MISSION 02:安全な拠点を設営せよ その8
「サイズ、調整は上手くいきましたか?」
「バッチリです。やっぱり若干大きいですけど、まあ逆より全然いいですよ」
結論から言うと、オムツは免れた。
それだけで俺は満足です。
風呂?
ああ、ちょっとだけ悪戦苦闘したけど問題ない。
洗うのにどれくらい、洗い流すのにどれくらい必要かの適量さえ分かれば後は単純に慣れだろう。今回だけでもそれなりにコツを掴めた。
それに元から普段は風呂じゃなくてシャワーの生活をしてたし、湯船にゆっくり浸かってリラックス…とかいうタイプでもなかったし、すぐに順応できると思う。
風呂場的なアクシデント?
ないない。興味もない。
もし起こるとしたら洗面所での全裸or下着姿でご対面だろうけど、そんなのはどちらかが一声掛ければ避けられる。故意にでもなきゃアクシデントなんぞ起こらないのだ。
マンガやアニメでは、ひとつ屋根の下な男女がいると100%くらいの確率で起こる気がするが、アレは基本的に偶然を装った故意だと思う。じゃなきゃどっちかの頭が致命的にバカかだ。
そして欲望が抑えきれずに覗くor襲う、ってのもありえない。
どうぶつ(笑)じゃないんだから最低限の理性くらいは持っとこうぜ?って話だ。
とは言うものの、確かに今は法など存在しないっぽい世の中。
ポリスメンはいない。速度違反どころか、殺人だって取り締まられはしないだろう。
割とマジで力こそ正義!なアウトローワールド。
十々瀬さんから聞いた話でも暴徒と化して店舗襲撃とかする連中もいたらしいし(まあ、国によっては平常運転だろうけど)、末期にはもっとヒドい事になっていただろう。
……そう思うと十々瀬さん危機意識なさすぎじゃね?
もし俺がそういう思考の人間だったり、ロリコンだったらどうするつもりだったのか。
まあ、俺は“そう”じゃないし、信頼関係一発KOな真似をするほどバカでもないけど。
いや、そもそも“そういう”人間だったら最初の時点で見抜かれて相棒なんぞにしてないか。
閑話休題。
俺は十々瀬パパのポロシャツ&スラックスを借り、下着は嬉しいことにまとめ買いしてあったっぽい新品を手にすることができた。
服やズボンはともかく、下着のお古を着るのは仕方ないとは言えちょっとアレかもと思っていたのだが、いやはや、マジで良かった。
サイズはやはり1サイズ大きいが、そう問題でもない。
「着ていた服も明日には乾くでしょうから、とりあえずは解決ですね」
ちなみに十々瀬さんはさっきと同じようなフード付きのダボっとした茶色の服にジャージという、これまた『外出しない休日のダラけ服』みたいな格好だ。
ただ、髪はお下げ的なのにせずゴムか何かでテキトーにまとめているようだった。
「すいませんね、洗濯だけじゃなく、干してもらって」
「ついでですから大丈夫ですよ。じゃあ、次の説明に進みましょうか」
「食事、風呂洗濯とくれば、トイレとかですか?」
「はい。今朝も一度使ったと思いますが、一応」
こちらへ、と言われて玄関横のトイレに行く。
ドアを開くとよくある洋式のウォッシュレットなヤツが鎮座していた。
そして床には毎度おなじみペットボトル。朝は気にしなかったけど、“生”と書いてある。
「用を足したら普通にレバーを押せば水が流れます。でも、自動で次の水が補充はされないのでペットボトルで足しておいてください」
「ちょっと気になるんですけど、これってどこに流れてるんですかね」
水で洗い流せるのはいいけど、その後の“ブツ”は何処へ?
家の横に小川があったけどそこへ流れるとかだったらヤバい気がする。
「この家は下水が通ってるみたいですから、浄化槽が満杯で逆流…は大丈夫だと思いますよ」
「浄化槽?」
「バキュームカーが来るやつです。流したものをタンクみたいなのに溜めておいて、バキュームカーとかで回収していく方法みたいですね。古い家や下水のない地区だとそうやっているそうです」
アレか、田舎のボットン便所的な?
それか工事現場とかイベント会場とかに設置される簡易便所みたいなののデカいバージョン。
確かにアレは中にブツが溜まる一方だから、表面上は流せてもいずれ破綻するだろう。
でも下水って言っても、今は管理する人とかいないし…大丈夫か?
