表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山井出 千夏の見た世界  作者: シャイン・シュガー
姉&妹 編
9/38

第09話 山井出 勝希の見た世界 ② 『私と同居人』

 それは――ある何でもない日の夜だった。


 私の部屋の同居人。 たったそれだけの存在の人物が、何だか一緒にDVDを観ようとかという戯言(ざれごと)を言ってきた。


「――――」


 この人は、頭のネジが1、2本外れているんじゃないかと思った。


 私がこれだけ一貫して嫌ってる態度を取り続けているのにもかかわらず、そんなことまるでお構いなしに私との距離をズカズカと無遠慮(ぶえんりょ)に詰めてくる。


 それは、まるで……特定の誰かを彷彿(ほうふつ)させられるような感じがして、ひどく落ち着かない気にさせられる。


「………」


「………」


 ……あれ?


 ――にしても……何だろ……。


 私……何だか、映画の内容が気になってる?


 っていうか、さっきから勉強しててもそのことしか考えてない。


「――ん、ぅ~~……」


 背すじを伸ばすついでに――チラッと視線を向け、少しだけ内容を確認する。


『――――』


 ……何だか、やけに面白そうに見えた。


「………」


「………」


 ――あ~、もうっ! こんな状態で勉強だなんて絶対に無理!!


 勉強はもう終わりっ! 後はアイツから気付かれないようにしてあの映画を観たら、今日はもう寝よっ。


 けど……音が聞こえるとしたら、やっぱりアイツのいるソファーの所あたり……?


 嫌々ながらも、映画を観ないという選択肢は今の私にはなく、徐々にその距離を詰め――。


「――――」


「チッ……」


 せっかく足音を消して近づいたのに、何故だか一瞬で気付かれた。


 その上、さらに――。


「――あぁ、妹ちゃん? 先に言っておくけど、私……さっきシャワー浴びたばっかりで身体火照(ほて)って暑いから、あんまり近づいてこないでね?」


「~~~~っ!! 頼まれたってするかっ!!」


 コ、コ・イ・ツ~ッ!! 一体どれだけ自分大好きの自意識過剰なの~っ!? バカなの!? 死ぬの!?


 この私から、ほんの少しでもそんな可能性があるかもしれないって、本気でそう思ってるところがまた~っ!


 ――まぁ、ともかく……こうなってしまった以上仕方がない。


 かなり不満だけど、アイツから一番離れたソファーの端の方に座り、この映画を一緒に観てやることにした。


『――――』


 ――うん。 やっぱりこれ面白い。


 観始めたのは途中からで、内容の理解できていない部分が多少あるとはいえ、それを抜きにしても面白いと感じた。


 ジャンルでいうなら海外のミステリーホラーで、ホラー要素が若干強めといった内容だった。


 そういえば私って、小さい頃は怖いテレビや映画が苦手だったりしたけど……それもまぁ、小学校から中学に上がっていく内に――だん、だん……。


「――――」


 ――は?


 え? 何?


 不意にソファーに座っていた腰から下の感覚が消え、底の見えない暗闇へ突き落とされたような感覚を味わった。


 ……え? 何? 何か今、一瞬死んだかと思った。


 それほどの……本能を直接揺さぶられたかのような、規格外の恐怖だった。


 さ、最近のホラーって、嘘……これほどっ!?


 この映画が始まってから、おそらく30分程度……。


 つまりそれは、映画でいったらほんの序盤ということになる。


 序盤でこれだったら、終盤だと一体どうなるの!?


「――………っ」


 ゴクリと、勝手に音を鳴らしてしまう私の喉。


 エアコンによって部屋の温度は適温に設定されているはずなのに、まるで氷水のように冷たくなった冷や汗が、頬や背中を伝っていく。


「……~~~~っ!!」


 ――怖い、怖い、怖いっ。


 だったら観なければ話は早いのに、それでも続きが気になって目が離せない。


 怖い、怖い、怖いっ!!


 でも、逃げられない……っ!


 助、けて……――誰かっ!


 私の心が恐怖に押し負け、自分ではない誰かを求めて勝手に身体が動き出し――。


「――――」


「ねぇ……妹ちゃん、何か近いよ? そっち行ってよ」


 シッシッと、まるで虫か何かでも追い払うような感じでアイツが私のことを向こうへと追いやる。


「~~~~っ! わかってるってのっ!!」


 途端に現実に引き戻された。


 さっきまでの冷たく――暗闇に閉ざされていたような世界はいつの間にか消え、荒くなっていた呼吸や脈拍も完全に元通り。


 ――にしても……コイツ、強いなー。


 こんな――この世のものとは思えないほどの恐怖を覚える映画を観ても何ともないっていうか、平常運転そのものじゃない……。


 あれ? もしかして……普通じゃないのって、私の方?


 私……今まで自分で自覚してなかっただけで、実は相当に怖がりだったりするんじゃ~……。


 ――と、そんなことを頭の片隅で考えながら映画を観続けること数分。


「――――」


 ふと、私の耳に届いてきたのはアイツの寝息だった。


 ――ちょ、ちょっと~! い、今の……この状況の中で、私をひとりにする気~!?


 いくらアンタでも、いないよりかは多少マシなんだからしっかりしてよ~っ!


「――――」


「………」


「………」


「―――っ」


 私は、今……この部屋の中で一人きりなんだ……と、あらためて意識してしまうと、映画から伝わってくる恐怖も倍増されたように感じられてしまう。


「………っ」


 ――ゴクリと、再び勝手に喉が鳴る。


「………」


 ついさっき、近づくなとか言われたばかりだけど……。 こ、これは~……――そうっ! 緊急事態のようなもので、しょうがなくだから!


 そうやって自分でもよくわからない言い訳をしながら、徐々にアイツの方に近づき、にじり寄っていく。


「――――」


 そのまま1分ほど掛け、ようやくコイツに触れる距離にまで接近することに成功。


 ――まぁ……それで近づいたからってどうなるわけじゃないけど、とりあえず寝顔だけでもチラリと確認する。


「――………」


 思わず、言葉を失った……。


 相変わらず、コイツ……性格は最悪だけど、寝顔だけは天使っていうか、知らずに街とかで見掛けたら近づき難いほどの美人だと思った。


 本当に……――顔だけ! だけどっ!


