第五十四話「賢者の激昂」
〈ヘルフリート視点〉
二体目のアラクネを倒した瞬間、森の中からエミリアの魔力が消えた。何があったんだ? 急いで振り返ると、二体のデュラハンがエミリアの体に剣を突き立てていた。俺はその光景を見た瞬間、激昂した。ロングソードにありったけの魔力を込めて、デュラハンの体を切り裂いた。錆びついたデュラハンの鎧は一撃でバラバラに砕け散った。
二体のデュラハンを徹底的に破壊した後、俺は急いでエミリアを回復させた。腹部からは大量の血が流れていた。もし、俺が人間なら涙を流していただろう。人間ですらない俺には涙を流す事も出来ない。
ヒールの魔法をエミリアの腹部に掛け続けると、傷は塞がり、エミリアの苦しそうな表情は和らいだ。しかし、俺の怒りは収まらない。徹底的に闇属性のモンスターを駆逐してやる……エミリアを聖域の魔法陣の中に寝かせると、俺はロングソードを構えて墓地に入った。
墓地にはリビングデッドとレッサーデーモンが三十体程居た。敵は俺の姿を見るや否や、物凄い勢いで襲い掛かってきたが、俺は敵に攻撃する隙も与えずに、徹底的に切り刻んだ。怒りに任せて墓地の中のモンスターを殺し尽くすと、俺はついに我に返った。
「俺がいけなかったんだ……こんな場所にエミリアを連れてくるから……」
モンスターの魔石を拾い、墓地の中に闇属性のモンスターが湧かないように、大地に対してホーリーの魔法を込めた。強い闇属性の魔力を含む大地にホーリーの魔法を注ぎ続けると、大地から感じる魔力の雰囲気が変わった。心地の良い聖属性の魔力を感じる。これでもうこの墓地に闇属性のモンスターが湧く事はないだろう。
エミリアの元に戻ると、彼女はすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。俺はエミリアを起こさないように、ゆっくりと彼女の体を抱き上げた。ずいぶん軽いんだな。エミリアを守ると誓ったはずなのに……エミリアがデュラハンに攻撃されたのは俺のせいだ。森の中を歩いてウィンドホースと合流すると、馬達は心配そうにエミリアを見つめた。馬がエミリアの顔を舐めた時、彼女はゆっくりと眼を覚ました。
「ヘルフリート……?」
「ああ。大丈夫かい?」
「ええ……私は大丈夫。怪我は……?」
「治しておいたよ」
エミリアは自分の腹部を確認すると、安堵の表情を浮かべた。彼女は俺の顔を見つめると、涙を流し、強く俺の体を抱きしめた。
「私、足手まといだったよね。ヘルフリートだけでも倒せたんだよね……」
「そんな事はないよ。俺はエミリアが居るから頑張れるんだ」
「本当? 私……ヘルフリートと一緒に居ても良い?」
「勿論さ。俺の恋人になってくれたんだろう? これからも一緒にいておくれ」
「ありがとう……私、もっと強くなるね。今回みたいな失敗は二度としない」
エミリアは思いつめた様な表情で俺を見つめた。彼女はよく戦ったと思う。初見のデュラハンを一度に三体も相手をし、一体を再起不能にしたのだから。
「ギレスに戻ろうか。今日は早めに休もう」
「そうしましょう……」
俺はエミリアを自分の馬に乗せると、彼女を後ろから抱きしめる要領で手綱を握った。馬を走らせている間、エミリアは時折嬉しそうに俺の方を振り返って微笑んだ。俺がもっと強くなって彼女を守らなければならない。ギレスの冒険者ギルドの職員は、墓地にはレベル4のモンスターが沸くと言っていたが、さっき俺が倒したアラクネはレベル5以上はあっただろう。デュラハンの方はレベル4相当の強さだった。
モンスターがあんなに大量に沸くまで、強い闇属性を放つ土地を放置しておくとは。ギレスの冒険者ギルドは一体何をしているんだ。自分達の力で対処出来ないのなら、ベルガーの冒険者ギルドに援助を要請すれば良いのに。
しばらく馬を走らせるとギレスに到着した。俺は先にエミリアを宿に送ってから、冒険者ギルドに向かった。冒険者ギルドに着いた俺は、職員を呼んで墓地での出来事を説明した。
「墓地にレベル5の強さを持つアラクネが? 信じられませんね! 本当にそれ程までに強力なモンスターが居たのですか?」
「ああ、居たとも。これがそのモンスターの魔石だ。二体のアラクネのレベルは5。三体のデュラハンのレベルは4程度だ」
「確かに……この魔石はレベル5のアラクネとレベル4のデュラハンの物に間違いありませんね。ローゼンベルガー様と共にクエストをこなして頂き、ありがとうございました。私共も、墓地のモンスターの強さを正確に調べる事が出来ずに、申し訳ありません」
「まったくだ……レベル5のモンスターの討伐クエストなら、俺はエミリアを連れて行かなかった! 冒険者にモンスターの討伐を依頼するなら、事前にモンスターのレベルくらい調べておく事だな。もしこのクエストを受けたのが力のない冒険者なら、たちまちモンスターの餌食になっていただろう」
「失礼しました!」
「そして、闇属性が蔓延していた墓地を浄化しておいた。あの土地からは二度と闇属性のモンスターは生まれないだろう」
