第5章
こうして前を向いた私だが、数日も経たないうちにつらくてたまらなくなった。
知っているのに知らないふりをするというのが、こんなにつらいものだったとは。
アンの体調不良の原因はチャールズとの関係のせいだった。
アンは夏の別荘でチャールズと関係を持ったのだ。
原作通りならば、こういう経緯だったはずだ。
もっとも何で私が知っているのか、ということになるので2人に確認して聞けないのが腹立たしい。
そもそも、この世界、私やアンのような上級貴族の令嬢は文字通り深窓の令嬢で、結婚するまでは男性には実の父や兄弟にしか会うことが無い。
学校など無い世界なので、教養は家庭教師役の侍女に教えてもらうか、親に教えてもらうか、自習するかといったところだ。
そして、私はアンを可愛がり過ぎて、男性との交際方法なんて教えもしなかったし、周囲も教えなかったはずだ。
何しろ上級貴族の令嬢は政略結婚が当然なのだから、私も周囲も教える必要が無いと思っていた。
ちなみにチャールズと私が初めて会ったのは婚約が調った時になる。
次に2人が会ったのは、結婚式当日になる。
前世なら不思議極まりないだろうが、この世界ではそれが当たり前である。
だから、チャールズとアンは夏の別荘で偶然会った際にはお互いに面識は当然なかったし、アンは男性との交際方法何て知らなかったはずなのである。
アンは私がいないので別荘ではハネを伸ばしていた。
考えてみれば私の前世では中学3年生だ。
それくらい私も当然予測してしかるべきだった。
そして、アンは自室を抜け出して、別荘の庭を夜に1人で散策していたのだ。
そこを、チャールズが見初めたのである。
アンのような公爵家の令嬢が夜に庭を散策するなんて、チャールズは思いもせず、公爵家に仕える侍女の1人だろうと推測した。
アンを侍女だと思って、チャールズは声をかけ、アンはアンで自分が公爵家の娘としてははしたない行動をしていたので、侍女のふりをした。
そして、チャールズはアンにあなたの部屋に行って話をしたいがいいか、と尋ね(こちらの世界では、上級貴族の侍女なら個室があるのが普通。上級貴族に仕える侍女は下級貴族の子女から選ばれるから)、アンは同意した。
アンは文字通り話をするだけと思ったのだが、この世界でそれはあなたと同衾したいという遠回しの表現なのだ。
私がそういうことについては早いと思ってアンに教えていなかったのが悪かった。
アンはチャールズが部屋で取った行動にパニックになり、抵抗しきれなかった。
それにアン自身、チャールズを人品や衣装から上級貴族だろうと推測しており、チャールズに初対面時から好意もそれなりに持っていた。
悪いことに、チャールズが最初に正体を明かせばよかったのだが、チャールズはアンが侍女だと誤解しており、結婚式の後でびっくりさせよう(この世界では侍女から第二夫人になるのは大出世である)と考えた。
それで、チャールズは自分の友人の公爵だと名乗り、アンはそれを信じていた。
後で連絡すると言って、チャールズはアンとその時は別れたのだが、チャールズ自身が結婚の準備に忙しくて、そのままになった。
アンとしては、その公爵からの連絡を待っていたが、連絡が無いので心痛がたまり、体調を崩してしまった。
そして、結婚式の当日にお互いに顔を会わせて真実を知ったということなのである。
結婚式の後、私とチャールズは前からの私達の家で同居を始め、妹のアンは離れに住むことになった。
ちなみに父はこれで肩の荷は下りたし、娘夫婦の邪魔をしたくないと北山の別荘に引っ越してしまった。
原作でもそうだったけど、と私はアンや父や夫の事で心を痛めた。
原作では私は事情を全く知らないので、夫が時々物思いに沈むのはなぜなのかと心配し、アンが寝たり起きたりなので早く治ってほしいと心配するだけだった。
だが、この世界の私は事情が全て分かっているので、心痛が原作の数倍にはなった気がする。
とりあえず1日、1日が無事に済み、アンが無事に出産するはずの日を指折り数えて私は待つことにした。
原作通り、チャールズとアンがお互いに秘密の関係を諦めようとはしているらしいのが私の慰めと言えば慰めだった。
しかし、原作通りならアンはまだ自分の妊娠を知らないはずだ。
それをアンが知り、更にチャールズがそれを知るときのことを思うと更に私の心痛は増した。