「………」


 けど……長い黒髪だって(からす)の濡れ羽色っていうか、すごく(つや)があって……。 それから、まつ毛だってこんなに長く……。


「――――」


 あっと、気付いた時にはコイツの顔がすぐ目の前にあって、私はまるで上から押し倒しているような体勢となっていた。


 そして、何故だか――いま私が手の力を緩めれば、コイツにこのまま抱きつくことができる――とか、そんなワケのわからないことを考える錯乱状態にすらなっていた。


 そんな時――。


「――――」


「ん……何~?」


 目の前のコイツが急に身じろぎながら目を開けたことで――ビクッとなり、とっさに身を離してしまう。


 そうして起きたコイツが私の顔を見るなり、不機嫌そうに眉を寄せたかと思うと――。


「――ねぇ、妹ちゃん……私言ったよね? 近づかないでって、私一応先輩だよ? そんなに私のこと嫌い? それともバカにしてる?」


 続けてまくし立てるように言い、さらに――。


「……妹ちゃん、オフロまだでしょ? ちょっとニオイ、ヒドイよ?」


 最後にそう言ってからソファー上で後ずさり、私から距離を取った。


「――――」


「――――」


 それから、後のことは……よく覚えていない。


 気付くと私は……頭から全身にシャワーを浴びている真っ最中だった……。


 服を脱いだ記憶すらなく、まさかと思って下を向いたけど、一応裸でシャワーを浴びてはいるようだった。


「………」


 いま浴びているシャワーが熱いのか冷たいのかもわからないまま……手足だけが勝手に動き、身体を洗い続けてる。


 アイツが……いつもワケのわからないことを言いながらヘラヘラしてるあの人が、あんなことで怒るなんて考えもしなかった。


「………」


 何で――どうして――何の理由で――。


 私の意識だけが先行して脳内を駆けめぐり、思考が現実に追いついてこない……。


 それでも――。


 ……あの人に嫌われたっていうのだけは、どうしようもなく理解できた。


「――………っ」


 熱さも冷たさも感じない中、何故だか顔の目頭(めがしら)部分だけが熱くなったように感じられた。


 私は今、泣いているのだろうか……。


 ――あの人に嫌われた。


 たったそれだけの理由で泣いているかもしれない……。 そんな自分の心理状態に強いショックを受ける。


「――ぅ……ぁ……っ!」


 胸の奥から、絞り出すような――そんな感じの嗚咽(おえつ)が漏れ出た。


 さっきまでは、もしかしたら泣いてるのかも――程度の認識だったけど、もう間違いなかった。


 私は泣いてる……。


 あの人に嫌われた……。 たった、それだけの理由で――。


「――――」


「――妹ちゃん……今、いい?」


「―――っ」


 ピクッ! と、聞こえてきた声で勝手に全身が反応し、シャワーの勢いをわずかに弱めてしまう。


 ――ひょっとして、今の……聞かれた?


 他の誰ならともかく、この人だけには私の弱みを見せたくない。


 絶対に見せちゃいけない……――って、強くそう思ってしまう。


 そんな思いもあって、私は必死になって次の彼女の言動に意識を集中させ、その真偽を測ろうとする。


「さっきのは、一方的に私が悪かったと思って……ゴメンなさい。 今日はちょっとイヤなことがあって……それで、八つ当たりしちゃったの……」


「………」


 嫌なことがあって機嫌が悪いって……。 この人でも、そんなことあるんだ……ちょっと意外……。


「――い、妹ちゃんからはモチロン嫌なニオイなんてしないし! ――っていうか、それは私にとってすっごくいいニオイでっ!」


「――――」


 え? ……何? ちょっと待って――。


「わ……私は本当に、妹ちゃんのことすごっくカワイイって思ってるし――」


「――――」


 あ、これは絶対にダメだ。


「世界中の誰よりも……――私がっ! 絶対に妹ちゃんのこと愛してるからっ!!」


「――~~~~~っ!!!!」


 ――あぁ……やっぱり……っ!


 さっきのなんて比じゃない、決壊する……っ! ――その前に!


「―――っ」


 シャワーの蛇口を思いっ切り捻り、勢いを全開にさせる。


「――ん……ぅ゛……っ!」


 そんな中――直接手で押さえても漏れ出てしまう、私のむせび泣く声。


 さっきまでは熱くも冷たくもなかったけど、今の私は確かに熱い。


「~~~~っ!!!」


 今はこうして全身でシャワーを浴びているハズなのに、あまりの熱さで顔に直接火が点いて燃え上がり、それを押さえている手まで火傷しているかのような思いだった。


「――………」


 そうしている内に、へにゃんとなって全身から力が抜け落ちると同時に腰も砕け、浴室の中心にペタリ――と、そのまま座り込んでしまった……。


「――――」


 それから……いつもよりかなり入念に髪と全身を丁寧に洗ってから着替え、部屋へと戻った私。


「――――」


 その直後――すぐに気付いて駆け寄ってくる、あの人。


 この時、最初に私の方から何と言って声を掛け、どういった態度で接するか――そのことをシャワーを浴びている間に決めていた私は、それをすぐに実行に移す。


「ひとつだけ――」


「今日あった……イヤなことって?」


 ズイッと指差して動きを制し、そう質問する。


「――……え?」


「………」


 そこで流れる、不自然な沈黙。


 ……ん? ――あれ?


 何だか、この人……。 コイツ、いま考えてない?


「イ、イヤなこと~……? あ~~~……――あぁ、そうっ! わ、私ってば~、何か今日フラれちゃって~」


 ……な、何だかモノすごく胡散臭いっていうか、ウソっぽいんですけど~……っ。 ――っていうか、それが仮に本当だとしても、ここ女子校なんですケド~ッ。


「――――」


 それでいて、何とかうまく言い逃れられた~と、いった感じでホッとしているアイツの表情。


 ――あ、何だろ。 ……何か、すごく殴りたい。


「――――」


 頭が冷えた。


 ――あぁ……さっきまでの私はきっと全部夢で、どうしようもないほどの嘘だ。


 私がコイツの言動に一喜一憂して心動かされる?


 そんなの、これから先――どんな事態が起ころうとも今後一切、絶対にないっ!


 心の底からそう思いながら、いまだに聞こえてくるコイツの戯言(ざれごと)を全てシャットアウトし、そのままふて寝を決め込んだ私だった。


「――――」


 そんな『事件』から三日後、私は一人で得意の料理をしていた。


 料理は好きだ。


 料理をしている間は余計なこと――というか、余計な人のことを考えなくて済むし。


 ――あ。 何か今、ちょっとでも考えたら少しイラッときた。


 ……まぁ、私ひとりだけ作って食べるのも何か感じ悪いから、ついでにアイツの分も作ってあげてるけど、またうるさい夕食になるんだろうなー。


「――――」


 その後、いつものように手伝いを申し出てきたアイツが、その途中――指を切ったとかで仕方なく、『普通に』指を舐めて消毒するなど、多少のトラブルはあったものの、ほどなくして二人分のオムライスが完成。


 後はこれをリビングに持っていくだけ――というところでまた問題発生。


 その原因は当然のようにアイツで、オムライスを食べるのに必ず必要になる、たった2本しかない貴重なスプーンを床に落としていた。


「――~~~~っ!!!」


 それを見てすぐに激昂した私だったけど、何故だかアイツは妙に落ち着いていて、オムライスを食べるための代案を実施してみせた。


「――………」


 そっか……。 スプーンがないんだったら、そのまま口をつけて食べればいいんだ。


 っていうか……こんな単純なこと、どうして思いつかなかったんだろ。


「――……~~~~っ!!」


 ――お腹、空いた……っ! 我ながら、あのオムライス……すっごくおいしそう~……っ!


 さっきから……何、なの……? この、飢餓感……っ。


 お腹が背中がくっつきそう~っていうか……もう、このまま死んじゃいそう……っ!


 でも……お腹を満たすにはアイツと同じようにしてオムライスを食べるしか方法はないし~っ!


「――~~~~っ!!」


 あ~~、もうっ!


 みっともなくて恥ずかしいけど、どうせ見てるのはコイツだ。


 いま食べなきゃ本当に死んじゃいそうな気がするし、背に腹は変えられない。


 幸いにもコイツが先陣を切って食べ始めてくれたこともあって、私も気兼ねなく自信作のオムライスに顔を寄せ、そのまま食べ始めることにする。


 ガツガツ、パクパクッ!! ――と。


 お皿を手で持つのはマナー違反だから、アイツみたくこうして顔の方を近づけ、目の前のオムライスを大量に口の中にほおばっていく。


 それをよーく噛んで味わい、飲み込んだ瞬間、思わず目を閉じてうなってしまう。


 空腹は最高のスパイスという言葉は知っていたけど、それを実体験してみることで、それがまぎれもない事実だとハッキリ認識させられた。


 さっすが私っ! おいしいよぉ~。


 はぁ~……幸せ~……!


