6話 新しい家
決闘から三日が経っていた。傷も動くだけなら問題なく、シグルトはそろそろスクルディアの家を出ることを決めていた。そして、それをエイルに伝えると、エイルは既にシグルトが住む家は用意されているという。
「以前、家の主が亡くなってね。それ以来、空き家になってしまっていたところなんだ」
スクルディアに案内させると、エイルは言う。
「何かしら、父さん」
エイルに呼ばれ、昼ごはんをもってスクルディアが奥から出てきた。
「昼ごはんを食べ終わっったら、ジギスムントが住んでいた家に案内してあげてくれないか」
スクルディアがやっぱりあそこかとため息を付く。その様子はひどく浮かないように見えた。
「なにかあるのか?」
スクルディアは何もない、なんでもないのだと力なく首を振る。とてもそうとは思えないが、それ以上スクルディアは何も言わなかった。エイルも首をかしげているが理由は検討がつかないようだった。
「とりあえず、お昼にしましょう。食べたら案内するわ」
なんでもないと言うスクルディアだが、そんな感じはしない。そんな、どこか少し重たい雰囲気の昼食を食べるのだった。
昼食を食べると、スクルディアはその家に案内してくれた。スクルディアの家から程近い家だった。
「こんな良い家を、借りていいのか?」
普通の家だが、一人で住むには広い。本当にもらっても良いのかと訊ねると、スクルディアが頷く。
「いいのよ。あなたはここに住んで」
スクルディアに促され、扉を開く。中はシグルトが思ったより汚れていなかった。ジギスムントという人物が亡くなったのは、さほど前ではないのだろう。他にも食料や衣服などもあった。シグルトが一人で暮らすために必要なものが大体揃っていて、嬉しいと同時に申し訳なくもなった。
「足りないものがあったら、言ってちょうだい。ある程度は融通するから」
そう言いながらスクルディアは何所に何があるかを教えてくれる。
「いいのか……こんなに」
スクルディアが笑って良いのだと言う。どこか陰があって、寂しい笑いだった。
「いいのよ。誰も住む人が居なくなってしまった家なんだから」
親しい人間だったのかもしれない。スクルディアの寂しい笑顔を見て、シグルトはこの話題に触れないことにした。
「そうか、ありがたく使わせてもらう」
家を見ていると、奥に工房があった。槌に金床、そして炭が積み上げられている。その外にも鍛冶道具と思わしきものが大漁に置いてあった。前の住人が使っていたのだろう。
「せっかくだから、鍛冶をしてみるのもいいんじゃないかしら」
鍛冶道具に目を奪われていると、スクルディアが唐突にそう提案してきた。
「農業を始めるには土地がそんなにあるわけじゃない以上、小作人だし何よりこれから冬よ。家畜がいるわけでもないんだし、せっかく設備が整ってるんだもの。やってみたら?」
唐突な提案だが、スクルディアの言う通りでもある。記憶がなく、何をしてきたのかもわからない以上、やってみても良いかもしれない。
「それに、あなたは私が持てないような熱いカップを容易くもったりできるくらい、手の皮が厚くなってる。マグニもそうなの。で、マグニも鍛冶屋をやってるわ。とりあえず始めるにあたって相談だって受けてくれるだろうし、いいんじゃないかしら。まぁ、私のところで手伝いをしたり、フレイアの家で家畜の世話の手伝いをしてくれても良いのだけど、どうする?」
スクルディアが気を使ってくれているのがわかった。シグルトは置いてあった金槌を手に取り、感触を確かめ、そして自分の掌を一度軽く撫ぜながら頷ずく。
「あぁ、俺はマグニに教えてもらって頑張ろうと思う。何所までできるかなんて、わからないけど」
「私は、できると思うわ。あなたと話していて思ったの。あなたは自分の剣に刻まれていたルーンの意味を正しく理解したりしていたわ。だから、鍛冶屋やそれに類する職をもっていたんじゃないかって」
言われて気づいた。ルーン文字に対する知識は普通に持っていた。シグルトにしてみれば、誰もが当然持っている知識だと思ったが、それは普通じゃないらしい。ならば、何かをして学んだと見るのが妥当だった。
「鍛冶屋だったかどうかはわからないが、頑張るよ」
よし。とスクルディアが明るく笑う。その笑顔が魅力的で一瞬シグルトはどきりとする。
「大変なことも多いと思うけど、大丈夫。私もマグニもフレイアもいるわ。いつでも相談して」
そう言ってスクルディアは帰っていく。最後までできの悪い弟か何かの面倒をみる姉のようだった。
翌日、マグニの家に行って相談をすると、マグニは快く承諾してくれた。そして、マグニの父トールもシグルトを歓迎してくれた。シグルトはその日からマグニの家に通って鍛冶のことを教わっていた。
そんな日々が一週間程度続いた時だった。
