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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

変質思考なとある男女

作者: ゆゆ

※女性に対して暴言を吐く人物が出てきます。あらかじめご了承ください。

私は不細工だ。

パーツだけ見るととても愛らしい部分もあると言われたこともあるが、お世辞だろうなあと思う。

目がいいよ!とか口元がいいよ!とか具体的に言ってくれて嬉しいけれど、私は不細工だから仕方ない。

最近は他愛のない事でも人からどう思われているのかがとても気になる。なぜなら私は恋をした。


これは道ならぬ恋などではなく、ただただ普通の恋なのは間違いない。だって生まれてこの方25年間それなりに好きな人も出来たし彼氏が居たことが無いこともない。

無いことも、ない。本当だ。ちょっと手を出すのが早い人だったけど警察沙汰になる前に別れることができた。貴重な初めては全てあの男に持っていかれたけれど、私はそれもそれでいい思い出だったと思う。


もちろん友達には「脳内補正かけすぎだから!目を覚ませ!」と何度言われか数えきれない。

けれどそれももう終わったんだからいいのだ、私は私なりに楽しんだのだから。それよりも、そんな友達の意見を聞き入れないくせに相談・愚痴を吐く私を見限られなくてよかったと心の底から思う。


ふと横を見ると鏡が見えた。少しグロスが薄すぎたようで所々色の栄えが悪い気がする。化粧直しがめんどくさいな、と思いながら電車を待つ列に並ぶ。


「間もなく、5番線に快速電車が参ります」


アナウンスに耳を傾けていると、ふわっと香水の香りがした。朝一番のお楽しみだ。

回りに知られないように呼吸を整えて、背筋を伸ばす。

そして駅に入ってきた電車のガラスの反射を通して今日も探す。


いた。


隣の隣の列、今の私の位置よりも少し後ろに並ぶスーツ姿の男性。

年はわからないけれど、多分私よりは年上。眉間に少しだけ皺を寄せながら電話をしているようだ。

そういった姿を見るたびに心が弾むのはきっと恋をしているからだと私は思っている。

残念ながらガラス越しでしか見たことがないけれど。


初めてその姿を見かけたのはちょうど2年前だった。元彼には電話一本でよく呼び出される日があり、その日も呼び出しがあった。

私が翌日始発で仕事に行く日に限ってあれこれと用事で呼び立てる、とてもせわしない人だった。

今となればそれが【束縛】とか【嫉妬】とか【モラハラ】っていうのがよくわかるけれど、当時はお花畑だったから。


「もう、しょうがないなぁ。そんなに私と一緒にいたいの?ウフフ」


ってお馬鹿全開で会いに行っていたっけ。 彼の家からそのまま会社に行くことも多々あったけど、そんなとき見掛けていたのがあの人だった。

私は元彼に夢中だったから全く興味がなかったわけだけど、前に一度電車に乗る前に電話をしながら大声で怒鳴ったことがあった。

びっくりして振り返ると、人目を気にしつつも電話を切り上げることはなくて小声でずっと怒っていたようだった。


その時に眉間にあったたくさんの皺を見て、元彼に似てるなって思ったのがきっかけだった。

私の元彼は、よく顔をしかめて私に手を上げていた。


「お前が悪い」


「お前のせいだ」


何回も言われたけど、一度だって私が悪かったことなんてなかった。

ようやくその事実に気づいた時には、付き合ってから3年が経とうとしてたみたいだった。


結局向こうの浮気が本命になってアッサリ別れることができたけど、本当にあの3年間私はどうかしてたんじゃないかなと思う。とはいえ、眉間の皺繋がりであんなに素敵な人を見つけることができたんだから多少なり感謝してもいいかもしれない。

電車はいつも通り目の前に止まり、私たちは乗り込む。わざとらしくない程度に彼の並んでいた列に寄って席を探す。

今日は座れなかった…残念。

彼の位置を確認しようとしたけれど、今日は学生が多いようで中々探すことができない。貴重な朝の楽しみだけど今日はお預けのようだ。


電車が動き出して少しだけ身体が横に揺れる。

毎日通勤で乗っているとはいえこの"おしくらまんじゅう"状態には馴れない。

つり革に掴まっている片手だけが頼りだ。右に左にゆらゆらと揺られていると、どこからか着信音が聞こえた。

なんとなく目をやると学生たちの中から聞こえたようだったので、すぐに視線をはずす。つい二日前も、電車のなかで"目があったから"という理由だけで絡まれているサラリーマンを見たばかりだったのを思い出したから。