 自分で作った手料理を自画自賛しながら食べ進め、一息ついたところで充足した満足感とともに大きく息を吐き出す。


 そんな時、ふと――笑いながら顔に伸びてくるアイツの手が見える。


 何? 顔の汚れ? 自分でするってのに……――まぁ、でも今はとおっても気分がいいから特別に許したげる~。


「――――」


 ――にしてもコイツ……悔しいけど、顔拭くのやたら上手いなー。


「ん……」


 ふぁ~……いい気持ち~……。


 ――ん? あれ? 何か、この体勢ってまるで……え?


 ……何? この、感情……。


 ――あ、ダメだ……コレ、ヤバイ。 止まらない。


 ちょっと待って、ストップ、ストップッ!


 これ、以上は――絶対に……考えちゃダメだって!


 私は……っ! コイツのことなんて……。


 何、とも――。


「――――」


 ――バタン! と、目の前のドアが閉められたと同時――。


 ボン! となって私の頭からケムリが上がり、まるで腰が抜けてしまったかのようにペタンと、その場に座り込んでしまう。


 ――この……想い……。


 アイツから嫌われたかもって、思わず泣いてしまった時……確かにその予感はあった、けど……。


 今日――今、この瞬間――その予感が確信に変わってしまった。


 アイツのことはすごく大嫌いで、その想いは出会ったその日から少しだって変わっていない……。


 ――けど、それと同時に……。


「私……アイツの、こと……」


 絞り出すように、そう発した自らの言葉によってギュッと胸の奥が苦しくなり、自身の唇にスッと指を添えてしまう……。


「――――」


『――――』


 シャーッと、アイツの……あの人のシャワーを浴びている音が自然と耳に届いてくる。


 違う……さっきの感情だけじゃない……。 私……何だか、もう……。


「――――」


 気付くと私は座り込んだまま――脱衣所のドアに張り付くように上半身を預けていて、その片耳だけをペタリとドアに当てていた。


「……――~~~~っ!!」


 そうしている間にも色々と変な想像をしてしまい、みるみる内に顔が熱くなってきてしまう。


 い、今まで一度も言ったことなかったけど、今から一緒にシャワーを浴びようって言ったらおかしいかな?


 ど、同性だし別に変じゃないよね?


 ……あ、あれ? ちょっと待って……私ってば絶対に変だ。 何で急に、こんなこと考えて――。


 何だか……まるでサウナに入ってるみたいに全身が熱いし、呼吸だってかなり荒い。


 すごく……普通じゃ、ない……。


 もしかして風邪?


 だったら、とりあえずソファーで横に――。


「――――」


 そう思いながら立ち上がった瞬間――ガチャリと脱衣所のドアが普通に開き、そこからちょうど出てきたあの人とバッチリ目が合ってしまった。


「……―――っ!!!」


 私の心臓が手榴弾となって胸の中で爆発し、全身がビクンッ! となって跳ねた。


 ――それほどの、衝撃だった……。


「――――」


 美しく長い……濡れた黒髪がしっとりと(つや)めいて輝き、前髪の一部がペタンとおでこに貼りついてる。


 背中まで伸びてる後ろ髪は巻いたタオルでひとまとめにされ、その状態から必然的に見える――その、首元の細いうなじ……。


 鼻腔に届いてくる香りも、私と同じシャンプーをつかってるハズなのに、何故だか妙に高貴な感じがし……。 それが住む世界の違いまで感じさせるよう、で――。


「――――」


「――――」


 その日の――その夜のことは、まるで高熱にうかされてしまったように意識が朦朧(もうろう)とし、途切れ途切れの記憶しかない。


 ただ――その覚えている断片的な記憶のひとつひとつが本当に夢であって欲しいと、そう祈るような内容ばかりのもので、強い罪悪感と後悔の念を感じながら頭を抱え――……。


「――――」


「――――」


「――あ、おはよ~、もう起きてたの? 早いね~」


「―――っ」


 いきなり後ろから聞こえてきた声にビクン! となり、身体が過剰反応してしまった。


「…………ぁぃ」


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


 あまりの申し訳なさに顔を向けられないどころか、まともな声すらも出せない。


「え~っと……私、今からシャワー浴びてくるんだけど~……いい?」


 ―――っ、シャワー!?


「…………ぁぃ」


 私ってば……シャワーって言葉だけでまた妙なこと考えて……その動揺を表に出さないようにするだけでせいいっぱいだった。


「――――」


 それからの数日間、申し訳ないという気持ちと後ろめたさもあって、しばらくあの人とまともにコミュニケーションが取れなかったけど、あの人……アイツがあんまりにも私にしっつこく絡んでくるもんだから、私もついがぁーってなって……それでなし崩し的にいつもの関係に戻っちゃって……何だかなぁ……。


 その後……私は自分で自分自身が許せないこともあって、それで自身への戒めというか罰を与えることにした。


 大嫌いなアイツから、私にとって特別な意味を持つ『かっきちゃん』と呼ばせることを許可すること。


 それはきっと私にとって、これ以上とない罰になる。


 その直後――アイツが何度も私の名前を呼び、呼んだだけ~と言ってだらしなく笑う。


「――――」


 ほら、殴りたくなった。


 これは私にとってこれ以上ないほどの罰。


 罰のハズ……――だよね?


 何やら顔が熱いというか、それで緩んだ感じがした頬を両手でパシン! と叩いて引き締め、自分の気持ちを切り替えた私だった。


「――――」


 そして……それは、ある何でもない日の放課後。


 何度言っても言うことを聞かず、剣道場から寮の部屋までのたった数分のために私を待っていたアイツが帰り道の途中、急に振り返り――。


「ね、かっきちゃん――……手、つないで帰ろっか?」


 そう言いながら、すごく自然に手を伸ばしてきた。


「――――」


「はい♪ ――もちろん、嫌です」


 すぐさまそう言い返し、意地悪くアイツに微笑み掛けておく私。


 その(じつ)――。


 あ、危なかったー。


 コイツってばすっごく自然に言ってきたもんだから、私もついとっさにその手をそのまま受け入れそうになるところだった~っ。


 少なくとも『はい♪ ――もちろん』までは私の自然な反応で、ギリギリで我に返ってそれを否定した。


 けど、そうやって私から拒絶されてもすっごく楽しそうに嬉しそうに笑うアイツを見てると、受け入れたらどうなってたんだろうって、そう思う自分も同時にいて――。


「――――」


「――キャッ!!」


 起きたのは突然の停電。


「………」


 すぐに周囲を確認するけど、やっぱりどこも電気が点いてない。


 これだけ暗かったら、どこに何があるのかも……――って。


「――――」


 気付くと私はちょっと腰が引けた状態のまま、両手でコイツの腕にしがみついてしまっていて――。


「―――っ!」


 バッ! と、気付いて身を離した瞬間、すぐに咳払い。 そこからごまかすようにして胸元で腕を組み、どうにか体裁を整えようにも、今さら手遅れの感がいなめない……けど――。


「―――っ!」


 バン! と急に聞こえた物音の方を向くと、そこには何やら壁に寄りかかって倒れそうになっているアイツが、いて――。


「え!? ――ちょっ! 何!?」


「――――」


「シッ! 黙って!! 静かに……っ!」


 とっさに近づこうとした私に対し、アイツがこれまで見せたことのない真剣な表情になって人差し指を口に立て、私の動きを制する。


「――かっきちゃん……目を閉じて……意識を集中……」


「――………」


 思うところはあったものの、話す口調からして冗談を言っている雰囲気とも思えなかったので、とりあえず言われた通りに目を閉じながら意識を集中し、耳を澄ませてみる。


「――――」


 完全なる無音。


 日が落ちてからの急な停電ということもあって、それで寮のみんなも警戒しているのか、何かの動く物音はもちろん、人の話し声すら聞こえてこない。


 そんな中――。


 横にいるコイツは何を思ったのか――急にワケのわからないことを言ったかと思うと、先に行くと宣言した後、その身を前方へ投げ出す――。


「――――」


「―――っ」


 危ない! との声を発する間もなく、次の瞬間――たったの一歩で最高速に達したアイツが、私を完全に置き去りにした。


 ――……は?


