第35章
自分で言った通りに、10日後にヘンリーの家を私は訪れた。
ヘンリーは私を待っていて、問いかけた。
「例の件を受けていただけますかな」
私は肯きながら、問い返した。
「大公家の荘園管理と言うことは、例の帝室との対決絡みですか」
ヘンリーは顔を綻ばせて答えた。
「さすがです。お分かりですか」私は言った。
「大公家の私兵を効果的に増やしておく。それを私にやれと」
ヘンリーは黙って肯いた後で言った。
「当面の損失には目をつむります。ともかく我々は勝たねばなりません」
我々、とヘンリーは言った。
大公家全体の運命がかかっていると私に暗に言っている。
私には前世の記憶があるとはいえ、まだ20代半ばの若い女性だ。
前世の記億にしても大学生までの記憶で、どこまで当てになるものか。
だが、ここまで私をヘンリーは信頼してくれた。
私は応えねばならない。
「分かりました」
私はできる限り力強く応えた。
「チャールズには内密にお願いします。蟻の一穴という言葉もある」
ヘンリーは私に念押しした。
秘密を知る人の2乗でそれは秘密では無くなるというのが世の中の原則だ。
秘密を知る人は少なければ少ない程、良いに決まっている。
私は肯いた。
「では、よろしくお願いします」
「最善を尽くします」
ヘンリーの頼みに私は答えた。
大公家の軍事関係の総責任者を事実上、私は務めることになった。
ヘンリー、チャールズ、アン、私の大事な人々のために私は頑張らねばならない。
「ところで、帰る前にアンに会っていただけますかな」
ヘンリーはいきなり苦悩の表情を浮かべた。
「何かあったのですか」
「会えば分ります」
私はアンの私室に向かった。
途中にはソフィアがいた。
ソフィアが例の密会に関与していたのは原作から言っても間違いない。
だが、アンを完全に孤立させるのはよくないとヘンリーも私も考えたことから、引き続きソフィアはアンに仕えている。
ソフィアは私を見るなり泣き出した。
「お願いします。アン様を救ってください。お願いできる身でないことは分かっています。ですが悪くなる一方なのです」
私は動転した。
アンに何があったのだ。
10日程前は、そんなに悪いとは見えなかったが。
私はソフィアに問いただした。
「何がアンの身に起こったの」
「妄想を信じ込んでおられて、私やヘンリー様がありえないと言っても信じないのです」
ソフィアは泣きながら言った。
アンは表面上は普通に見えた。
だが、人払いをして私と2人きりになるなり言った。
「やっと分かったの。何で私とチャールズの密会をメアリが阻止しなかったのか」
「何を言うの」
「私は所詮、メアリにとってチャールズの子を産んでくれる道具なのね。安心してね。今度は男の子を産んで、大公家が継承されるようにするわ。この前、メアリの顔を見て確信できた」
私は違うと言いたかった。
だが、実際はそうだった。
私がチャールズとアンの2回目の逢瀬を阻止しなかったのは、エドワードが産まれるからだ。
アンは妄想と言えば妄想だが、真実を言い当てている。
「黙っているということは、本当なのね」
アンは涙を浮かべた後で続けた。
「メアリにとって、血を分けたはずの妹でさえそんな存在なのね。チャールズが可哀想だわ。そんな女性に愛されて幸せになれるわけがない」
アンは私のことをやはりメアリとしか呼んでくれない。
アンは狂気のほとりにいる。
問題は一面の真実をアンが言い当てているだけに、私が違うと言っても、アンにとっては私が嘘を言っているとしか思えないことだ。
私は一言だけ言うことにした。
「私はあなたにもチャールズにも幸せになってほしいと願っているわ」
アンは冷笑しながら言った。
「自分にとってでしょう」
「アン」
私はそれ以上は言わずに立ち上がり、アンに身振りで別れを告げた。
私はアンも自分も幸せになりたかったのに、気が付けばアンが自分で破滅したとはいえ、アンを狂気に追いやってしまった。
私はこれからどうすべきだろう。
これ以上、私と話すことがアンの精神に良いこととは思えない。
前世ならアンは精神科に入院させた方がいい状態だ。
今のアンはヘンリーやソフィアに任せた方がまだマシだろう。
私はそう自分に言い訳をして、アンの前を去った。
私は自宅に戻りながら思った。
前世の記憶がよみがえった時、私とアンと共に幸せになろうと決意したはずなのに、今のアンは原作よりも悪い状態になってしまった。
私はどこで間違えたのだろう。
そして、更に思った。
私は帝室との対決に勝利したとして本当に幸せになれるのだろうか。
だが、勝利を収めねばならない。
死ぬよりはマシだ。




