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天才として生きる人生

天才として生きる人生は、飢えとの戦いであると思う。


わたしがこれまで、ほとんどファーストネームで呼ばれることなく生きてきたのは、もとを正せばそのためだ。

幼い頃、大人たちはわたしを「百合崎ゆりざきさんちの賢い子」として扱った。その記号だけが凝り固まった結果なのか、教師も学友も、周りの人間はわたしのことを、名字からこしらえたニックネームで呼ぶようになったのである。


()()、と。


ユリ(わたし)には妹がいた。妹も「百合崎さんちの子」なのに、いつからか、わたしだけがユリと呼ばれるようになった。


妹はわたしの話や遊びに付いてくることができなかった。わたしと比較され、大人から落胆の目を向けられ続けてきた妹。それでも彼女はわたしを避けることなく、かといってべったりと近付くこともなく、遠くからわたしを眺めていた。その瞳には羨望と尊敬と愛情があった。わたしはいつの間にか、妹の視線を風景として受け入れるようになっていた。それにある種の心地よさはあれど、妹はわたしの()()を満たしてはくれなかった。


おもしろいことに飢えていた。


やれと言われたことは、すべて完璧にこなすことが出来た。一を聞けば十を理解した。三や四あたりで止まっているクラスメイトを見て、何を遊んでいるんだろうと首を傾げた。

その素直な感想を告げたところ、クラスメイトの男の子はわたしを殴って泣いた。泣きたいのはこちらの方だと、痛むほっぺたをさすりながら思った。


そのうち彼らは遊んでいるわけではなく、全身全霊をかけてもその程度の理解に達するのがやっとらしい、と気が付いた。そう理解した瞬間、わたしは他のつまらない人間たちとの付き合い方を決めた。


すなわち、良好な関係を築くように努力することにしたのだ。

身なりを整え、流行の服を着て、少し隙を見せながら()()()と笑い、親しみをアピールする。ゆったりと喋り、時には冗談を混ぜたりすると、まるでカレーに卵を割り落とすようにわたしの異端さはマイルドに和らぐのだった。

どんな口調で何を喋って、何をしてあげればその人がわたしを好きになるのか、たちどころに理解することができた。面倒な作業ではあるけど、会話する相手の心理をある程度コントロールすることは、決して不可能ではない。

もちろんわたしのやることは完璧だから、それらの努力は豊かな実を結んだ。わたしは誰かに好意以外の感情を向けられることなく人生を送るようになる。


与えられるものはいつも退屈で、かといって、わたし自身に追い求める理想があるわけでもない。


ただやるべきことをやるだけのわたしは、大学に入ったあと完全に燃え尽きていた。

燃やすべき燃料を失った、と言うべきかも知れない。


おもしろいことに飢えていた。



◆◆◆◆◆



ユリの大学では、新入生は二年間のあいだ教養学部に所属する。そこで「基礎教養」を身に着けたあと、自身の専攻を決めるのだそうだ。

入学式のあと、新入生オリエンテーションを終えたユリは、パンフレットの研究紹介を見るともなく眺めていた。

ふと、ひとつの研究室が目にとまる。


「ヒラサカ研究室?」


何が、とはっきり説明するのは難しいが、明らかに他とは違う。ユリはそう感じた。

他の研究室は巨大大学の一部として、どこかのったりと構えている。その一方で、ヒラサカ研の紹介文書にはキリキリと張り詰めるような、()()の切実さがあった。

どうみても普通ではないのに、誰一人それに気が付いていない。


わたしはまた、いちを見てじゅうを直感しているのだ。ユリは自らの興味が沸き起こるのを感じた。


天才と呼ばれる彼女は迷わない。迷いは、知性が最適解を決められないことで発生する思考のバグだ。初めて袖を通した入学式用のスーツに身を包んだまま、ユリは桜の舞い散る校内を歩く。


そして比良坂研(もくてきち)に直行する。



◆◆◆◆◆



不機嫌そうな白衣のメガネは、比良坂ひらさかと名乗った。ユリは、比良坂が思ったよりも若くみえることに驚く。研究室はどこか陰気で人の気配がなく、寒々とした蛍光灯の明かりが乱雑に散らかった部屋を照らしていた。