「下水も満タンに、とかないですよね?」
「メンテする業者も行政もいないですから、いずれはどこかダメになるかもしれないですね。でも、幸い下水を使う人間も減っているでしょうし、多分大丈夫だと思います」
「多分、ですか」
「私も詳しいわけじゃないですから」
うん、でも浄化槽って言葉を初めて聞いた俺より全然上等だ。
昨日の話でもトイレ問題は水問題と同列レベルで重要な問題、十々瀬さんもおそらく水道がダメになって…あるいはなるのを見越して調べたんだろう。
「それもそうですよね。まあ、しばらくは使えるってだけで十分か。…それにしても、やっぱ水は思った以上に使いますね」
飲み水は当然ながら、清潔に保つためにも水は不可欠。
なるほど、命の水とはよく言ったものだ。
以前は蛇口を捻ったりレバーを押したりすれば無尽蔵だったけど、あって当然だと思ってて失って初めて気付く大切なものの上位に食い込む代表格だな。
“いつまでもあると思うな親と金”が平和な世界のトレンドだったが、親はともかく金は役に立たないこの世界、“食料と水”がその座に就きそうだ。
「はい。生きるだけなら飲み水があれば何とかなりますが、“健康に”生きるならそれ以上が必要です。手洗い、うがい、ハミガキも必ず忘れないようにやりましょう。何かあってからじゃ、何かあっても、医者にかかることはできないですから」
サバイバルの極意は、ガキンチョの頃に親から言われたレベルの常識一覧。
お外から帰ったら手洗いうがい、ご飯を食べたらハミガキ。お風呂で身体をキレイにしましょう。
何ともアレだけど、そういうのが真理ってヤツなのかもしれない。
◇
「最後に、水の確保について説明しますね」
何だかんだで太陽も傾いてきていた。
時間は現在、午後4時半過ぎ。この時間になると出歩いたりする分には明るさ的に問題ないけど、ソーラーパワーはあんまり期待できなくなるらしい。
まあ、ご飯だけはとりあえず炊いてきたんで、もう電気がストップしても大丈夫との事だ。
水の確保。
十々瀬さん曰く、この家を拠点にする電気以外での大きなメリットの1つだ。
確かに家の傍らには小川があり、メイン道路に出る時にはそこに架かった小さな橋を渡ったし、その存在自体は確かではある。
でも飲めるほど綺麗かどうかって言われたらアレだ。どっから流れてきてるのか不明だし、いくら田舎の綺麗な水って言っても流れている間に汚れる可能性は高い。
途中でゾンビの残骸とかが浸かってたら目も当てられない。沸騰すればいいのかもしれないけど。
そんな事を思いつつ、しかし十々瀬さんが向かったのはその小川とは反対方向、勝手口の方だった。
メイン道路からちょうど反対側、砂利が敷いてある敷地の向かいにはかつて田んぼだったっぽい草むらが広がっていた。
そしてそれに沿うように舗装とかしてない小さな用水路が流れている。なるほど、小川ってのはこっちの事か。
メイン道路に沿って流れる小川より安全そうではある。
田んぼが絶賛稼働中とかなら農薬的なアレが心配かもだが、見た感じそれは大丈夫そうだ。
水も澄んでるし、そんなに長い距離を流れ続けてるわけでもないっぽいし。
…でも、それでもここから水を汲むってのもちょっとアレな気が…ドブ川みたいなのしかない都会とか、下流の生活排水諸々ミックスな川よりは全然マシだから文句は言えないけど…、
「こっちです」
でも十々瀬さんはその用水路には目もくれず、家の裏の方へ歩き始めた。
「え?小川ってこれじゃないんです?」
「そこも汚くはないし、煮沸すれば使えなくはないでしょうけど、どうせ使うなら“元”に近い方がいいですから」
元田んぼに沿って数m、そこには年季の入ったコンクリで50cm四方くらいを囲われた苔生したやや太めのパイプが突き刺さっていた。
パイプは真ん中あたりに穴が開けられており、そこから澄んだ水が流れ出ている。
そしてここから出た水も小さな小川になり、田んぼの用水路や道路沿いの小川に流れ込んでいるっぽい。
「これは…」
「元々は田んぼに水を引くために作られたみたいですね。湧水なのか地下水なのか分かりませんけど。ちなみに、道路沿いの小川も上流から流れてくる以外にも、側面とか水底からとかも水が出てきているみたいです」
「もしかして、この辺りってどこでも水が綺麗とか?」
「ここに引っ越してきた理由が“水と空気が綺麗”だから、ですから。引っ越してきた当時は妹のせいでこんな田舎なんかに、と思っていましたが、…今となってはそのお陰でこうしていられます。人生、分からないものですね」
そう言いながら視線を田んぼの向こうへ向ける十々瀬さん。
遠い目、とは違い、どこか一点を見ているようだ。
しかしすぐにこちらへ向き直った。
「馬銜澤さんの言う通り、基本的にはこの村は水が豊富で綺麗なはずです。ですけど、だからと言ってその辺の水路とかに流れている水を使うのはちょっと…ですよね」
「そうですね。まあ、下流の川とか都会のドブ川に比べれば全然ですけど、なるべくならあんまり外の空気とかに触れてないっぽい水の方が気分的にもいい気がします」
この水が他と比べて本当に綺麗かどうかは分からないけど、気分的にはだいぶ違う。
「はい。つまりこれが、私がこの家を拠点にしたかった理由の1つというわけです。他も探せば同じようなのがあるかもしれませんけど、ソーラシステムが問題なく使えて、水を汲む場所も分かっているのは知る限りではここしかありませんでしたから」
「納得です。いや、最初から別に反対とかなかったですけどね。俺はこの村の環境も地理も、何もかもビギナーもいいとこですし」
そう言って笑うと、十々瀬さんも例の分かり辛い微笑みで頷いた。
「じゃあ、取り敢えず水を汲みましょうか。深さがないので直接ペットボトルへは汲めませんから、お椀とかコップを使います」
「了解です。あと、今日はだいたいどれくらいやります?」
「ストックはまだまだあるので、今日はあくまで練習ですね。そろそろ日も暮れそうですし。ただ、今後は1日でどれくらいが必要かとかも計ってみたうえでこの作業をしていきたいと思います。」
傾きかけたら早いもので、太陽さんもそろそろ閉店ガラガラ蛍の光。
この辺りをウロついていた例のゾンビは始末したとはいえ、暗くなったら外で作業は危険だろう。
日が暮れたらおうちへ帰るとか、俺がガキンチョの頃すらもはや昔話な世界だったけど…。
「ですね。じゃあ、暗くなる前にちゃちゃっとマスターしときますね」