「――ちょっ!」


 それを見てから慌てて後を追った私だったけど、その距離が縮まるどころかありえないぐらいに広がっていく。


 何、なのっ! その速さっ!


「――――」


 速さだけじゃない。 目に見える動きも、耳に届いてくる音も、その全てがあまりにも常軌を逸脱し過ぎていた。


 ますます小さくなる背中を追っていた最中(さなか)、アイツの姿がいきなり消え――。


「―――っ!!」


 全身がビクンッとなって震え、思わずその場で身をすくませてしまった。


 ……な! 何!? ガス爆発!?


 その音がいきなり聞こえてきたのはちょうど階段の方からで、一体何が起きたのだろうと、小走りで現場まで駆けつける。


「――………」


 警戒しながらゆっくりと、慎重に階段の方を覗き見る。


「――――」


 床から、壁から――メチャクチャに破壊され尽くされた階段や踊り場……。


 同時にこうして鼻腔に届いてくるのは、何やらホコリっぽいような……木が割れた時なんかに感じる、あの特有のニオイ。


「………」


 ここで大爆発が起き、その中心で誰かが倒れてる……――というわけでも特にない……。


 ここをこんな状態にさせたのはきっとアイツで、アイツはさらにその先へ向かっていった……。


 何故だかそう言い切れるだけの強い確信があって、そのまま不安定な足元に気を配りながら、一歩ずつ下へと向かう。


 そうしてたどり着いた1階。


 そこのすぐ先で、半開きになっていた部屋のドア。


「――――」


 ――見ると、そのドアには何故かドアノブがなく、そのことを疑問に思いながらも、そのままクツを脱いで中へ――。


「――――」


 入ってすぐ――部屋の奥の方で座り込んでいるアイツが視界に入った瞬間、ホッと小さく息を吐き出す。


 幸いにも、窓から差し込む月明かりのおかげで、この部屋も完全な暗闇ではなかったため、そこから歩みを進めてさらに奥へ――。


「ちょっと~……一体、何があったの~……そこの階段がメチャクチャ、で――っ」


 何やらモゾモゾ動ていたアイツを見ながら、普通に声を掛けた私、だったけど――。


「かっきちゃん!! 救急車!! ――急いでっ!!!」


 アイツの慌てている叫び声を初めて聞いた。


「……え? ぁ……っ! ……え?」


 それだけで私の心臓の鼓動が一気に高まり、強いパニック状態になってしまった。


 な、何!? 救急車って!?


 へ、部屋で人が倒れてる!?


 そっか――その人を助けようとして、アイツ……。


 えっと……私も、何か~……そ、そうだ! 救急車って言われたんだ!


 救急車ってことは、電話!? えーっと、わ、私のスマホは~……。


 ガサガサ! と、カバンの中を乱暴に引っ掻き回しながら、必死になってスマホを探す。


 ――無い! 無い! 何で!?


 間違いなくカバンの中に入れていたはずのスマホが出てこない。


 ――あ~っ、もうっ!!


「――――」


 しびれを切らした私がカバンの中身を全て床にぶちまけ、その中身を一気に確認する。


 ――スマホが出てきた。 というか、最初から手に持ってた。


 どうやら私は最初にカバンを開けてすぐに出てきたスマホを片手に持ちながら、空いたもう一方の手であるはずのないスマホを必死に探していたようだった。


 何はともあれこうして電話が手の中にある以上、後は救急車を――……って、あれ?


 き、救急車の番号、って……何番だっけ!?


 え~っと……ひゃ、110番は警察……パトカーだよね、それはもちろんわかるんだケド――それじゃあ、救急車って~……。


 そ、そうだ! 救急車と似たような番号で消防もあるんだった!


 え~っと…た、確か~……119。 ――あれ? 119って、消防か救急車かどっち!?


 110番が警察で、119が消防か救急車のどっちかだとしたら、それ以外にも別の番号があって~……っ!


 じ、時間がないっ! 119で合ってるかな? でも、もし違ってたら~……っ!


 私の思考がさっきから行ったり来たりし、まるでループのようになっていた、そんな時――。


「……かっきちゃん、ゴメンね。 かっきちゃんは、ただ――そこで見ていてくれればいいから」


 そう言った後、あの人がまるで私の存在を無視するかのように背を向け、救命処置を続ける。


「――――」


 瞬間、まるで頭から冷水を浴びせられたかのように全身が冷たくなり、思考も驚くほど現実的となった。


「――――」


 そのすぐ後、あの人が部屋の奥から私の方に向かい、何かを放り投げてきて――。


「―――っ」


 カツンと鳴った音にビクッとなって反応し、それで後ずさってしまう。


「―――っ!」


 その瞬間――急に目が眩んでしまい、まともに目も開かなくなってしまう。


「――………っ」


 それでもわずかに開いて見える足元から、電気が復旧し、明かりが点いたのだとわかった。


 そこからようやくして目が慣れ……次に私が目にしたもの、それは――。


「――――」


 懸命に救命措置を続けながら電話対応までし、救急車両の手配をしている、あの人の姿だった……。


「………」


 そこから視線をチラリと横に下げ、明かりが点く少し前に――あの人が放り投げた何かを確認する。


「――――」


 電気ドライヤーだった。


 そっか……あそこで倒れてるあの子は、これに感電して……。


 電気が復旧したのは、あの人がドライヤーを放り投げてすぐだった……。


 もし、ドライヤーがあのままだったら、今頃――。


「――………」


 あの人は……暗闇の中で救命措置をしながらそのことに気付いて冷静に対処し、そのすぐ後に復旧した電気に動じることなく、救急に連絡までしていて――。


「――――」


 あなたは、一体何なの……?


 まるで次に起きることが……未来でも見えているかのよう、な……。


「――――」


 そう考えていた今、あの人の額に次々と、大粒の汗が浮かんでいく様子が目に入ってくる。


「―――っ」


 そうだ――と、冷静になったいま思い出す。


 そういえば、心臓マッサージっはすごく体力がいるものらしく、男の人でも可能なら交代しながら行うのが望ましいって学校の実習で習った気が……。


 だったら今すぐにでも私も行かないと――。 そう私の理性がひっきりなしに告げている、のに……。


 ……けど、私がやったら失敗する……。 きっと、あの子を殺してしまう……と、頭の中で勝手にそう思い込んでしまい、どうしても自分の足が動いてくれない。


 だって……何故なら彼女は全てにおいて完璧な存在で、私はその逆――何にもできない失敗作なんだから……。


 何故だか私はこの時、この感情がすごく懐かしい……久しぶりの感情だと、そんなことを感じていた。


「………」


 何もすることができず……ただ黙って立っていることしかできない今の私……。


 前に見た……底の見えないガケが広がっていくイメージ……。 その時の光景が、自然と思い返され――。


「―――っ!」


 そこで、カッとなって目を見開く。


 ち、違うっ! 騙されるなっ! 何を考えているんだ、私はっ!


