見つからなければ捕らえられる心配はない。姿、におい、気配、足音や呼吸音、存在を示すあらゆるシグナルを隠す完璧なステルススキル――その名も『ステルス・隠れてる』このスキルがある限り、勇者はいかなる探知にも引っかからず、誰にも彼を捉えられない」
思い出したようにダイスは手を叩く。
「あれよね? 晴也も下界で生きていたころ常に発動してたやつ」
「誰が常時ステルス人間だ、ゴラァ!」
「学校でよくやっていたじゃない? 休み時間に机でうつぶせになって寝たふりするやつ」
「あの行為をステルスと呼ぶのは止めていただこうか? あれはあの場に居たくないからってやっていたわけじゃないんだぜ」
天鞠がぴょんと立ちあがる。
「あたし、知ってるよ! はるにいが机に伏せてたのは話をするともだちが――もがっ」
両目をきゅっと閉じながら天留美は天鞠の口をふさぐ。
「てまりお姉ちゃん、それ以上言っちゃダメだよ!」
もたれかかるように俺は椅子に座った。
もう言ってるようなもんだよ……ガクッ。
口を塞がれた天鞠はもごもごと動いて天留美の手から逃れる。その後いたずらっ子の笑みを浮かべた。
「やったなー、てるみん」
「えっ……?」
たじろぐ天留美を天鞠の手が捉えた。
「それぇー!」
天鞠は天留美の体をくすぐり始める。
「ひゃっ、や、やめて、くすぐったい!」
「それそれー!」
やめてと言われても天鞠は手を緩めない。それどころか、よりヒートアップしている。
「きゃはあっ、やめてぇー!」
二人の可愛らしい天使は無邪気に戯れている。
「尊い」
俺の口から自然と出た言葉であった。
今俺の心に一切の邪念はない。
「いやらしい目で見ちゃだめよ」
背後からそっとダイスが注意してきた。
「見ねぇよ。俺の心の色相を見せてやりたいぜ」
そう邪念はないはずだった……。
じゃれあいが続き、天留美は天鞠にソファへ押し倒されていた。くすぐりのせいで身をよじり、あられもない姿になっている。
吹き荒れる嵐。今、俺の心情は吹き荒れる海で必死にバランスを取って浮かぶ船であった。
視界が急に暗くなった。ふわふわのぬいぐるみっぽい感触が目を包んでいる。どうやらポットの耳で目を塞がれてしまったようだ。
耳元でダイスが甘く囁く。
「ここからは有料よ。続きが見たかったら会員登録をしてね」
「ふ、ふざんけじゃねぇ。ただちにこのもふもふをどけろ。俺には決してやましい気持ちはないぞ」
俺は鼻息を荒くしながら豪語した。
「ふふ、いいじゃない? これはこれで楽しめるでしょ? 見えないから声から想像し放題。あーんなことやこーんなことしてるって妄想がはかどるわよ」
その手があったか!
い、いや何を考えているんだ俺。そんな変態チックな真似をしていたら神としての威厳が、もといお兄ちゃんとしての立場ががががが――。
『エッチ係数オーバー700、執行対象です』
機械的な女性の声が流れた。
「あらあら、やっぱりいやらしい目で見てたのね」
「ち、違う! というかエッチ係数とか意味わかんねぇ数値出すなよ!」
『セーフティを解除します』
ブーンと機械の電源が入る音がする。
「悪い子はお仕置きの時間よ」
後頭部に固いものが押しつけられた。
「うわなにをするやめr――」
突如として視界が解放される。
ちりんとベルが鳴る音がした。
俺から離れたポットがベルを鳴らしていた。
「あら残念、どうやら時間みたい。お楽しみはまた今度ね」
頭に突き付けられていたものの感触がなくなった。
「ぜぇーはぁー、ぜぇーはぁー……」
難を逃れた俺は落ち着いて乱れた呼吸を整える。
「二人ともそのぐらいにしなさい。天留美、準備して」
ダイスはじゃれあう天使に呼びかけた。
「はっ、はひですぅー……」
くすぐりのせいか、天留美の声はすっかり力が抜けていた。
テレビの前に天留美は座り、流れてくる映像を待つ。
ウロボロスのローディング画面の後、数字のカウントが始まる。
3、2、1……。
テレビの映像はやはり早すぎて何が何だがわからない。
かすかな一瞬さえ逃さず捉えられる天留美にしか確認できない。
どうやら映像は終わったようだ。
俺は天留美に尋ねる。
「で、勇者は魔王を倒せたのか?」
天留美は残念そうに首を横に振る。
「倒せなかったみたいです」
「くそう、またか……」
神になる前は簡単に達成できると高をくくっていたが、それは間違いだったみたいだ。こうも失敗が続くとは思わなんだ。
「勇者の身に何が起きたんだ?」
「そ、それが……」
困惑した表情を浮かべながら天留美は答える。
「勇者はとある街で衛兵に捕まったようです」
「どうしてそうなった⁉」
つうかまた人類に囚われたのかよ! 魔王倒すどころか、魔王の前にすらたどり着けないんですけど!
