第六十四話「ベルガー事件」
〈四月一日〉
ベルガーで冒険者ギルドのメンバーが殺害される事件が起こった。殺された冒険者は、レベル1の駆け出しの剣士。二ヶ月前に冒険者ギルドに登録したばかりなのだとか。ベルガーのダンジョン一階層で、スライムの討伐クエストをこなしていた時、突如ダンジョンの奥から現れた闇属性のモンスターに殺害された。
冒険者を殺害したのはレッサーデーモンだった。レベル1の冒険者を殺したレッサーデーモンは、ダンジョンから飛び出し、ベルガーの住民を襲おうとしていた所を、たまたま出くわしたランドルフによって討伐された。事情を知らなかったランドルフは、討伐したレッサーデーモンの魔石を冒険者ギルドに持ち込み、換金しようとした所、ギルドの職員が異変に気がついた。レッサーデーモンの魔石にしてはあまりにも強すぎると。ギルドの職員は換金のため、魔石の強さを測った時に表示されたステータスが、通常のレッサーデーモンを遥かに上回っていた事に気がついた。
その日から、強力な闇属性のモンスターが次々とダンジョンの一階層や二階層で湧くようになり、ベルガーの政府はレベル4以下の冒険者のダンジョン立ち入りを禁止にした。ベルガーの政府はダンジョン内の異変を調べるために、ハース魔法学校の学長、アレクサンダー・クロス先生と、冒険者ギルドのマスター、ルーカス・バルツァーに白羽の矢を立てた。
冒険者殺害事件が起こった翌日、早朝にダンジョンの調査に向かったクロス先生とギルドマスターが音信不通になった。二日待っても三日待っても、クロス先生とギルドマスターは戻らず、ベルガーの政府は住民に対して外出禁止措置をとった。
ヘルフリートは魔法学校を守るために、巨大な聖域の魔法陣を書き上げ、魔法学校を防御した。聖域の魔法陣の効果により、魔法学校内から外部に対して、いかなる攻撃を仕掛ける事も出来ないけれど、魔法学校の生徒達が学校内に居る限り、レベル6以下の全ての魔法攻撃、物理攻撃から守られる。ランドルフをはじめとする獣人の冒険者達は、ダンジョン前で陣形を組み、ダンジョン内から湧いて出てきたモンスターを討伐し続けている。
事態は悪化する一方で、冒険者殺害事件が起きてから五日後、ついに二人目の犠牲者が出た。外出禁止令を破った住民が、夜間にベルガーの町を徘徊していた時、闇属性のモンスターに殺害された。モンスターはアラクネだった。夜間も休まずにベルガーの町を警護していたヘルフリートは、住民の悲鳴を聞くや否や事件現場に急行し、すぐにアラクネを討伐した。
ヘルフリートの推測によると、ベルガーのダンジョン内で、何者かが闇属性のモンスターを召喚している。もしくは、ダンジョン内に強力な闇属性のマジックアイテムが放置されており、マジックアイテムの力によって、モンスターが強化されていると考えているらしい。
「エミリア。君なら既にレベル5程度の闇属性のモンスターなら一人でも倒せるだろう。俺はこれからランドルフを連れてダンジョンに潜る! エミリアは聖域の魔法陣を全ての住民の家に対して掛けてくれるかい?」
「全ての住民? そんなの無理だよ!」
「無理かもしれないが、このままではダンジョンから湧いてくるモンスターに町を占拠されてしまう。ダンジョンから湧くモンスターのレベルも、日に日に上がっているような気がする。ベルガーの町を守る力があるエミリアが、俺の代わりにこの町を守ってくれ!」
「わかった……だけど、無茶はしないでね! 絶対生きて帰ってきてね!」
「大丈夫だ。フィリア、エミリアを頼むよ。絶対にダンジョンの中には入らないように」
「うん……ヘルフリート。私はエミリアと共にベルガーを守るね……」
「うむ。それじゃ二人共。ベルガーを任せたぞ」
ヘルフリートはランドルフを連れてダンジョンの攻略に出発した。今は夜の二時、眠っている場合ではない。事は急を要する。私は冒険者ギルドで馬車を借り、街中の道具屋を回って、ありったけのマナポーションを売ってもらった。
私とフィリアは町を巡回しながら、一軒ずつ聖域の魔法陣を掛けて回った。私が聖域の魔法陣を書いている間も、モンスターに奇襲される事があった。ヘルフリートがダンジョンに潜る前にベルガーの町から出てきたモンスターだろうか。
魔法陣を書き続ける私を、フィリアはストーンジャベリンやファイアボールを使って討伐し続けた。魔力が切れるまで魔法陣を書き、マナポーションを飲んで魔力を回復させる。お腹が減ったらパンを一口かじり、また魔法陣を書き始める。