 最初に――初めてアイツと会った日のことを思い出せっ!


 ほ、本当のコイツは人の心をもてあそぶのが生きがいの、悪魔のような性格で――。


『ね、かっきちゃん――……手、つないで帰ろっか?』


 き、今日のコレだって……そう! きっと私をからかうために前もって準備した――。


「――……れ! 戻れ! 戻れ!!」


 あ、ああやって必死そうに見えるのも全部、演技で――。


『かっきちゃん! かっきちゃん! かっきちゃん!』


 そ、そうだ……っ! あそこで倒れてるあの女の子だって、そう……っ! 


『エヘヘ~、呼んだだけ~』


 きっと、アイツが仕込んだエキストラとか何か、で――。


「――――」


「―――っ」


「――よ、よかった~~っ」


「――――」


 それは、本当に……心の底から安心して吐き出されたような、そうとしか見えない……そんな安堵のため息で――。


「――――」


「―――っ!!」


 バシンッ! と、瞬間的に力を込めた両手で自分の頬を全力でビンタし、両目も閉じた。


「――~~~~っ!」


 痛いけど、全く痛くない。


 今の――このビンタは、馬鹿なことを考えてしまった自分自身への戒めだ。


「――――」


 こうして……目に映るあの人が、全身汗だくになりがら息を荒くし、心から安心した表情を浮かべてる……。


「……―――」


「―――っ!」


 何、で……私は……。


 今の自分の意思とは関係なく、私の胸の内から勝手に湧いてしまう別の感情――。


「――――」


 私、は――疲れ切って無防備に後ろに反らしている上半身や、何度も何度も繰り返し、救命措置のためにあの子の口に当てていた、あの人の唇に視線が集中してしまって、いて……。


「――………っ!!」


 とっさに視線を逸らし、まともに正面を向けなくなってしまう。


 私……最低、だ……っ! 人の命が懸かってる、こんな時でさえ……。


「……―――っ」


 そう考えると同時に、目に映る景色が徐々に暗く――視界の端から黒く染まっていく。


「――――」


 やがて……。 侵食し続けるその黒い闇は、光あるモノを全て塗り潰しながら、飲み込んでいき――。


「――――」


「………」


 そして、ついには……自分の世界から音までもが消え、暗い世界でたった一人きりになってしまう。


 どうして……私の心はこんなにも醜く、汚いのだろう……。


「――――」


 そう考えた時、目の前の空間がまるでスポットライトに照らされているかのようにパッと明るく輝いて浮かび上がり――まるでそれが、暗闇の中で見る舞台のワンシーンのようになって目に映る。


「………」


 私が今いる部屋はこうして暗いまま――明かりが点いているのは、あの人のいる脱衣所だけ……。


 そんな現実世界の現状も相まっての影響か、照らし出された舞台の中にいる彼女の姿はとてもまぶしく崇高で……決して手の届くことのない、遠い存在のように思えてしまう……。


 おそらく、私は……一生かけてもあの人の住む世界にたどり着けない……。


 あの人と、私との間にある、決して超えることのできない隔たり。


 それが揺らぐことのない決定的な真実だと再確認した瞬間、私の世界が歪んでいく。


『――かっきちゃん……目を閉じて……意識を集中……』


 ――そう……。


 私はあの時――言われた通りに目を閉じ、集中していた。


「――――」


 ――けど……。 集中してた私に聞こえてきたのは完全なる無音。


『かっきちゃんっ! 見えた!? ――っていうより感じた!? 聞こえた!?』


「――――」


『――聞こえた!?』


「~~~~っ!! 私には何も聞こえなかったしっ!! 何も見えなかったっ!!!」


 まるで、今の私を追い詰めるかのように目の前に迫ってきたあの人に対しそう叫び、その場から走り去ってしまった。


「――――」


「――――」


「――………っ!」


 そのまましばらく――全力で駆けていた間に、ふと気付く。


 まるで何かの捨てゼリフのように叫んだあの言葉だけだと、私の言いたかったことは全く伝わらなかった、って――。


「――………っ」


 この身で受け続ける風によって徐々に頭が冷えていってスピードが緩まり、荒くなってしまった呼吸を整えるため、一度立ち止まって考える。


「――――」


 どこをどう走り回っていたのか――いつの間にかここは寮の2階で、自室のすぐ近くまで戻ってきていた。


「………」


 ズキズキ……と、わずかに鈍痛の感じられる足の裏。


 見ると――足はくつ下のままで、クツを履き忘れてしまっていた。


『――――』


 そうしていたところで耳に届いてきた周囲の喧騒。 それから窓の外を強く点滅させる赤ランプの存在にも気付き、ここから見える寮の玄関の方に視線を向ける。


 ――そっか、あれ……。 あの人が呼んだ救急車……。


 そこには確かに、到着していた救急車が停められていて――。


「――――」


 そのすぐ後、寮の玄関から複数の救急隊員によって搬送されていくストレッチャー。


 そのストレッチャー上で横たわる……――ふたつの人影。


 ――え!?


 とっさに窓に近づき、さらに注目する。


 その二人とは、部屋で倒れていたあの子と――天西 鈴音だった。


 な、何で!?


 ストレッチャーがそのまま車両に収納された際、見えたあの人の顔にはタオルが当てられていて、そこには少量の血がついてたように見え――。


「―――っ!」


 考えるより先に身体が動き出し、救急車が停まっている玄関へと駆け急ぐ。


「……―――っ!」


 その途中、通り道の壊れた階段によって足を取られ、その上ほとんど素足状態の足の裏もチクチクとなって痛み、それでどうしても時間が掛かってしまい――。


「――――」


 遅れて私がそこにたどり着ついた時には、サイレンがもう遠くの方で小さく鳴っていて、すでに救急車が出発した後だった。


 そこに集まっていた生徒から何が起きたのか聞いて確認してみようにも、最初に現場に駆けつけた教師が付き添いとして救急車に乗り込んでしまったらしく、詳しい事情を知ることは叶わなかった。


 その後から来た寮長から、もう時間も遅くなってしまったので、詳しい事情はまた後日ということで、この場はいったん解散となった。


「――――」


 その後――。


 あの部屋で自分のクツやカバンやらを回収し、自分の部屋に戻ってから軽くシャワーだけ浴び終えた私は、今から一人分だけの料理を作る気にもなれず、冷蔵庫の残り物を適当に少しだけ食べ、そのまま眠りについた……。


「――――」


 明けた次の日の放課後。 私は先生に断って部活を休みにしてもらい、直接病院へ向かうことにした。


 ――とはいっても、詳しい事情を知る先生からひと通り話を聞いていたため、あの人の容体がどんな状態なのかおおよそは知っていた。


 部屋で倒れていたあの子は無事に一命を取り留めたものの、しばらく入院になるということ――。


 そしてあの人は、おでこへの打ち身と少量の鼻血が出た以外特に目立った外傷はないけれど、念のため二日ほど検査入院してもらう――とのことだった。


 その打ち身や鼻血についても、あの部屋でただ普通に転んでぶつけただけ、とのことらしく――。


 転んで鼻血って――まさか、私のせいで……?