ダイスが小首をかしげる。
「なぜ捕まったのかしら?」
「なぜって、何か悪さをして捕まったんじゃないのか?」
「悪さ云々はともかく勇者はステルススキルを持っていたのよ。その気になれば衛兵から逃げるなんて容易いはず」
「言われてみれば確かに」
「ステルスって実際には消えているわけではないのよね?」
「ああ、存在しても認識されないだけだ。元来、ステルスとはそういうもんだろ。ステルス・隠れてるは見る側の認識に働きかけるスキルだ。たとえ勇者に触れたとしても、触れた人間は勇者に触れたことすら意識できない。ステルス状態の勇者を捕まえるのはおそらく不可能だぜ」
「けれど常にステルス状態ではないわよね? どのくらい続くの? 効果時間が切れた隙を衛兵につかれたのかもしれないわ」
「いや、ステルス・隠れてるは勇者は死にましぇん! と同じくパッシブ型のスキルだ。同じようにオンオフ機能も付いている。オンの状態であれば常にスキルの効果が現れているぞ」
「ならオフの状態のときに捕まったのでしょうね」
「考えうるのはそれだな。でも前回の反省から勇者にはきちんと注意しておいたんだ。人類からも狙われる可能性がある、捕まって実験材料にされたくなかったら気をつけろってな。だからオフの時は警戒をしていたとは思うぞ」
そもそも衛兵から追われてる状況なら不用意にオフにはしないだろう。
「ちなみにステルスってどの範囲まで影響が及ぶのかしら? 体だけ? それとも勇者から少し離れた距離までステルスになるの?」
「基本的には勇者の体、服装、装備まで影響する。服装と装備は勇者がそれと認識しているものにだけステルスが及ぶようにしてある」
「なら足跡とか落ちた髪の毛みたいな痕跡は残る?」
「残ることは残るが、痕跡にもステルスがかかるぞ。勇者の体や持ち物にかかるステルスとは少し違うけどな。認識に働きかけるという本質は同じだ。痕跡はちゃんと意識してそこにあると知覚できる。ただしその痕跡を勇者のものであると認識できない。勇者の足跡や髪の毛があっても、それらから勇者を連想できないんだ」
天鞠が俺に尋ねる。
「それってどういう意味?」
俺はおもむろに片手を上げる。
「何それ?」
「ハイタッチだ」
いまいち要領を得ない表情のまま天鞠は俺の手にタッチする。
「いえーい?」
「俺がハイタッチと言う前、片手を上げた状態がハイタッチの合図だって気づいたか?」
「ううん、言われて気がついた。言われる前はただ手を上げてるようにしか見えなかったよ」
「だろ。それは上げられた片手とハイタッチの合図が結びつかなかったからだ。言われる前と後でも見えている光景は同じなのに、天鞠は気づけなかった。同じように足跡や落ちた髪の毛を見ても、それが勇者の痕跡であると結びつかないんだよ」
「ふむふむ、なんとなくわかったかも」
「ついでに言うと痕跡にかかるステルスは状態をオフにしても効果が切れない。ステルス中に残された痕跡にはずっとステルスがかかったままだ。だから傍から見れば痕跡が残っていないように思えるだろうな」
片手を頬に当ててダイスは悩まし気に息を吐いた。
「勇者はどうして捕まったのかしら? ますますわからなくなったわ」
「俺も分からん。ステルス・入ってる――じゃなかったステルス・隠れてるがありながら捕まる状況とかさっぱり想像できねぇよ」
「天留美にヒントを聞いてみたらどう?」
「そうだな。天留美、ヒントになるいくつかの事実を教えてくれ」
「はいです」
少し考えた後、推理の道筋を立てるためのヒントを天留美は提示する。
「一つ、勇者はほとんど常にステルスを発動していました」
強力なチートスキルを持つ勇者はいつ狙われておかしくない。不届きものから身を守るために、日ごろからステルス状態になっていたと。
「二つ、勇者のいた街では盗みが頻発していました」
治安が悪かったようだな。けどそれが勇者にどう関係がある?
