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三話



 控え目なノックの後、姿を見せたのは貴子だった。

「美樹ちゃん、起きた?」

 化け物じゃなければ誰でもよかった。美樹は疲れた顔を貴子に向ける。

「ごめんなさい、まだそっとしておいた方が良かったかしら」

「ううん、大丈夫」

 貴子の言葉に慌てて首を振る。もしまた化け物が現れた時に、美樹一人だなんて真っ平だ。

「そう……でも無理はしないでね? 少しでもつらくなったら言うのよ」

 優しい微笑みを浮かべる貴子に、美樹は申し訳ない気分になる。安全のために貴子を利用しようとしていることを、情けなく思った。

 ベッドから半身をゆっくりと起こす。公園にいた時の記憶はあるが、その先はかなり曖昧だった。いつの間にか父に負ぶわれ、心配する声に対し、大丈夫と繰り返していたのは覚えている。そして気がつけば自室だった。美樹はゆっくりと周囲を見回す。馴染んだ光景に安心するどころか、ぞわりと寒気が背筋を伝う。――そう、化け物はここまでやってきてしまった。

「美樹ちゃん、どうしたの? 寒い?」

 突然小刻みに震え出した美樹に、貴子が驚く。厚手の布団を持ってくるという貴子の申し出を美樹が断ると、彼女は非常に困った顔をする。

「貴子さん、どこかに行かないで。今は傍にいてほしいの」

 美樹がそう言うと、貴子はすぐに二つ返事で了承した。美樹はまた少し、良心が咎めた。

「さあ、横になって。あ、私いくつか本を持ってきたのよ。美樹ちゃんって、読書が好きなんでしょ? 大輔ダイスケさんが教えてくれたの」

 父の名前と共に差し出された本。受け取りはしたが、いつもするように一人きりで物語を楽しむなんて、今はとてもできそうになかった。

「読書なんて子供らしくない、なんて大輔さんは言ってたけど、私はとてもすごいと思うわ。私なんて、長い時間活字を読んでると疲れて眠くなっちゃうから」

 嬉しそうに喋る貴子に曖昧な笑みを浮かべながら、美樹の意識は化け物が潜んでいるかもしれないドアの外に集中していた。

「趣味を持つって、とても良いことだと思うの。私は色々やってみても長続きしないから、美樹ちゃんが羨ましいわ。私の娘なんかね、もう無趣味なんじゃないかってくらいで……」

「娘?」

 美樹はそこで初めて彼女の話に興味を抱く。

「ああそうか、紹介しそびれたんだったわね。ほら、今ここに来てたでしょう? 同じ年頃の女の子。あの子、私の娘なの」

「え……?」

 貴子は笑顔で続ける。

「年はあなたよりも二つ下なのよ。あまり人と話すのが得意じゃないけれど、悪い子じゃないの。仲良くしてあげてね」

 ごくりと喉が音を立てた。美樹の頭に恐ろしい考えがさっとよぎる。――きっと誤解のはずだ。そうでなければならない。

「あ、あの、私、誰とも会ってません」

「あら? さっきこの部屋から出てきたと思ったんだけど……。気のせいだったかな」

 胃の中に重い石がいくつもあるような気がする。吐き気をこらえるだけで精一杯だ。

「ほら、公園でも会わなかった? ブランコに乗っていたはずよ」

 キィキィ、と耳の奥に鎖を揺り動かすきしんだ音が響く。目を閉じればまざまざとよみがえる、悪夢のような出来事。

「肩に届くくらいの髪で……あ――そういえば今日は赤いスカートを身に着けていたはずよ」

 綺麗な笑みを絶やさず言う貴子。……あぁ、と諦めの吐息が漏れる。

 ――この人は、アレの仲間だったんだ。

 美樹はベッドの中で身じろぎし、貴子から少し離れる。無邪気に見える笑顔の裏で、なにを考えているかわからない。あんなに気持ちの悪いものを美樹や父に近づけて、一体どうする気なのだろうか。

 綺麗だと思った微笑みが、まるで張り付けた面のように不気味に感じる。化け物と同じように、今すぐにでも目の前の顔が真っ暗になってしまうかもしれない。

「あの……、もう眠りたいので出て行ってください」

 毛布を握る手だけをじっと見つめながら、できるだけ素っ気なく言う。すぐに貴子の動揺する気配を感じたが、美樹は黙ったまま取り繕うことをしなかった。いつ彼女が笑顔の殻を破って本性をさらけ出すのか、気が気でない。

「どうしたの? また具合が悪くなった? そういえば顔が青いわ。体も震えてるし……。ねえ、病院に行かない? 我慢してちゃだめよ」

 不安そうに訊いてくる貴子に、ただ首を振った。すると熱を測ろうとしたのか、突然彼女が美樹の額に触れる。美樹は驚いて、すぐに手を払いのけた。

 目を丸くする貴子に少し気まずさを感じたが、不快感の方が強かった。目を逸らし「寝てれば治ります」とぼそぼそとつぶやくように言った。

「あ、ああ、そうね……。今日は大変だったものね。無理させてごめんね」

 やっと貴子は部屋を出る気になったようだ。彼女は美樹を少しの間見つめていたが、美樹が黙ったままでいると、諦めたのか背を向けた。去って行った貴子の足音が完全に聞こえなくなってから、美樹は上体を起こす。

 ……じっとしてなんかいられない。アレは今私の家にいる。それに、貴子さんはアレの仲間だった。――お父さんが危ない。

 美樹はベッドから抜け出す。手遅れになる前に、あの人達をこの家から追い出さなければならない。



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