白衣の男、比良坂は、ユリがまさに今日入学式を終えたばかりであることなど意に介さなかった。新入生が来る場所ではないと拒絶することも、逆に、若い子に興味を持ってもらえて嬉しい、というようにポジティブな反応を見せることもない。彼にとってはどうでもいいことなのだろう。


比良坂はユリに対して、容赦なく専門用語を駆使して彼の研究をプレゼンする。


ユリは当然ながら、研究の前提となる専門知識を持っていない。それでも、彼女の頭脳は、情報を取得選択して最短距離で初歩的な理解に到達することを可能にした。ユリは比良坂を遮っては適宜質問を挟み、最低限のロジックを追いかけていく。


質問のクオリティは、その者の知性を最も如実に反映する。


比良坂は一通りの説明を終える頃には、目の前の女の子が、単に入学式のテンションが冷めないまま研究室まで勢いで来てしまった類の訪問者ではない、ということを理解するに至っていた。


「――以上。概要は理解できたか?」

「そうですね。概要は」


見栄を張るでも謙遜するでもなく、ユリはただ事実を告げた。


並行世界の存在と、そこへの干渉を可能にする技術。理論は難解ではあったが、理にかなっていた。少なくとも論理に飛躍はない。比良坂の説明は、観測された事実から推論すると確かにそうなるしかない、という説得力を持っていた。ただ問題は……


「問題は――()()()()ですよね」

「ほう」


ユリはその言葉が具体的に何を表すのかを理解した上で、断定した。

比良坂は、銀色のフレームの奥にある眼を細める。それは、どこか面白がっているように見えた。


六郷(ろくごう)家、でしたっけ。古くから【神隠し】が起こるとされてきた血筋。忽然と姿を消す子供は、実は並行世界に迷い込んでいた、と。現象から理論を組み立てることは珍しくないですし、神秘現象を現代の科学に照らして読み解く、って表現すると興味を惹かれるのも確かです。けど、実際は……」

「そうだな。()()()()()は、いない」

「あなたが今までやってきたのは、六郷の人間が外界との間に起こしている作用を()()して、通信パケットを解析するみたいに、法則性を真似しているだけでしょう。それがどうして起こっているか、まったくわかっていない。違いますか?」

「違わないな」


ギィ、と椅子を軋ませて、比良坂は天井を仰ぐ。


「現在、実験材料の手持ちは()()()ある。だが、ATPI の根幹をなすのは、ずいぶん前に六郷家で直に採取した()()の脳波だ。お前の言う通り、俺たちはあのガキの神経活動をわけもわからずエミュレートしているに過ぎない」

「その子供は、いまどうしているんですか?」

「さぁな」


比良坂の表情からは、何も読み取れない。

彼はわたしの疑問に答えず、独白するように語りかける。あるいは語りかけるように、独白する。


「宇宙飛行。原子力。ワールド・ワイド・ウェブ。遺伝子編集。どれもこれも、まだ人間どもには高尚すぎた。だが技術には――広まろうとする意志がある。その流れを止めることは出来ない」

「だからあなたは、六郷の人間を材料にしても罪悪感を持つことはない、と」

「反対か」

「いいえ」


今度は比良坂の顔に笑みが浮かぶのがわかった。

比良坂にとって彼以外の天才が手に入ることは想定外であったが、口の悪いこの男の頭脳は、既に眼の前のもうひとりの天才ユリを組み込んだロードマップを再構成し終えていた。

そして、そのような同類に対して何を語ればいいのか、彼はよく熟知していた。


「百合崎と言ったか」

「大抵は、ユリと呼ばれます」

「ではユリ。俺の話をこれほど迅速に理解することが出来たのはお前だけだ。俺の研究室(ラボ)に来い」

「……それは、わたしが基礎教養のカリキュラムを終えて、専攻を決める進学時に――ということでしょうか」

「違う。()()()()だ」

「き、今日――」

カリキュラム(あんなもの)は、己がどこに立っているかもわからない無能のためにある道だ。俺には必要ない。お前もそうだろう。お前は倫理も舗装路もどうでもいい。ただただシンプルに、自分自身の興味に逆らうことができない。だからこそ今日ここに来ている。違うか?」

「違わない――ですね」


おもしろいことに、飢えていた。

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