 もしかして……急に走り去った私を見て、それを追いかけようとしたから……とか?


 仮に、もし――本当に私が原因だとするなら、私からお見舞いに行くのが最低限の礼儀で、当たり前のことだと思い――。


「――………」


 そんな理由もあって今、私はこうして病院に向かうバスの座席に座っており、そのヒザの上にはお見舞い用の花束。


「――――」


 それは――学校のすぐ近くにあったフラワーショップ。


 そこで何でもいいやと、適当に決めて買った花束だった。


 店員さんに、まぁ何でもいいやと今の時期のオススメの花を聞き、それから私の持ってるお財布の所持金を告げながら、適当に相談もし――。


 そこで少し考えた後、まぁ何でもいいやとちょっとだけ奮発し――。


 その時に店員さんから教えてもらった花言葉を、まぁ何でもいいやと確認しながら……ほんの30分程度吟味した後で包んでもらった。


 そんな――適当な花束だった。


 会計の際、店員さんから誕生日プレゼントですか? と聞かれたので――いえ、お見舞い用ですと答えた。


 その去り際、店員さんから小声気味で頑張って下さいねと耳元でささやかれたりしたけど、私には何のことかわからず、ただ首をかしげることしかできなかった。


 ――と、そんなことを考えている間にバスがいつの間にか目的地の病院に到着していて、私はおじいちゃんおばあちゃんが降りている後ろから慌ててついていった。


「――――」


 それから――病院の受付で『天西(あまにし) 鈴音(すずね)』の名前を告げてからお見舞いに来た旨を伝えると、すぐに病室を調べて教えてくれた。


 四人部屋の202号室で、そこの入院患者は二人だけ――とのことだった。


 2階だったらすぐだと、受付正面前にあったエスカレーターに乗ってそのまま上を目指す。


「――――」


 そうして到着した2階の廊下を歩いている際、私の手足がやけにせわしなく動き、頬が自然と緩んでいたことに気付く。


 何、だろ……。 こうして私がお見舞いに来るのは最低限の礼儀というか、ほどんど義務みたいなものなのに――。


 私ってば、何で……。


 あの人――……アイツと会うのが一日振りで、別に楽しみってわけでも全然ないのに、変なの……。


 と、そんなことを考えながら廊下を歩いていると――。


『――………っ! ――………~~~~っ!!』


 喧騒(けんそう)……というより、むしろ騒音に近いような……とても騒がしい感じの声が耳に届いてきた。


 ここは病院だっていうのに、常識ないなぁ……。


 そう他人事のように考えながら、たどり着いた目的の病室前で足を止め――。


「――――」


 アイツいる病室だった……。


 私は軽いめまいと頭痛を覚えつつも、とりあえず最初にチラリと、中の様子だけ先に覗き見てみる。


「………」


「………」


「~~~~っ!」


 そうして眺め続けていた最中(さなか)、花束を持つ私の手に、ギギギ~ッと不自然な力が入っていく。


 その病室中では……――何だか、アイツが? 昨日部屋で倒れていたあの子を抱き寄せながら、何か百回ぐらい唇を重ねただとか? そんなことをどーたらこーたら話してた。


 そんなアイツを見ながら、ついさっきまでどうやってコレを渡そうとか、そんなことを少しでも考えていた自分が一気にバカらしくなった。


 それからしばらくすると、中にいたもう一人の女の子がいきなり慌てた感じで病室から駆け出していき――。


「――――」


 不意にアイツと目が合った。


 ピキッと、私のこめかみに走った青スジ。


 ――は? よりにもよって、人の顔見て『げ』って何……?


 ふ~ん、そういう態度なんだ、へ~。


「――――」


「誰かのお見舞いのつもりで持ってきた花束だったんですけど~。 たった今、何の価値もないゴミに変わってしまったので~」


 気付くと私は病室の中にツカツカと入っていて、アイツに見せつけるようにしながら、とびきりの笑顔で隣の子に花束を差し出していた。 ……けど――。


「……ゴミ? あの……それって、私のことがゴミみたいとかって、そう言いたいんですか?」


「――は?」


 初対面の人相手に、何? その態度。


 今まで気にも止めず、眼中にすら入れてなかったこの子だったけど第一印象は最悪。


 すぐに私の嫌いな、一生仲良くなれる気がしないタイプだと、そう直感した。


「――――」


 そうした……どこか不穏めいた空気が流れていた、そんな中――。


「や、やめてっ! 私のために争わないで!!」


 コイツがいきなりそう叫び、場の空気をぶち壊しにした。


 ――にしても、コイツはさっきから、ヘラヘラヘラヘラ~ッ!


 少しでも反省というか、悪いと思ってる気持ちが全く感じられない。


「――――」


 ――あれ? 待って……。


 反省とか悪い気持ちって……誰の、何に対して……?


 そう思い、私が固まっていると――。


「―――っ!」


 目の前にいたあの子が、急に私の持ってた花束をひったくるようにして奪い取った。


 さらにそれだけじゃなく、その子はまるで私に見せつけるかのようにというか、見せつけるためだけに、アイツの腕に身体ごと――全身で抱きつき、さらに胸までも寄せていた。


「――――」


 自分にこんな感情があったのかと思うほど、貼りついた笑顔のままで私の心が冷たく凍てつき――。


『お盛んですね』


 と、今のありったけの想いを言葉に乗せ、アイツの耳元でささやいてやった。


 そのままクルッときびすを返し、出口に向かっていく私。


「―――っ!」


「――――」


 それから最後にキッとひとにらみしてから病室を出て、そこから……10歩か15歩ほど歩いた所で後ろの方が微妙に気に掛かり、チラッと少しだけ後ろを振り返ってみる。


「………」


「~~~~っ!」


 今度は追いかけてこないのかよっ!


 そう思いながらその場で地団駄し、出口の正面玄関を目指す。


 何だか私って、ずっとアイツにいいようにもて遊ばれてるだけのような気がしてならないんだけど~っ。


 そう考えること、それ自体が無駄だとわかりながらも、怒り心頭でどうしても身体が熱くなってしまい、それに合わせてドシドシと歩き方も乱暴になってしまう。


 そんな時――。


「――――」


「――あの~、すみませ~ん」


 少し前方から声を掛けてきた白衣の男性が、急に私を呼び止めてきた。


「は、はい!?」


 ちょっと恥ずかしいところを見られてしまったかもしれないと、多少私が動揺していたところへ――。


「あの~……あなたは、天西さんのご友人の方ですか?」


 と、いきなりそう質問された。


「――――」


 友人、か……。


 そう言われてみてから、あらためて考える。


 そういえば……私とアイツとの関係って何だろ?


 先輩と後輩? 同じ寮に住む同居人? 敵同士? ライバル?