「浄化……ですか?」
「闇属性の魔力を持つ土地に対し、強い聖属性の魔力を込め、土地の自身の魔力の質を変える事だ」
俺が詳しく説明すると、ギルドの職員達は俺に対して何度も感謝の言葉を述べた。今回の報酬は、本来の報酬額よりもかなり多めの四百クロノになった。現金と妖精の召喚書を頂いた俺は、すぐにエミリアの元に戻る事にした……。
〈エミリア視点〉
一足先に宿に戻った私は、荷物を置くとベッドに倒れこんだ。
「もっと強くならないと……」
ヘルフリートのためにも、自分自身のためにも。だけど、あんなに強いモンスターが沸くなんて、冒険者ギルドでは説明もなかった。ギルドの職員が私に対してクエストの説明をした時、「レベル4を超えるモンスターが墓地に沸いている」と言っていたけれど。ヘルフリートが倒したアラクネは、以前ダンジョンの中で遭遇したアラクネよりも遥かに大きく、禍々しい魔力を放っていた。あのモンスターがレベル4のはずがない。ヘルフリートだから勝てたんだ。やっぱり私の賢者様は本当に凄いな。私はデュラハンを一体しか倒せなかった。
「早く強くなるんだ……ヘルフリートのためにも、両親のためにも」
そうと決まれば今から魔法の練習をしよう。私の目標でもある、天空の魔法陣の練習だ。私は賢者の書を取り出し、ヘルフリートが書いてくれたお手本を眺めた。生前のヘルフリートは、こんなに複雑な魔法陣も使いこなせたんだ。私と彼との実力差を埋めるには、生前の彼以上に努力をしなければならない。私は絶対に自分の力で錯乱の呪いを解除してみせる。
魔法陣の手本を確認しつつ、杖から魔力を放出して、床に魔法陣を書き始めた。不思議と体に疲れはなく、むしろ普段よりも更に魔力の総量が上がっているような気もする。多分、ヘルフリートが私を回復するためにヒールの魔法を掛けたからだろう。体内から彼の心地の良い魔力を感じる。
それからしばらく魔法陣を書いていると、私の魔力はすぐに底をついた。魔法陣はまだ三分の一も書けていない。天空の魔法陣は大量の魔力を消費し、模様も非常に複雑だ。今の私ではこの魔方陣を書く事すら出来ない。確か天空の魔方陣を完成させるには、レベル8か9の魔術師になる必要があると、以前ヘルフリートが言っていた。どれだけ時間が掛かろうと、毎日魔法の練習を続けて、必ずこの魔方陣を完成させてみせるんだ。
そして、天空の魔法陣が書けるようになれば、ヘルフリートを召喚するための、魔力1000の到達も夢ではなくなる。ヘルフリートは二十五歳の時に魔力が1000を超えたと言っていた。しかし、ヘルフリートは魔法の練習だけではなく、剣を使った戦い方の練習や、国や地域を守るためにモンスターを討伐したりと、様々な事を平行して行っていた。もし、私が魔法の練習だけを毎日続けたら、彼よりも早い時期に魔力1000になれるに違いない。いいえ、私は絶対ヘルフリートを召喚出来る魔術師になるんだ。鞄の中からマナポーションを取り出して魔力を回復させると、ヘルフリートが部屋に戻ってきた。
「待たせたね、エミリア」
「おかえり、ヘルフリート」
「具合はどうだい?」
「おかげさまで。最高の気分よ。天空の魔法陣の練習をしていたの」
「魔法陣の練習? 今日くらい休んだらどうだい? エミリアはよくやったよ。たまには休む時間も必要さ」
「うんん。いいの。魔法の練習をしていたの」
「そうか……」
ヘルフリートは鞄の中からクエストの報酬を取り出した。四百クロノと妖精の召喚書だった。随分報酬が多い気がするけれど……。
「お金はエミリアが持っていてくれ」
「ほとんどヘルフリートが倒したのに、私がお金を貰っていいの?」
「別に良いさ。俺はエミリアの召喚獣だからな」
「そうだよ……ヘルフリートは私の召喚獣なの。だから私が守らなければならないのに……」
私はヘルフリートの体を強く抱きしめた。ヘルフリートは六百年の時を経て現代に召喚された賢者だ。私なんかよりもこの世界にとって大切な人なんだ。私が守らなければいけないんだ……。
「エミリア。妖精を召喚しよう! きっと俺たちの助けになる心強い仲間が生まれるだろう」
「うん。だけど、どの属性の妖精を召喚するつもり?」
「そうだな……エミリアが聖属性と氷属性、水属性。俺がファントムナイトの時は聖属性しか使えない訳だから、属性が偏りすぎていると思うんだ」
「それなら、雷、風、土、火のどれか?」
「そうだね。土属性なんて良いんじゃないかな。俺がゴブリンになった状態で妖精を召喚すれば、土属性の妖精が現れるはずだ」
ヘルフリートの提案により、土属性の妖精を召喚する事に決まった。私は久しぶりにヘルフリートをゴブリンの姿に再召喚した。背の低いゴブリンは、自分の体を不思議そうに触った後、妖精の召喚書を開いて床に置いた。両手を召喚書に向けて、土の魔力を注ぐ。ついに妖精が現れるんだ。ヘルフリートの魔力を受けた召喚書は、強い光を辺りに放つと、光の中からは一体の妖精が姿を現した……。