第四話「南の森」
コリント村の南口を出ると、森林地帯が広がっており、森には馬車が通るための広い道が迷宮都市ベルガーまで続いている。確かこの道を馬車で五日間程進むと、迷宮都市ベルガーに着いたはず。四月一日から魔法学校に通うのだから、三月の三十日頃には迷宮都市に着きたい。そのためには二十五日頃にコリント村を出発しなければならない。
「エミリア、どんな魔法から練習しようか?」
「魔法の事はほとんど分からないのですが、この本はホーリーの魔法から練習した方が良いって言ってました」
「まさかエミリアは本の言葉を信じるつもり? でも、聖属性の魔法の練習を始めるなら、ホーリーが良いかもしれないわね。私もホーリーの魔法は使えるのよ」
「そうなんですか? そういえば聖属性と風属性の魔法が使えると言っていましたね」
「ええ、そうよ。ここから十分程歩いた場所に、綺麗な花が咲いている所があるの。たまにお昼を食べに行く事があるのだけど、そこで魔法の練習をしようか」
「はい、よろしくお願いします!」
昼の涼しい森の中を、イーダさんと他愛のない話をしながらゆっくりと進む。しばらく歩き続けると、森が少し開けた場所に着いた。色とりどりの花が咲いており、小動物達が楽しそうに昼寝をしている。こんなに綺麗な場所があったんだ。
私は思わず草の上に寝そべった。気持ち良い……。森の中にはこんな素敵な場所があるんだ。知らなかったな。
「エミリア! この辺りモンスターが居るみたい!」
「え? モンスターですか?」
「ええ、これを見て頂戴」
イーダさんが指差す先には、モンスターの持ち物と思われる剣が置かれていた。使い古された剣で、長い間研磨すらしていないような感じ。錆びだらけで刃がボロボロになっている。イーダさんが剣に触れた瞬間、森の中から一体のモンスターが姿を現した。
「ゴブリンよ! 私の後ろに隠れて!」
緑色の肌で背は低く、手にはナイフを持っている。ギラギラとした赤い目で私達を睨み付けてる。モンスターだ。どうしてこんな所で出会ってしまうのだろう。ゴブリンがナイフを振り上げた瞬間、イーダさんは懐から杖を抜いて、魔法を唱えた。
『ウィンドショット!』
魔法を唱えた瞬間、イーダさんの杖の先端には強い風の魔力が集まり、魔力は小さな塊に姿を変えた。杖を押し出すようにゴブリンに向けると、魔力の塊はかなりの速さでゴブリンに向かって飛んだ。
ゴブリンは防御が間に合わず、イーダさんの攻撃を受けると、胸からは緑色の血が噴き出した。攻撃を受けたゴブリンは、ナイフを振り上げて襲い掛かってきた。
私はイーダさんの邪魔にならない様に後退し、イーダさんは私を守るようにゴブリンの前に立ちはだかった。イーダさんはゴブリンの攻撃を回避すると、ゴブリンの心臓の位置に杖を押し付け、再び魔法を唱えた。
『ウィンドショット!』
至近距離から放たれたイーダさんの魔法は、ゴブリンの皮膚を貫き、一撃でゴブリンの戦意を喪失させた。ゴブリンは大量の血を流しながら、虚ろな目でイーダさんを見つめている。ゴブリンは意識を失ったのか、イーダさんにもたれかかるように倒れた。
倒れ際にゴブリンが持っていたナイフが、イーダさんの太ももを切り裂いた。軽くナイフが触れたはずなのに、イーダさんの太ももからは大量の血が噴き出ている。
私が考える間もなく、イーダさんは意識を失って倒れた。どうしよう……。あまりにも非日常的な事が目の前で起こり、理解が追い付かない。どうしてナイフが触れただけで、こんなに多くの血が噴き出しているのだろう。
私は急いで上着を脱ぎ、イーダさんの太ももを縛って止血した。血の勢いは落ち着いたが、イーダさんの意識は回復しない。傷を見てみると、少しずつ広がっている。何らかの呪いや魔法がナイフに掛けられていたに違いない。
どうしよう……。急いで村に助けを呼びに行っても、きっと手遅れになってしまう。かといって、私の魔法ではどうする事も出来ない。こんな時に誰か魔術師が居たら……。ゲレオン叔父さんが居たら……。