 ……どれも、しっくりこない。


『ほらほら~、かっきちゃ~ん♪ 呼んで~?』


『私のことは――』


「――――」


「おねーちゃん……」


「……姉?」


「――ああっ、大変失礼しました! 妹さんでしたかっ!」


「え!? ち、違――」


「――確かに! そう言われてみればお姉さんと同じ、キレイな黒髪の美人さんですしすね~」


「あ、いや――」


 ついとっさに口から出てしまった言葉をすぐさま否定しようとするけれど、続けて話す医師の口が止まらない――。


「――あぁ! 大変申し遅れました。 私はここの医師をしてる戸松(とまつ)と申します」


「あらためて妹さんに確認なのですが、あそこの病室にいるのは、あの天西 鈴音さんで間違いないんですよね?」


 軽いお辞儀だけして自己紹介した医師が、その後からよく意味のわからない質問をしてくる。


「――えっと……『あの』が一体どれをさしているのかはわかりませんけど、あの人の名前は天西 鈴音で合ってますよ」


 前に生徒手帳を見せてもらったこともあるし、それで間違いないハズだ。


 ――って、それはいいけど、まずそれ以前に私は妹さんじゃないので、とりあえずその弁明を~……。


「――そう、ですか……」


 今の私の答えを聞いた目の前の医師が目を丸くさせ、少しだけ驚いた様子をみせたかと思うと――。


「驚きました……。 彼女、まだ死んでなかったんですね」


 と、独り言のようにそうつぶやいた。


「――は?」


 その医師の言動と、先ほどまでの苛立ちも合わさって、私の目に殺気に近い感情が宿った。


「――ああっ、いえっ! 勘違いなさらないで下さいっ!!」


 私の目を見た医師がたじろぎ、2、3歩下がりながら違う違うと慌てて否定する。


「――けど、もしそうなら……後天性で発病した中での世界最長記録なのでは、と思いまして~……」


「……何の話ですか?」


 後天性とか発病とか、あまり聞きたくない単語だったけど、その内容が気に掛かる。


「え? 何って、それはもちろん通称、若年性魂魄減退じゃくねんせいこんぱくげんたい……――って! す、すみませんっ! も、もしかして、ご家族の方はこのこと~」


「――――」


「――子供病……」


「あぁ……そうそう、ご存知でしたか~、よかったです~」


 目の前の医師がホッと息を吐き出し、胸をなで下ろす。


「――そうっ! 私の記憶が確かなら、およそ二年で死亡するとされているこの病に彼女は四年前から発病し、それでも生き続けていることになるんですっ!」


「これは世界的に見ても非常に稀なケースで、まるであの山井出――……あれ?」


 続けて医師が何かを話していたようだったけど、その内容はもう私の耳に届いてなかった。


「――――」


「――――」


 次に気付いた時、私はひとり洗面台の前に立ったまま……。 手元から勢いよく流れ続ける蛇口の水音が耳に届いていた。


「………」


 鏡に並んで映る個室のドア。


 ……ここ、って――。


「―――っ!」


 ――限界だった。


「おぅ゛ぇっ!! ――ゴボッ!」


「――――」


 ――戻した。


「――――」


「――ぅ゛……ぇ゛……っ!!」


 二回目でえずいて出てきたのは胃液だけ。


 どうやら最初の一回で全てのモノを出し切り、それで胃の中がカラッポになってしまったようだった。


『子供病』


「……―――っ!」


 そう考えただけで再び込み上げる吐き気。


 何、で……また……っ!


「―――っ」


 そのまま――ガクンとなってヒザから下が崩れ落ち、洗面台に置いた片手だけを支えに、その場に座り込んでしまう。


「っ! ちょっとあなた! ――大丈夫!?」


「あらやだ……大変っ!」


「――ちょっと~っ! 誰か~っ!!」


 すぐ後ろから驚く誰かの声が聞こえ、その声が叫び声とともに遠ざかっていく。


 人が、来る……。


 ……もう、ここにはいられない。


 というより、いたくなかった……。


「――~~~~っ!」


 そう思いながら気力だけで上半身を無理やりに起こし、壁に手をつきながら何とかその場から離れていく。


「――――」


「――――」


「………」


 どのぐらいそうしていたかなんてわからない。


 気付くと私は頭からシャワーを浴びている状態で、その熱を全身で感じていた。


 私にとってはちょっと熱めの、身に覚えのある温度。


 アイツの設定した、アイツの好きな温度だった。


 そう思いながら視線をめぐらせる。


「――――」


 よく使うシャンプーなどが見慣れた配置で置かれていて――。


 どうやらここは寮の自室の浴室で間違いなさそうだった。


「――――」


 シャワーを浴び終え、浴室から出る。


 何だか……全身が、やけにだるくて……頭が、重い……。


 ……まぶた……も……。


「――――」


「――――」


 ……目を開ける。


 どうやら昨日の夜は窓も閉めずに寝てしまったらしく、差し込む朝日と、そこから吹き込む少し肌寒い風で目を覚ました。


 寝て起きてからも、身体の調子は昨日の状態のまま……。 手足にまともに力が入らず、頭だって重い……。


 かといって学校を休む気にもなれず、そのまま普通に登校し、授業を受ける。


「――――」


 今日……アイツが退院してくる。


 次に会った時、私はどんな態度を取ったらいいのだろう。


 そして、最初のひと言は何と言えばいいのだろう。


 そんなことを考えている間に授業は終わってしまい、そのまま惰性のような動きと流れで剣道部の練習メニューを黙々とこなし、部屋へと戻った。


「――――」


 その日、アイツは帰ってこなかった。


 夜になって掛かってきた電話の向こうのアイツが言うには、何でも検査入院の予定日数が少しだけ延びた、とのことだった。


 だったら……――と、その日の深夜。


 私は、あの階段の所まで来ていた。


 ここは学生寮に二箇所ある階段の内の一方で、そこには立ち入り禁止のテープやらカラーコーンなどが置かれ、完全に封鎖されていた。


「――――」


 その奥の方に見えるのは、壁から、床から――天井に至るまで、完全に破壊され尽くされた階段まわり。


 その中で私が特に注視して見ていたのは、天井に大きく開いた穴と、階段の少し手前で踏み抜かれた床板。


「………」


 その位置を確認した後で私はクルッと振り返り、そのまま自室に戻っていく。


「――――」


 そうして戻ってきた自室前――。


 そこで――はぁ~……と息を吐き出しながら、ゆっくりと身体を反転させ、また階段の方へ向き直る。


「………」


 そのまま、しばらくの間……。 深く……大きな深呼吸を何度か繰り返し――。


「―――っ!!」


 そこから一気に加速っ!


 必死に駆け続けながら、さっきまでいたあの階段を全力で目指す!


「――――」


「――~~~~っ!」


「――――」


「―――っ!!」


 『そこ』にたどり着いた瞬間、全力で跳躍!


