斯くして誰もいない世界は完成した
六郷夜介。
――それが僕の名前であり、今から語るのは、僕が眼を閉じるまでの出来事である。
最初に僕はそう語った。そして僕はいま、眼を閉じようとしている。
僕は無と同化して、全は一となり、一は全となる。僕はすべての時空間に存在し、そこに広がるすべてを見ることができた。なぜ何もないのではなく何かがあるのか。有と無は等価であり【トップ】と【ボトム】は同じことであった。
もはや僕には、自分と世界との境界を知ることが出来なかった。朝も夜も己も他もなく。ただそこにあるだけの世界と化した。
時空間認識が人間の身体から解放された僕にとって、どれだけの時間が経過したかを正確に把握することは困難であった。しかしそれは、既に僕にとって興味の埒外にあることでもあった。静かな世界にまどろみ、入り込む異物に眼を覚ましてはそれを塗り潰し、そして永劫の時を過ごすだろう。
そこからは人も色も音も香りも失われ、静寂を妨げるものは何ひとつ存在しない。
斯くして誰もいない世界は完成した。六郷夜介であった【彼】はそれを善しとして、ゆっくりと存在しない眼を閉じた。
◆◆◆◆◆
――夜介、覚えておけ。
誰でもない【彼】は、【父親】の言葉を思い出す。
――最後にお前や私のような人間に牙を剥くのは、他ならぬ人間の感情だ。
結局のところ【彼】は……「先生」に対する、自身の感情に飲み込まれてしまった。望郷、嫉妬、憧憬、共感、寂寥、歓喜、喪失、憎悪、恐怖、親密、愛情。【彼】はどんなに「先生」に会いたかったとしても、決して再会してはいけなかったのだ。何故ならば「先生」は、並行世界の栓として存在していたからだ。比良坂聡が並行世界の栓として機能するに至る理由を知ることは、すべての時空間を見渡すことのできる【彼】にとって容易であった。勝手に見ていけばいい、と、せんせいは言ったのだ。
そうして【彼】は、サトシ・ヒラサカの記憶の底へと沈み込む。




