プロローグ
初めまして、胡椒姜ともうします。
何年か前に書いて、そのままになっていたものです。とりあえず、1章を読んでもらえたら全体的な雰囲気は伝わるかと思って一気に投稿しました。これからは週に3,4本ずつ投稿していく予定で、今月末か来月の初めくらいには全編投稿を終える形になると思います。
プロローグ
男は全速力で走っていた。暗闇の中で手遅れになる前にと全力疾走していた。目指す場所である女の家の明かりはもう見えていた。
しかし、男にはもう見えているその明かりが、何所までも遠く感じられるのだった。
「スクルディアっ」
男は扉を蹴破らん勢いで家に転がり込む。
家の中で身じろぎ一つせず神に祈りを捧げていた女は、まるで男が来るのがわかっていたかのように神への祈りを中断する。
そして、静かに音をたてることなく立ち上がり入ってきた男に一瞥をくれる。
「何の用かしら」
女は勢いよく入ってきた男にどこか期待したような、同時に何も聞きたくないような顔をして、問いかける。
そんな、どこまでも冷静に見える女に、男は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「何の用?じゃねぇ。お前、お前らはっ」
呼吸も整っていないのに、男は怒鳴る。
怒鳴って何かを言おうと空気を求め、口をパクパクさせる。
「私が、何かしら」
女が先を言うよう促しても、男は何も言わない。
浜に打ち上げられた魚のように、ただ口を開いたり閉じたりするだけで、呼吸音以外何も出ては来ない。
「――ガルム旅団のことなら、わかっているわ。マグニ、あなたも行くのでしょう?出撃前の挨拶に来てくれるのは、姉貴分として嬉しいわ。だけど、もう少し節度をもってくれないかしら」
女がため息混じりに言うと、男は一度深く息を吸って、吐きうなだれる。
「あ、あぁ。そうだな。すまねぇ」
男が恥ずかしげに頭を掻く様子に女はもう一度、深々と大きなため息を吐き、瓶から杯に水を汲んで渡してやる。
「大体にして出撃前の挨拶に私のところに来るより、他に行くべき場所があると思うわよ」
差し出された水を男は勢いよく飲んで、そうだなと軽く笑う。
「どうして、俺はこんなに急いでスクルディアなんかに会いに来たんだろうな。まったく」
「そんなに私が愛おしかったのかしら。まぁ、お断りだけどね」
「こっちもだよ」
そう言って互いに軽く笑いあう。そこで、男は一匹の犬の存在に気づく。
「お、グラニか。珍しいな」
頭をわしわしと撫でながら、男が言う。
「何が珍しいのかしら。グラニは私の犬よ」
女が言うと、男はそうだ。そうだ。と頷きながら犬に笑いかける。
そんな男の様子にもう一度女は軽い溜息を吐く。
「そろそろ、父さんも帰ってくるわ。あなたも、出撃の前に家へ帰ってスルーズやトールさんたちと話しをしたほうが良いんじゃない?」
女の言葉に男は素直に頷く。
「おう、そうだな。夜に突然悪かった」
「いいのよ。ただ……」
女は男に何かを言おうとした。
しかし、結局女は男に曖昧に微笑んだ。
「ううん。なんでもないわ。マグニ、気をつけて」
男と女は長い付き合いだった。
女が何かをこらえるような笑みを、寂しげな笑みをしていることに気づいた。
「あぁ。ありがとうスクルディア。なに、家族や兄弟分のお前たちがいるこの村までは絶対踏み込ませねぇ」
男がそう、力強く笑う。男は女が自分を心配しての笑みだと思ったのだ。
「えぇ。でも、生きて帰ってきて」
まかせておけ。そう言って、来る時は全力で駆けてきた道を、男はゆっくりと歩いて帰っていく。
「もう、私はこれ以上失うことに耐えられそうにないから」
女の呟きは、風に乗って誰の耳にも届くことなく、ただ闇に飲まれて消えていくのだった。