「………め……い」


とても小さな声だったが、隣から聞こえてきた。

いつもだったら気づかなかったかもしれないが、着信音が気になっていたため聞き取りやすかったのかもしれない。なんとなく隣を見てみると、小柄で眼鏡をかけた黒髪のOLがいた。

つり革は掴んでおらず、私と同じで手を前にして揺れに耐えていた。だがそれも不思議と手を後ろに回してごそごそしている。


その時目があった。


とても困ったように眉がハの字になっていて、目元には少し涙が浮かんでいる。更に顔は青白くとてもではないが普通とは言えなかった。


「どうかしましたか?大丈夫ですか?」

「チッ」

「??」


声をかけると、どこからか舌打ちが聞こえてきた。

だが目の前の女性の顔はほっとしているようである。


「すみません、ありがとうございます」

「…?大丈夫ですか?」

「はい、もう大丈夫だと思います…」


少し後ろを気にしながら返事をしている。

私はこの時ほど自分の鈍さを痛感したことはない。多分、いや、確実に痴漢されていたのだ、すぐ真横で。それに気付いてはっとした顔を向けると、悲しそうに自分の口の前に人差し指を持ってくる。黙っていてほしいのだろうか?

確かに痴漢は現行犯でないと難しいし、どうやって痴漢されたかなど説明するのはとても辛いことだ。


「次はー、次はー●●。お降りのお客様は…」


降りる駅になってしまった。

女性のことは気になるが、私も仕事があるのでずっと一緒にいるわけにもいかない。軽く会釈をして電車を降りると、小声で「ありがとうございました」と言われた。


電車を降りてからいつものように通勤する人たちの波にもまれる。

それにしても自分の鈍さには驚いた、なぜ隣でされていたのに気付かなかったのか。いや気付けなかったのか。

どちらにしてもあまり後味のよくない体験だった。


その時、後ろに手を引かれた。

何と思う間もなく、そのままどこかへ連れて行かれてしまう。


「ちょ、なんですか、離して」


懸命に言うが、相手は振り返りもせずにどんどん進んでいく。

人波に逆らうように斜めに進んでいったと思ったら、男子トイレへが近づいてきている。

そこで私はようやく気付いた。さっきの痴漢だ、と。


「離して!やめてください!!」


大きな声を出しているのに誰も気づかない。気付いてくれない。痴漢から離れようと闇雲に手を引っ張ったりしたのに、コリコリと嫌な音がするだけで全く離れない。

更に都合の悪いことに、ここのトイレは個室が2つに小便器が3つというこぢんまりとした場所で、駅の端の方にあるものだったことを思い出す。


「さっさとこい!」

「やめて!誰か!」


何度も大きな声を出していたつもりだったが、喉の奥で声が何かに吸い込まれるような掠れたヒューヒューという音がほとんどだということに気付いた。怖い、誰か、助けて、早く

ようやく声が出ていないことに気付いたので焦って周りを見渡す。それなのに何故か誰もこのトイレの周辺には居ない。異様なほど静まり返っていたのが、逆におかしくないかと疑問を覚えたところで現実に引き戻された。


「あぐっ」


情けない声と共に個室に無理やりねじこまれると、痴漢の手を口に押し付けられた。たばこの臭いがツンとしたが、それはどこか嗅いだことのある臭いで。ハッと顔を上げると、そこにいたのは間違いなく元彼だった。


「え、なん、で・・」

「お前さ、なんで邪魔するわけ?おかしくない?別れてんのに、なんで邪魔してくんのかなあ」


苛立ちを全く抑えることなく何かを喚いていた。だけど、私にはあまり理解ができない。邪魔?なんのこと?