冒険者区ではバルタザール、ヴィクトール、レオナ、ティアナが率いる獣人の討伐隊がモンスターと交戦している。日常的にヘルフリートから戦いを教わっている獣人達の強さは圧倒的だった。レッサーデーモンの大群やデュラハンが湧いても、すぐに駆逐した。
私は魔法陣を書き続けている時、全ての家に対して聖域の魔法陣を書く事は不可能と考え、大きな屋敷や建物に住民を集め、聖域の魔法陣を書いた。住民の説得には時間が掛かったけれど、この方が遥かに効率良く住人を聖域の魔法陣で守る事が出来ると思った。
全ての魔法陣を書き上げた日、ダンジョンからは大量のモンスターが湧き出たが、聖域の魔法陣のお陰で、モンスター達は住民に対して攻撃を仕掛ける事すら出来なかった。魔法陣の外に居る、モンスターを討伐する力を持つ冒険者達が、大量のアラクネやデュラハンとやりあっていると、ランドルフがダンジョンから戻ってきた……手にはヘルフリートのルーンダガーを握っている。
「師匠が……」
「え……? ヘルフリートがどうしたの?」
「師匠が……俺を守って死んだ……」
「そんな……」
ランドルフはダガーを私に渡すと、怒り狂ったようにベルガーの町のモンスターを殺し始めた。ヘルフリートが死んだ? そんな馬鹿な……絶対に有り得ない。私のヘルフリートがダンジョンで命を落とすなんて。
「ヘルフリート……」
私はヘルフリートのダガーを握りしめると、力なく地面に座り込んだ。ヘルフリートが死んだなんて嘘に決まっている。
「エミリア……ヘルフリートが死ぬ訳無いよ……きっと何かの間違いだよ……」
「ランドルフが死んだって言ったじゃない! ヘルフリートはモンスターに殺されたのよ!」
「そんな……」
私の目からは大粒の涙が溢れた。ヘルフリートが死んだんだ……私が弱いからいけないんだ。私がヘルフリートと一緒にダンジョンに潜っていれば、ヘルフリートは死ななかったかもしれない。
「エミリア……強く生きてね……私はヘルフリートの精霊。役目を終えた私は精霊の国に戻る事になる」
「え……? ちょっと! どういう事?」
「精霊と召喚者は一心同体。私はもう二度とこの大陸に来る事は無いと思う……今までありがとう……大好きだよ、エミリア」
「嘘! 行かないでよ!」
私がフィリアの体を強く抱きしめると、フィリアの体は強く光り輝いた後、光は消えた……フィリアまで行ってしまうなんて。私はこれからどうしたら良いのだろう。
ベルガーの町を震撼させた事件は、ヘルフリートの死後、間もなく終結した。ベルガーの政府は、ヘルフリートの英雄的行為を称え、ヘルフリートがかつて行っていた慈善事業を引き継いだ。主にハース区の住人に対する無料の教育、衣食住の提供だ。
私はモンスター襲撃事件での活躍が認められ、ベルガーから大量の報酬と騎士の称号を得た。しかし、私はお金や騎士としての貴族の地位なんて必要ない。今の私に一番必要なのはヘルフリートだけ……ヘルフリートもフィリアも失った私は、一心不乱に魔法の練習に励んだ。早朝に起き、魔法学校で魔法の訓練をした後、屋敷に戻り、深夜まで魔法の訓練をする。
ヘルフリートを忘れるために、激しい訓練を積み、ベルガーのダンジョンのモンスターを徹底的に討伐し続け、魔法学校を卒業した頃、私は天空の魔法陣を使いこなせるようになった。レベル8まで己を鍛えた私は、ベルガー政府から大魔術師の称号を頂いた。
魔法学校を卒業後、錯乱の呪文によって苦しむ両親の呪いを解いた。両親は涙を流しながらしばらく私の体を抱きしめ続けた。私は両親以外にも、錯乱の呪いに苦しむ人達を救いながらベルガーを旅して回った……。
ありとあらゆる異常状態を治癒出来る天空の魔法陣を使い、多くの民を苦痛をから開放しながら世界中を転々としていた。そんな生活が七年も続くと、私の魔力はついに1000を超えた。ヘルフリートを失った悲しみを忘れるために、他人を癒す事だけに意識を集中させて生きていた、ある日。私の元に一通の手紙が届いた。
手紙の差出人は、ハース魔法学校のゲゼル先生だった。ゲゼル先生はクロス先生の死後、学長に座につき、今はハース魔法学校で魔法研究の授業を担当しているのだとか。手紙の内容は、私にハース魔法学校の副学長になって欲しいとの依頼だった。
「久しぶりにベルガーに戻るのも良いかもしれないわね……」
私はハース魔法学校の教師になる事を心に決め、久しぶりにベルガーの町を訪れた……。