私は慌てて鞄の中を漁った。もしかしたらイーダさんを助けられるアイテムがあるかもしれない。鞄をひっくり返して中身を全て出すと、ゲレオン叔父さんがくれた本が目に入った。私は急いで『入門者向け魔法集』を開き、聖属性の項目を確認した。
聖属性Lv.1【キュア】
『対象の身体異常を回復させる魔法。毒、気絶、麻痺、混乱、呪い等、異常状態を解除する効果がある。術者の魔力によって効果が変わる』
この魔法だわ! 私は懐から杖を引き抜いて魔力を込めた。
『キュア!』
杖の先端から銀色の光がイーダさんの太ももに注がれたが、傷は塞がる事もなく、効果は無いみたい。どうして効かないの! 私の力ではイーダさんを助ける事も出来ないの? イーダさんの太ももの傷は徐々に広がりつつある。
何か他にイーダさんを助ける手段は……辺りを見渡すと、足元に会話をする本が落ちている事に気が付いた。私は何も考えずに急いで本に助けを求めた。
『助けて! 友達がゴブリンに攻撃された! 傷口が少しずつ広がっているの!』
『流血の呪いだな。キュアの魔法を掛けて呪いの効果を打ち消し、ヒールの魔法を掛けて傷口を塞ぐべし』
『私はキュアの魔法もヒールの魔法も使えないの!』
『少し待っているんだ』
本の中の自称賢者は、見た事もない図形の様な物を書き上げた。
『杖を地面に向けて魔力を放出させ、魔法陣を書く事。魔法陣の中に入った状態でキュアを掛ける。そして最後にヒールの魔法を掛ける事』
私は地面に杖を向けると、本が示す魔法陣を書いた。書き上げた魔法陣の中に入ると、体には自然の魔力が溢れる感覚に陥った。この空間の木々が、草が、動物達が私に魔力を与えてくれている……。
今なら絶対に魔法が成功する。私はそう確信した。再びイーダさんに杖を向けた。
『キュア!』
魔法を唱えた瞬間、強い銀色の光が杖の先端から飛び出し、イーダさんの体を覆った。イーダさんの太ももの傷の進行がピタリと止まった。すぐに次の魔法を唱えなければ。
『ヒール!』
魔法を唱えるとイーダさんの傷は一瞬で塞がった。本当に私が魔法を使えたんだ! イーダさんの体を揺すぶると、彼女は意識を取り戻したのか、虚ろな目で私を見つめた。
「エミリア……?」
「イーダさん! 大丈夫ですか?」
「大丈夫。ちょっと油断したみたい。一人では歩けそうにないから、肩を貸してくれる……?」
「はい!」
私は散らかした荷物を全て鞄の中に仕舞い、ゴブリンの物と思われるナイフと、ゴブリンが死の瞬間に残した【魔石】を拾っておいた。イーダさんの体を支えながら、村までの道をゆっくりと歩き始めた……。
「エミリア。あなた、魔法が使えるのね」
「いいえ、私の力ではありません。自然が私に魔力を与えてくれたんです」
「自然が? 信じられないわ。駆け出しの冒険者ではそんな事出来るはずがない……」
「本当なんです! 本の指示に従って魔法陣を書いて、魔法を唱えたんです」
「魔法陣? 本が指示した……?」
イーダさんは驚いた様な顔で私を見つめた。
「私は本の中の自称賢者に助けられたのね……確か、本は自分の事をエミリアの友達だと言っていたわ。どうやらエミリアには新しい友達が出来たみたいね」
「え? 本が?」
「そうよ。自称賢者は、エミリアの魔法の練習が終わったらまた書き込んでくれと言っていたわ。あなたの事を本の中で待っているのね」
「私の事を待ってくれるなんて……」
そろそろ村の入り口が見えてきた。入り口には、今朝道具屋に堅焼きパンを買いに来た冒険者さんが剣を構えて立っていた。剣には緑色の血が付いている。
「エミリアじゃないか。どうしたんだ? その女性は!」
「森の中でゴブリンに襲われたんです!」
「急いでギルドまで運ぼう!」
冒険者さんはイーダさんの体を軽々と持ち上げると、ギルドまで走って行った。村の中に入るとゲレオン叔父さんとザーラ叔母さんが血相を変えて私の方に走ってきた。
「エミリア! 無事か?」
「はい。私は大丈夫です!」
「ゴブリンの群れが村の近くまで来ていたんだ! 既に冒険者達が始末してくれたみたいだが、家の中に入っているんだ」
「わかりました」
私は、ゲレオン叔父さんとザーラ叔母さんに手をひかれて家の中に入った……。