あまりのことにポカンとしていると、何を勘違いしたのか更に何かを喚き始める。


「あの時の女は、全然本気じゃなかったけどよ。お前がそんなに俺のこと待っててくれてんだったら、またヨリ戻してやってもいいけど。俺は別にどうでもいいんだけどな?お前みたいなのはいつまでたってもどうせ彼氏も出来てねぇんだろ?」

「ちょ・・っと、落ちついて、平田君、落ち着いて。私は別に平田君の邪魔しようとしたわけじゃなくて・・」

「うるせええなあああ!!ブスのくせになんで俺に口答えしてんだよ!!しゃべっていいって言ってねーだろ!?お前ほんとバカ!お前の意見なんて聞いてねえんだよ!」


パアン!と力いっぱい頬を叩かれて、余計に私は混乱した。どういうこと、この人は何をしているの、あれ、これってやばいんじゃ・・ない?喉の奥からヒュッと音が出たとき、私はようやく現実を的確にとらえることが出来た。

さっきから耳の奥でカチャカチャとしていた音にようやく意識を向けると、元彼はズボンのベルトを緩めていた。

いくら鈍くてもわかる。これは無理やりする気だ。


「やめて!ちょっと!だれモゴッ」

「うるせえって・・マジ、黙れって・・お前、が、さ、邪魔するから悪いんだろ?なあ、なんとか言ってみろよ」


ハンカチを口に詰め込まれると、息をするので精一杯になってしまってどうにも声が出せなくなってしまった。きっと元彼はさっき痴漢されてた子を、こうするつもりだったに違いない。じゃないと、ハンカチなんて3枚も持ち歩かない。私は元彼がそういう男だったということを思い出した。

通勤のためにタイトスカートにタイツだったのに、全て力任せに破られてしまった。ああ、これじゃあ会社に行けない、一旦家に帰らないとな・・元彼の瞳をぼんやりとみていると、意識がどんどん曖昧になっていくのが分かった。

だけどそれはどうしようもなく幸せで、ふわふわといい気持ちになれることを知っていた。どうして知っているかは分からないけれど、この気持ちに逆らうような気分にはなれなかった。

それに不思議と【悲しい】とか【辛い】とかそういう気持ちは全く出てこなかった。でも【気持ち悪い】とか【早く終わらないかな】って気持ちだけは、モヤモヤとした煙のように最初からずっとあった。

そういえば元彼には右眉と右目のちょうど真ん中のあたりにホクロがあったっけ、とどうでもいいことを考え始めたら、声が降ってきた。


「何してるんですか」


ぼんやりとしていた頭には聞きなれない声がした。聞きなれないというか、聞いたことはあるけれど、ここで聞くはずがない声だった。

元彼は闇雲に動かしていた腰を止めると、私を睨んだ。私を睨んでも何も変わらないのに。


「・・先ほどから女性の声が聞こえていますが、ここは男子トイレです。駅員連れてきましょうか」

「余計なことすんじゃねえ」


元彼はドア越しだからかとても喧嘩腰になっている。

しかし相手はそんなこと特に気にしてないように、日常会話を交わしているような自然さでやり取りをしていて、大人だなぁとどこか他人事のように思っていた。そこから少しお互いに何も言わない時間ができると、元彼が再びストロークを始めた。


「ふむ。余計なこと・・というのは、こういうことですかね」


ダンッという大きな音と共に、私たちの上から影が落ちた。

見上げるとやっぱりそこには、居てほしいけれど、居てほしくない人がいた。

その男性は私を見て少し顔をしかめてしまった。そうだよね、どうせ助けるならもっと可愛い子を助けたいよね。もう涙でほとんど流れてしまったかもしれないけど、メイクが少しでも落ちていないことを祈った。

少し目を伏せると、とても低い声が響いた。それは懐かしく甘い響きを私にもたらす。どうしてこんな切ない気持ちになるかはわからないけれど、その時初めて悲しいと思った。


「犯罪、してんじゃねーよ」

「うううう、うるせえええなああ!!!こいつは彼女だから何してもいいんだよ!そういうプレイなんだから邪魔してんじゃねえよ!!なあ?!」


その人の言葉に私は悲しみながらも、困っていた。

だって、こんなのは日常茶飯事すぎて、犯罪だなんて思ったことがなかったから。

ぼんやりと男性を見上げていると、なぜかとても悲しい顔をしてから消えてしまった。するとその時まで悲しかったはずなのに、突然悲しい気持ちが消えてしまった。あれ、私ってなんで悲しんでたんだっけ・・と消えた場所をぼんやり見ていると、ドガンッ!という音と一緒に元彼に頭突きをされた。

