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十四話



 休日が去り月曜日、早速放課後に野村に呼ばれ参じた美樹の前には、ずらりと怪しげなものが並べられた。

「これが、先生が言ってたものですか……」

 それは美樹が一応知っているものから、全く見覚えの無いものまで様々だった。お守りやお札などは美樹にもわかる。しかし、ビー玉のような石や、小さな瓶に入った水は一体どうやって使うのだろう。探るように見入っていると、隣に立つ野村が口を開く。

「聖水だ。魔に効くらしい」

「……かけるんですか?」

「そうだな。それを売っていた女性はそう言った」

「……ええと、これは……」

「再生機器だ。お経、祝詞、聖書の一部の文言の順で入っている。説明書も渡しておこう。わからなかったら訊きなさい」

「…………あ、あの」

「それは右から水晶、天眼石、虎目石、孔雀石……どれも魔除けの効果があるらしい。外観はよく目にするような宝石らしい宝石ではないが、身を守ってくれるそうだ」

 美樹は眼球を模した見てくれをしている石を、そっとテーブルに戻す。どちらかというと、守護というよりも呪いが籠もっているような気がした。

「これで、きっと大丈夫ですよね」

 気を取り直して、野村に言う。数日でここまで集めた彼に向かって、不安を見せるわけにはいかなかった。

「ありがとうございます。もしかしたら、アレを退治できるかもしれないです」

 美樹は気丈に振る舞ったが、反して野村は顔を曇らせた。

「……いや、いくらなんでも退治というのは無茶がある。有り体に言って、とても胡散臭い分野だ。過度に信用してはいけない。あくまでこれらは心の拠り所程度に思っていてほしい」

 テーブルの上のものを丁寧にまとめながら、野村は言う。

「できれば使うことのないよう祈っている」

 確かに、ここにある物が驚くような効果が得られるとは思いがたい。だが、あまりに軽んじるのも骨を折って集めてくれた野村に申し訳ないような気がした。

「折角こんなに用意してもらったのに……」

「結果を出さなければ意味はないよ」

 野村は頑なだったが、一体どれほどの労力を要したのかと考えるとあまりに気がとがめた。恐縮しきる美樹に、野村は優しく言う。

「そう気に病むな。……俺にはこれくらいしかできないからな」

 大した力になれなくてすまない、と静かに続けた。

「そんな、充分すぎるくらいです。こうやって相談できるだけでも助かります」

「……君は随分大人びているね」

「そうですか?」

「ああ。正直、こんなガラクタになるかもしれないものを渡してきた相手に頑張れと激励されても、普通は……――」

 そこで野村は言い淀んだが、美樹が黙って続きを待つと、ためらいながらも続ける。

「――失望してもおかしくはないと思う」

 その意外な言葉に目を瞬いていると、更に野村は「泣いてしまったら、どうやって慰めようかと思っていた」と白状した。

「大丈夫です。もう泣きません」

 安心させるように笑うと、真面目腐った顔で野村が美樹を見る。

「一人きりで、心細くないか?」

 問われて、美樹は考え込む。母が死んでしまってから、美樹が一人になる時間が増えるのは当然のことだった。それでも、美樹は友達と遊んだり、好きな本に没頭して過ごせたし、一日にほんの数十分程度だとしても、父と顔を合わせる時間が持てるだけで満足していた。

 ――以前に、美樹はいつも帰宅の遅い父に食べてもらおうと、玉子焼きを作ったことがある。だができあがったものには味がなく、形もめちゃくちゃで、その上ところどころ焦げてさえいた。父が買ってきた総菜の方が明らかに見目が良く、おいしかっただろう。

 しかし、父は喜んで食べた。「お母さんにも食べさせてあげたい」と言いながら、そのお世辞にも料理と言えないようなものを綺麗に平らげた。その瞬間、母がいなくなってからぽっかりと穴が空いたままだった胸に、言葉にならないような温かさを感じたのだ。

 不意によみがえった懐かしい記憶に、美樹は少しだけ微笑む。今は父と擦れ違ってはいるが、お互いを思う気持ちはずっと変わらないと思った。

「平気です」

 無理をしているでもなく、ただ本心を言ったに過ぎないのに、野村はとても気遣わしげな表情をした。





「これで大丈夫かな」

 独り言ちながら、自室のドアを眺める。そこには今し方、野村に渡されたお札を貼りつけたばかりだった。風が吹けば飛んでいきそうな紙の頼りなさに、美樹は無意識に眉を曇らす。

 上着のポケットには、お守り、塩、聖水が入っている。もしあいつと遭遇したらぶつけてでも逃げろ、と野村は言っていた。美樹はそれを聞いて、塩や聖水をかけられてナメクジの如く縮んでいく化け物の姿を想像してしまった。

 その大層気味の悪い考えを慌てて打ち消す。前向きに考えると、吸血鬼が日光を嫌がるように、化け物はこれで側に寄りつかなくなるかもしれない。

 次は、見るからに怪しげな手鏡を部屋の北側に置かなくてはならない。その後は恐ろしい形相をした犬の置物だ。置き方や方角を気にしながらなので、とても時間がかかる。気づけば外はもう薄暗かった。