「うーん、すまないが例によってもう一つくらいヒントをくれないか?」
「はいです。三つ、スキルには欠点がありました」
ステルス・隠れてるは完璧なステルススキルだぞ。欠点なんてあるとは思えないんだが……。
あのぅと天留美は俺に声をかける。
「ちょっと髪を直してきてもいいですか?」
天留美の髪を見る。いつもセットされているツーサイドアップの髪型がさっきのくすぐりのせいか乱れていた。
「ああ、いいぞ。気づかなくてごめんな」
「い、いえ、ではお言葉に甘えて行ってくるです!」
天留美はぺこりとお辞儀をすると、モニタリングルームから出ていた。
さて考えてみるか。
んー……やっぱりどう考えてもステルス状態の勇者を捕らえるなんてまず不可能なんだよな。
しっくりくる答えが出ない。せっかくヒントをもらったのにいい推理は浮かばなかった。
そこへ天鞠が目を大きく開く。
「あたしわかったよ!」
「マジで? じゃあ例によって天鞠の推理を聞かせてもらおうか」
天鞠は意気揚々と語りだす。
「ずばり、勇者は盗人を捕まえる罠にはまっちゃんだよ。街でよく盗みが起きてたってヒントにあったでしょ。街には盗人を捕まえようとたくさん罠が仕掛けてあって、そのうちの一つにうっかり勇者が捕まった。うん、間違いないね!」
「なるほど罠なら認識は関係ない。ステルス状態でも罠に気づかなければはまる可能性はある。けど、罠にかかった勇者を衛兵はどうやって捕らえたんだ? 最初に天留美が言っていただろ。勇者は衛兵に捕まったって」
「勇者が罠から脱出できなかったら姿を現すしかないよね? そのときにでも捕まえられるでしょ?」
「いや難しいだろ。罠を解除した途端ステルスを発動されたら逃げられる」
「だったら罠を解除せず、そのまま捕まればいいじゃん。例えば檻に閉じ込める罠なら、閉じ込めたまま檻ごと衛兵に引き渡すとか」
「ステルス中の勇者は痕跡と違って知覚すらできないんだぞ。空の檻を衛兵に見せてどう説明するんだ? 勇者が檻の中にいる証拠がなければ相手にされないだろう」
証拠となる勇者が檻に入った痕跡は残っていても気づかれない。証拠はないも同然だ。
「えっと、だったら勇者が観念して姿を現すまで待つとかっ!」
「というかさ、そもそも勇者が罠にかかっても気づかれないと思うぞ。罠をしかけた張本人にさえもな。勇者の存在を示すあらゆる痕跡はステルスの対象となる。罠にだってステルスの効果が及ぶから、罠が発動した形跡はあっても勇者が引っかかったと認識できない。誤作動したと思われるだろうな。そして罠を仕掛け直そうとしたところを勇者に逃げられる」
「うーん……」
モデリングルームのドアが開いた。
「ただいま戻りました」
少し緊張した面持ちで天留美が帰ってきた。
天留美の髪型を見て俺は気づく。
「お、いつものツーサイドアップじゃない」
後ろ髪の上の部分を一か所だけ結んでいる。
「髪留めが片方切れかけたので、ハーフアップにしてみました。どう……ですか?」
「うん、似合ってるぜ。いつもより大人っぽく見える」
天留美の顔は熱でもあるのかと思うほど赤くなる。
「あ、ありがとうございますです」
照れているせいでですます調がおかしくなってる。
微笑ましてくつい笑ってしまった。
ダイスが呼びかける。
「天留美も戻ってきたことだし、そろそろ真相を確かめましょうか」