衝撃でぐわんっと頭の中身がごちゃごちゃに混ぜられた感覚があったと思ったら、真っ暗闇に放り込まれてしまった。









「・・ぇ」

「ん?何?」

「・ぇ・・・えって」


呼ばれた気がして目を覚ますと、布団に入っていた。


「あれ・・私・・」

「てめぇ、シカトしてんじゃねえって言ってんだろ!?」

「えっ!?」


がばっと体を起こすと、目の前に元彼がいた。しかもこのポーズは本気で怒ってるパターンの仁王立ちだ。

習慣とは怖いもので、瞬時に立ち上がると元彼・平田ひらた まことにしなを作って寄り添う。


「ごめん・・まこちゃん、許して」

「ったく、なんで俺より起きるのおせーんだよ。早く飯作れって」

「うんわかった」


いつもの朝ごはんを作る。これじゃないと元彼・・いや今彼なのか?まこちゃんはとても機嫌が悪くなるのだ。朝ごはん一つで機嫌が変わるなんて、とても子供っぽくて可愛いなって思っていたこともあったっけ。


「出来たよ、あーん」

「おう。相変わらずうまくもまずくもねぇな・・ブスだし、ほんとお前ってセックスしか出来ねえバカだな」

「そ・・そうかな」

「そこしか取り柄ねーもん。マジ爆笑」


確か、そんなことも言われたことあったなあ・・ていうか、今聞くとほんと何で怒らなかったのか不思議なぐらいの言い方だ。なんで私こんなのと付き合ってたの?というか、本当に付き合ってたの?

口で爆笑っていうだけで、顔は真顔だし。あの当時は、二人ともイチャイチャしていると思っていたけれど。やっぱりここは夢なのかな。

でも夢ならもっと、優しくしてほしいな。


「んだよ、何見てんだよ」

「ごめんね、見てないよ。続き、あーん」


この後は普通に大学に行って、二人で授業を受けて帰ってきた。本当に違和感なく大学に通っていた頃そのままの生活に、私は久しぶりに楽しんだ。だけど、これが本当の日常でないことも理解していた。


「なあ、しようぜ」


夜ご飯を食べ終わると、平田君は私を求めてきた。いつもと同じパターンだけど、私は心の底から嫌悪感が湧き出てくるのが分かった。そして初めて拒否をする。


「今日は・・普通に寝ようよ」

「・・は?もう一回言って」

「普通に寝よ?」


穏やかに伝えたつもりだったけれど、案の定平田君は逆上した。ああ、そういえばこんなこともあったな・・私は徐々に思い出していった。本当は嫌だったけど、封じ込めていた記憶がさっきの一言でどんどん溢れ出す。


「っっざけんじゃねえよ!!なんのための彼女だよ!あぁ!?てめぇ、今朝言ったこと覚えてないのか?お前は飯も普通、顔はブス、ヤるぐらいしか利用価値のない女なんだよ!」

「・・私、ちょっと用事思い出したから」


やめて、もう思い出したくない、お願い、夢から目覚めさせて。もう見たくない、お願い


「ざけんな!!そこに両手をつけ!」

「ご、ごめんなさい、お願い、怒らないで」

「お前ほんとむかつく!!ブスのくせに!!ブスノクセニ!!」

「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」






「・・ぃ・・ぁ・・」

「・い・・めな・・・・ご・・」


「ユウ!」


名前を呼ばれて目を開けると、そこには見慣れない男性がいた。

ぼんやりとした視界に目を凝らすと、突然視界がパッとクリアになった。見慣れない男性が、ティッシュを渡してくれていたみたいだった。


「・・ありがとう」

「水だよ、喉乾いてない?」

「ハイ」


ひんやりとした水が喉を通っていくと、少し頭の中もクリアになってきた。私がキョロキョロとあたりを見回すと、どうやらここは病院のようだった。なんで・・と思い出そうとしたところで、頭がズキズキ痛んだ。