「シグルト、お前はスジが良いと言うより、わかっているみたいだな。手の皮も熱に負けないように厚くなっているし、ところどころ火傷の痕もある……」
トールは髪と同じ、真っ赤なひげを擦るそう言った。シグルト自身も同じことを思っていた。鉄を鍛えることなど、最初からわかっているかのようにできたのだ。真っ赤になった鉄を叩き、ナイフなどを造ったりもできた。
トールが言うには、シグルトは基本的なことは大体できているということだった。そして、その上で手先が器用だと言われた。ルーンを刻んだりする作業が抜群に上手いらしい。
「うちのマグニよりよほど上手い」
「悔しいけど、反論できやしねぇ……」
マグニはどうもルーンを刻んだりする作業が苦手らしかった。トールは反論できるようになれ。とマグニを殴る。
それからもマグニの家に通い続けて二週間が過ぎた。日々真っ赤になった鉄を叩いたり、さびたり破損したりした農具の修理などを手伝っていた。
「シグルト、お前は腕が良い。一つ、簡単だが仕事をしてみないか」
年の瀬が押し迫ったある日、マグニとスルーズに誘われ、夕食をマグニの家で食べている時だった。トールに仕事をしてみないかとシグルトは切り出される。
「俺が、ですか?」
シグルトは戸惑う。一人での仕事、ということだろう。嬉しい反面怖くもなる。しかも、まだ二、三週間しか鍛冶の仕事をしていないのだ。
「なに、難しい仕事じゃない。包丁を一つ造って欲しいんだ。それに、もの自体は俺が見て、駄目ならまた暫く修行だ」
シグルトは精一杯やらせていただきますと頭を下げる。トールは大丈夫だと笑う。
「シグルトさん、もう一人で仕事なんだ。凄いですね」
スルーズは羊毛を紡ぐ仕事をしていて、まだまだ一人前とはいかないらしかった。
「まぁ、シグルトなら大丈夫だろ」
マグニもシグルトなら包丁一つくらい何とかなるだろうと言う。
「マグニ、お前は斧の注文が入ってるからそれをやれ」
「今更?薪割り用のが壊れでもしたのかねぇ。予備で造っておいた斧は使えねぇの?」
「あれは急ぎの人用のもんだ。今回は急ぎじゃねぇから、お前がやれ」
肉を食いながらトールがマグニに言う。マグニはありがたくやらせていただきます。と言いながらスープをすする。
「毎日すみません、ヤールンサクサさん」
シグルトはマグニとスルーズに誘われているとはいえ、よく夕食をご馳走になっていた。冬で食べ物も少なく、台所仕事だって楽ではないはずだ。
「いいんだよ。うちの人も、マグニやスルーズも喜んでるんだから」
何も気にするなとヤールンサクサは朗らかに笑う。
「そうそう、どうせ食べ物なんてあればあるだけ兄貴が食べるんだから、シグルトさんに食べてもらって大丈夫ですよ」
マグニが食べる量は確かに多かった。トールも歳のわりに大目だが、マグニはその倍近くを軽く食べている。
「本当に燃費の悪い子だよ」
燃費が悪いといわれてもマグニは気にせず食事を続ける。
「こんな大飯食らいの食事の用意してくれる人間、いるのか心配になるよ」
ヤールンサクサがすごい勢いで目の前の食事を胃に詰め込んでいくマグニを見て、深いため息を吐く。
「有力候補はフレイア姉で、次点でスクルディア姉さん。あと、ディースとかも意外にいけるかも」
スルーズがマグニ相手に料理してくれる人の名を笑いながら上げると、マグニはやめてくれとため息を吐く。
「良いんだよ、結婚なんてそのうちするさ。それより今は酒飲んで飯食って自由にしてたいんだよ」
仕事はきっちりとしてるから良いじゃないかとマグニは言う。
「まぁ、俺も結婚が早かったわけじゃあねぇ。きっちりとした嫁をちゃんと捕まえられるなら、うるさく言うつもりはねぇ。ただ、どうしても駄目なら勝手に結婚させるからな」
マグニもそれには何も言えなかったようで、なんとかする。とだけ答える。
「スルーズも来年で十四歳、とうとう成人だしねぇ」
ヤールンサクサは末娘が成人することがやはり感慨深いらしかった。
「結婚の話はやめてくれよ。いくらなんでも十四歳で結婚なんて私は嫌だからな」
スルーズがヤールンサクサにそう宣言する。ヤールンサクサもわかっていると笑顔で頷いてはいるが、一抹の不安を抱えているようだった。
その後、食後の団欒にまで参加させてもらったシグルトは、一人暗い夜道を歩いていた。月も隠れ、寒かった。だが、それより心が寒かった。どうして、自分は記憶を失って一人なのだろうか。そんな思いが胸によぎる。父が居て、母が居て、兄弟がいる。それが素直に羨ましかった。そして、同時に世界のどこかで、自分の帰りを待っている人がいるのではないか。そう考えたところで、それ以上考えることをシグルトはやめた。今考えても仕方のないことだから。いつか、考えないといけない日が来るかもしれないが、それは今ではないのだと。