 お父さん、この部屋を見たらびっくりしちゃうだろうなあ……。

 思わず、小さな溜め息を漏らした美樹だった。






 一通りの模様替えを終え、二枚目のお札を手にし、仏間へ向かう。野村は二枚とも美樹の部屋に貼るよう指示したが、美樹はこの家の唯一の母の居場所にも貼りたいと思ったのだ。

 いつものように緊張しながら向かったが、行く途中は特に異常は起こらず胸をなで下ろす。――だが、肝心の仏間の前まで来た瞬間、美樹は廊下まで伸びた揺らぐ影を見てしまう。

 一気に体中、ざわざわと鳥肌をたてる。少しだけ開いたふすまの隙間からのぞく美樹の目には、左右に揺れる化け物の背中が映った。

 ――どうしよう。

 美樹はおののく体を動かせないでいた。手の中のお札を握り締め、母の仏壇の前に立つ化け物を見る。

 ――お母さん。

 挫けそうな自分を心の中で叱咤し、震える指をふすまにかけ、ゆっくりと開く。母を守りたい一心で、仏間に立ち入った。

 仏壇と収納家具があるだけの狭い和室では、同じ一室に居るというだけで化け物との距離が非常に近い。

「……お、お母さんに近づかないで」

 わなないた声で、それでもはっきりと口にすると、化け物は仏壇に向けていた顔を美樹の方へ向ける。その顔は、また大きく変化していた。反射的に右腕をかばいながら、声にもなっていないような、震えた音を喉から漏らす。

 全体が焼いたようにただれた肌。至る所にプツプツと小さな穴や水ぶくれに似た膨らみができている。その穴からは糸かと思うほど細い、ウジのような虫が幾つも頭を出し、ウネウネと踊っている。

 まるで火葬に失敗して、そのまま埋められてしまった死体のようだった。しかしその顔には、犬のようにつぶらで小さく真っ黒な瞳が両の耳と頬骨の中間にあり、人間というよりは、深海魚を彷彿させた。

 顎辺りはに口を思わせる空洞があり、それをぐるりと囲む唇の部分はぶよぶよにふやけていて、時折粘ついた液を垂らしている。

 美樹はあまりの不気味さに数歩後ずさったが、なんとか部屋の中に踏みとどまる。しかし心中では酷く葛藤し、無意識に唇をきつく噛んだ。

 今すぐに逃げ出したい。しかしそれは母を見捨てるようで、どうしてもできない。昔、位牌を指さして、お母さんはここにいるんだよ、と目元を赤くした父が言っていたことを思い出す。

「お願い、この部屋には入らないでほしいの」

 通じるかわからないが、それでも美樹は懇願する。力では到底敵わないから、化け物に訴えかけるしかない。祈るような気持ちでいると、化け物はゆっくりと動きだした。美樹の言葉を聞き、自ら歩くその姿に微かな希望を感じる。

 ――ところが、化け物が向かった先は、母の仏壇だった。歩みの遅緩さからは考えられないような素早さで、母の仏壇に手を突っ込んで位牌を取り出す。

「やめてっ」

 思わず駆け寄るが、化け物はすぐに手につかんだ位牌を持ち上げ、そのブヨブヨにふやけた口の中に放り込んでしまった。

「な……っ」

 思わず絶句する。ただれた肌が異様なほど伸びて、位牌を包む。美樹はその光景に呆然とした。

 ――お母さん。

 気味の悪い顔が、柔らかいものを咀嚼しているような音を立てる。

「……かえして……」

 美樹の声は変わらず震えていたが、それは恐怖からではない。悲しみ、そして胸の中で渦を巻く、どうしようもない怒りだった。化け物の口から位牌の角が見え隠れする。――母親が化け物に喰われている。

「返してよ!」

 激しい衝動に駆られ手を伸ばす。しかし、化け物に届く前に強い力で突き飛ばされ、壁にぶつかる。

 背中の痛みにうめき、壁を伝って崩れるように座り込む。化け物を見上げると、位牌を口に含んだままただれた顔をじっと美樹に向けていた。

 喧嘩を滅多にすることがなく、ましてや暴力など縁遠かった美樹には、どうやって位牌を取り返していいかわからない。切羽詰まっていると、思いがけずかさりと小さな音を立て手になにかが触れた。見ると、それはいつの間にか落としたお札だった。

 美樹は反射的にポケットをまさぐり、指先に触れたものをがむしゃらに引っ張り出す。ビニールに包まれた塩だった。言うことを聞かない指を動かし、乱暴に小さな袋を破る。中身がばらけ、美樹の膝や服が白く汚れたが、構わずかき集めてお札と一緒に化け物目掛け投げつける。

 頭から塩をかぶった化け物は、ゆっくりと身を屈める。効果があったのかと思ったが、化け物はそのまま四つん這いになって、虫のように畳の上を這い出す。

 悲鳴を殺し、美樹は次に小瓶を投げた。中に入っていた水が化け物にかかる。だが、化け物はゆっくりと美樹に向かって進む。止まる様子はなく、ひるみすらしない。

「おか……おかあさん……」

 美樹はか細い声で母を呼ぶ。しかし彼女の母は遺影の中からただじっと前を見るだけだった。

 散らばった塩と、化け物に踏まれてくしゃくしゃになったお札。聖水は化け物の肩口をほんの少し濡らしただけだ。残ったお守りを握りしめながら、化け物が迫るのを絶望して待つ。



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