「ここは病院だよ、朝霧あさぎり ゆうさん。分かるかな、今何時?」

「3時・・20分」

「良かった。今医者を呼ぶからね」


ナースコールを鳴らすと、看護婦が飛んできた。そして私にいくつか質問して、すぐに医者も来た。二人に質問されている間、男性は部屋から出て行っているようだった。

同じような質問が終わった後で二人が出ていくと、入れ替わってスーツにコートを羽織った男性が2人で入ってきた。2人も同じような質問を何度か繰り返すと、何か思い出したらここに連絡するようにと名刺を置いて行った。


「刑事さん・・?私、何かしたんでしょうか」

「なるべく早く思い出してもらった方がいいんですけどね。こういうのはデリケートなものなんで・・まぁ、いつでも電話してください」

「はぁ・・わかりました」


刑事が出ていくと、再び男性が入ってきた。私はこの人がとても親しみをもってくれているのがわかるが、どうにも記憶の中から出てきてくれない。


「覚えてるかな、僕のこと」


どうにも思い出せなくて首を振ると、その人は困ったように笑って見せた。その顔を見て「あっ」と思わず声が出てしまった。思い出した。私は襲われそうになったところを、この人に、助けて、片思い、駅の、香水、眉間の。


「え、あ、あの、あああ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」


怒涛のように押し寄せてきた記憶に、頭がパニックになってしまったけれど口から出たのは謝罪の言葉だけだった。あんなはしたないもの見せてごめんなさい、男子トイレなんか入っちゃってごめんなさい、助けてくれようとしたのにごめんなさい、ああ、巻き込んでしまってごめんなさい


「大丈夫、落ち着いて・・僕の目を見てごらん。大丈夫、大丈夫だよ」

「ごめんなさい、ごめ・・ごめんな、さい」

「そう、ゆっくり・・ね。大丈夫だよ、信じて」


額と額が合わさると、私は嘘のように落ち着いてしまった。

目を開けるとその人との距離の近さに、思わず赤面してしまう。冷静になるとこんなことを見ず知らずの人とするなんて、どうかしている。見ず知らずの、人と?


誠也せいや・・さん・・?」

「思い出してくれたね・・待ってたよ、ユウ」

「誠也さあん・・!」


私は満面の笑みで誠也さんを抱きしめる。どうしてこんなにも大切な人のことを忘れていたんだろう、抱きしめ返してくれる大きな腕がたまらなく愛しい。

私が顔を上げると誠也さんは口元に指を当てて静かにするように言う。腕を絡めると優しく微笑んでくれた。

それだけで胸の中がいっぱいになってしまって、言葉が見つからない。


「なぁ・・どうだった?」

「すっごく、すっごく興奮しちゃった」

「見られた瞬間、パアアッてぶっとんじゃって・・私が私じゃないみたいだったよ」


ニコニコしながら話を聞いてくれる誠也さんに、私はあの時感じたことを詳細に伝えた。うなずきながらたまにメモを取る姿も、全てがとても完璧に見えた。


「ユウ、今幸せ?」

「最高だよ・・誠也さん、大好き」


深く口づけをすると、誠也さんもそれに応えてくれる。たまらなく嬉しい、一番好き、だけど、いつも不安。私は好きだけど・・彼が本気で好きでいてくれるかは彼にしかわからないから。

たくさんたくさん好き、ほんとうに、だいすき。

ああ、このまま二人でとけちゃいたいくらい・・あれ、ねむたくなっちゃった・・。


「しぇいゃ・・あん・・」








***







「平田、チェック完了です」

「東京都●●区・・・・4丁目の・・・」

「ハイ、鈴木ですね。はい、ハイ」

「・・たの・・・・・で」


電話を切ると、ちょうど医者と看護士が出てきたところであった。

前方から警察が来ているのが見えたが、ホールのソファに一旦腰をかける。

今回は長期戦になったが、どうやら任務を完了することが出来たようだった。3年間もあんな奴にユウを預けることになるとは思わなかったが、どうやらこれでお役御免になるようだ。

ほっと息をつくと、思ったよりも自分が動揺しているわけではないのに気付いた。完璧にこなしてきたからこその自信からか、これ以上ないほどの出来になったからか、自分でもよくわからない。