 ――私が踏み込んだ地点は、あの踏み抜かれた床板とほぼ同地点。


 そして、目指していた先も同じ、天井に大きく開いた、あの穴で――。


「―――っ!!」


「――~~~~っ!!!」


「――………っ!」


「――――」


「――――」


「………」


「――痛……っ」


 私は、そのまま――。


 立ち入り禁止の黄色と黒のテープを全身に絡みつかせながら階段を転がり落ち、踊り場まで落下していた。


「………」


 今の私はその踊り場で仰向けに倒れたまま……全身から発せられる痛みが引くまでの間、しばらく考え続けていた。


 私にだって、常識はある……。 だから、あそこに届かないのは最初からわかっていた。


 けど……。


 けど、まさか――手すら届かないだなんて、思ってもみなかった。


「………」


 ここから天井の穴を見上げながら、グルリと首を動かし、あらためて周囲を見渡す。


「――ハハハ……」


 もう笑いしか出てこない。


 もう……ただただ、遠い……。 そのことを再認識した私はまだ痛みの引かない自分の身体に鞭打ち、全身に貼り付いていた立ち入り禁止のテープを丁寧に剥がし、元の状態へと戻していった。


「――――」


 次の日も、その次の日も――アイツは帰ってこなかった。


「――――」


 そうして迎えた五日目の朝。


 ようやく戻ってきたアイツが、いきなり私の目の前に現れた。


「いや~、まいったよぉ~」


「検査入院って聞いてたけど、こんなに長引くとは思わなくてさ~っ」


 そうやってドスンと荷物を下ろしながら、いかにも疲れた~といった感じで明るい笑顔を見せるアイツ。


「検査って、何だか服脱いだりするのが多いし、それがすっごく恥ずかしくってさぁーも~っ。 それから私の苦手な注射もあって~――」


 そんな話を聞きながら、私の瞳がさらに冷たくなる。


「――――」


 嘘が上手いハズだ……。


 私が見抜けないワケだ……。


 こうやって注意深く見てても、本当のことを言ってるようにしか見えないし、聞こえない……。


 あれだけの大きな嘘――死の病を周囲に隠し続けているのだから、そんなのは当然だった……。


「――か、かっきちゃん!?」


 すぐ目の前にはアイツの顔。


「ゴ、ゴメンねっ!! あの時のこと、まだ怒ってるんだよね!?」


「い、いや! 聞いて!? アレには理由があってね――」


 ――そう……だった。


 言われるまで完全に忘れてた。


 何だか……あの日、あの時のことが……もう、すごく遠い昔のことのように思える。


 私がいまだに怒っているのだと勘違いし、よくわからない言い訳を続けるアイツ。


 そんな……どこまでも純粋で、この瞬間を必死に生き続けているような様がいちいち私の負の琴線に触れる。


 そうだ……まるで誰かを彷彿させる――。


「――――」


 ――あぁ……本当に……。


 これまでの全部が、まるでただ熱に浮かされていただけの、くだらない熱病に思えてしまってしょうがない……。


 よく考えてみたら最初に会った時からそうだったし、あらためてそれを再確認しただけだ。


 私は……目の前にいるコイツのことが――。


 すごく、『大嫌い』なんだ――と。


 これから先――コイツが何をどうしようと、もう私の方から何かを干渉するつもりは一切ない。


 そう、心に決めた。


「――――」


 そう決意した矢先――この学院のトップ、学院長がいきなりこの寮の部屋を訪ねてきた。


 それから、この学院で一番大きな次の試合に参加してほしいと言いながら、アイツに頭を下げてきて――。


「――絶対にダメッ!!!」


 にもなく叫んでしまった。


 そうだ……。 コイツの肩書きはこの学院の剣王……。


 認めたくはないけど、この人はこの学院生徒の憧れの対象で、試合の話なんてこれから先いくらでも舞い込んでくるのだろう。


 しかも次の試合はこの学院で最大規模のもので、その対戦相手も学院長自らがコイツでしか止められないと認めるほどの強敵、とのことらしく――。


 コイツが負けるなんて欠片も思ってない……――けど、前の剣王との戦いだって、あんな……人の領域を超えかねない超人的な動きで……。


 そう考えると、次の戦いがこの間の試合以下になるなんて到底思えそうもなかった。


 あんなの……普通の人が……――ううん。 普通を超えるようなアスリート選手だったとしても、全身にありえないほどの異常な負担が掛かってるって、素人の私でもわかる。


 それが、見た目――ほとんど鍛えてなさそうに見える、死の病を抱えた人がやったりしたら……まず間違いなく命を削る行為になるって、そう断言できる。


 コイツのことは確かに大嫌いだけど、自分の目の前で人が無駄に命を粗末にするような真似は見たくもないし、それが事前に阻止可能なら身体を張ってでも絶対に止めたい。


 ただ、それだけ……。 それだけの理由のハズだ……。


 そんなこと絶対にさせない――そんな意気込みを言葉に乗せ、コイツの試合参加を頑なに拒み続ける。


 その最中(さなか)、私のそういった気持ちをくんでくれたのか、コイツが納得した表情で頷くと――。


「私が絶対にかっきちゃんのこと守るから……。 ――だから……ね?」


 このバカ……ッ!


 少しでもコイツに何かを期待しようとした私がバカだった。


「……――~~~~っ!」


「――もういいっ!!」


 私はそのまま怒り任せの捨てゼリフを吐き、部屋を飛び出してしまった。


 あ~っ、もうっ!!


 心の中でそう叫びながら、寮の廊下の中央をドシドシと早足で突き進んでいく私。


『守るから』


『私が絶対に』


 その間にも――何故だか頭の中で止むことなく、繰り返し何度も流れ続けてくるアイツの言葉。


 それが、何度も……何度も……。


「―――っ!」


 瞬間、何故か緩んでしまったように感じられた自身の顔を引き締めるため、思いっ切り両手で頬をひっぱたいた私だった。


 そうして頭を冷やしてから部屋に戻り、気まずい雰囲気のまま迎えた次の日の学校。


『――――』


 休み時間のトイレから戻る際――ふと、知っているような声が聞こえた気がしたため、気になってそちらの方に視線を向けてみる。


 廊下では何やら、ちょっとした騒ぎが起きていて――。


 その中心に、アイツがいた。


「――………」


 額に手を当てながら、大きく息を吐き出す。


 また……アイツ……。


 良い意味でも悪い意味でも、いつも話題の中心にいるな~と思いながら近づき、人垣(ひとがき)の間からアイツの様子を覗き見る。


「――――」


 アイツの目の前には、ちょうど少し前に一緒に入院してたあの子が、いて――。


「――――」


 ――そうだ……思い出した。


 学院長が昨日言ってた、今回戦う対戦相手……それがあの子だった。


 学院の中で、素手における最強の拳王? ……あの子が?


「………」


 見た感じからして……身体を鍛えているようには、とても見えない……。


 確か……病院を退院したのだってついこの間らしいし、いくら何でも……。


 そんなことを考えながら見ていると、何だかあの子がやたらと好戦的な……敵意の視線をアイツに向けてる……?


「――――」


 チラッと、一瞬だけその子と目が合った瞬間――。


『あ~もうっ! わかるでしょ!?』


 何故だか不意に、あの時にアイツから言われた言葉が頭をよぎった。


 あの子を見てると……何だか、心がザワつく。


 何か、嫌な感じ……――というより、アイツが私以外から敵意というか、悪意の感情を向けられているのを初めて見た。


 ――けど、何でだろ……。 ざまーみろとか特に思えない……。


 それどころか、むしろ……怒り? のような心のザワめきを少しだけ感じていた。


「――――」


 私がそんな考え事をしている間にも話は進み、どうやら今日の12時半に行う見桜戦で決着をつけようということで話がまとまったようだった。


 ――まぁ、ここにいるみんなもそれを楽しみにしてるみたいだし、私もついでに……――って、そうだ!


 学院長が昨日話していた中で、今回の見桜戦は学院創設以来初、三人でのバトルロワイヤル、って……――私も!?


 色々あったせいで、自分の肩書きも一応は剣王だったということを、今さらながらに思い出したりした。


 そうして試合が始まるまでのわずかな時間の中、よくわからない緊張感を抱えたまま、昼までの授業を受けるハメになってしまった。


 そうして迎えた昼休み――少しだけ急いでお昼のお弁当を食べ終えた私が直接会場に向かうと、そのまますぐに試合開始の時間となってしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