少ししたら警察は部屋から出て行ったようだった。タイミングを見計らってすぐにユウのいる部屋へ入る。


「覚えてるかな、僕のこと」


どうにも思い出せないらしく首を振られる。その仕草が可愛くて思わず微笑んでしまう。

すると「あっ」と言ってから少し体を震わせた。きたか、と思う。


「え、あ、あの、あああ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」


困ったように繰り返す謝罪に、誠也は全身が震えるのが分かった。ユウが壊れかけている、怒涛のように押し寄せているであろう記憶の氾濫に耐えている、今、自分の目の前で。そう思うと口元がにやけてしょうがなかった。


「大丈夫、落ち着いて・・僕の目を見てごらん。大丈夫、大丈夫だよ」

「ごめんなさい、ごめ・・ごめんな、さい」

「そう、ゆっくり・・ね。大丈夫だよ、信じて」


額と額が合わさると、ユウは嘘のように落ち着いた。それもそのはずだ、そういうふうになるようにしてあったのだから。

静かにユウが目を開けて、僕と目を合わせた途端に赤面してしまった。ああ、この瞬間が、一番クる。


誠也せいや・・さん・・?」

「思い出してくれたね・・待ってたよ、ユウ」

「誠也さあん・・!」


一通り再会を喜んで、ユウを再び催眠状態にかける。額をコツンとさせるだけでいい、それが僕たちの最初からの約束だった。あれからもう何年も経ってしまったから、ユウは忘れてしまったかもしれない。僕のことを忘れてしまっている時間の方が多いから。

それに関して今更どう思うこともない。額を合わせることでしか僕のことを思い出せないようになっているから、毎朝ユウの通勤時間に合わせて最寄駅でその姿を確認するだけで満足だった。たまに人目を盗んで会いに行って朝まで愛し合うのも楽しかった。もちろん、ユウにその時の記憶は残らない。

眠りに入ってしまったユウの体中に、大切に自分の証を残す。この作業は丁寧にしなければならない、僕たちの大切な儀式だから。

それを終えると病院を出る。向かうのは事務所だ。


「入れ」

「失礼します。レポートです」


ふん、と鼻息を一つだけ返される。少し腹が立つが、これでいいんだ。これで僕だけのユウに戻るのだから。腰から90度近くまで上半身を倒して頭をさらに下げて次の言葉を待つ。


「次もユウを使うからな」

「・・はい?それは約束が違うのでは」

「そんな約束してねえな、お前の勘違いじゃボケェ」


話は終いとばかりにレポートをシュレッダーにかけられる。何かがドロドロを胸の中を埋め尽くしていくのが分かった。僕はどうしてしまったのだろう。

高校生の頃から目をかけていたユウが道具にされてるから?手に入った途端に平田を罠にかける道具として3年も離れることになったから?平田の目を盗んで逢瀬を重ねていたから?ようやく手に入ると思ったのにまた道具にされるから?

どれも正解で、どれも不正解だ、と思う。だけどそれ以上の言葉が見つからなかった。頭の中がぼんやりしてくるのがたまらなく不愉快だが、これの不愉快さを心の底から受け入れることが出来た時の爽快感はたまらなくいい。


「ああ・・そういえばユウには報酬がねぇとな」


突然思い出したかのように、わざとらしく言われる。金は事前に高校生が持つには多すぎる金額を積んでいるが、まだ積むつもりなのだろうか。


「手渡しですか」


「いやちげぇよ。最後にお前の所に返してやるよ」


思わず顔を上げるとボスはニヤニヤしていた。それで僕は全て理解した。


「ありがとうございます、失礼します」

「おう」


重たいドアを閉めてから、僕は僕が興奮していることに気付いた。ああ、やっぱり、気付きたくなかった、だけど本当はそうだと思ってた、だって、僕は、傷ついたユウを慰めて慰み者にすることに、この上ない喜びを見出していたのだから。

もう一度病院に行く時間はあるだろうか、この昂った気持ちを落ち着けるためには深く愛し合わなければいけない。そういう約束だったから・・ね。ユウが覚えているかはわからないけれど。僕は清々しい気持ちで病院へと車を走らせた。

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