鋏 ハサミ 水
どうして水は切れないんだろう。
じょぼじょぼという音が断続的に続いている。
それは、流れる水流の音ではなくてその水流が水面を叩く音。
だから、私は持っている鋏をだらりと下げるしかない。
もしもこの水流が分割できたら、と考える。
図画工作みたいに、糊でくっつけて大きなオブジェを作ることだってできる。
ボールみたいにして、投げることもできる。ドッヂボールだってできるかも知れない。
じょぼじょぼ。
そんな想像を途切れさせるように。
途切れない水の音が私を包む。
私は水が出続けている場所をじっと見つめた。
壁に空いた穴から出ている。
そこは私の手が入るくらいの穴で、穴はずっと奥まで続いてるような気がした。
部屋は四方が鉄の壁で覆われていて、水がたまっているところをみるとしっかりと溶接されているらしい。
そして穴からは水が出続けている。
じょぼじょぼという頼りない音は、そこに空気が含まれていることを示していて。
同時にこの部屋に水がたまり続けることも示していた。
既に水は膝のあたりまで来ている。
きっとこのまま死ぬんだ。そんなことをボーっと思う。
目覚めたとき、私はちょうど三角座りをしているような状態でここにいた。
じょぼじょぼと聞こえる水の音で目が覚めた。
鉄に囲まれた四角形の中で、足元には錆びた鋏が落ちていた。
確か、待ち合わせをしていた気がする。そして衝撃とともに意識が途切れた。
起きた時、バックはおろかポケットに入れていた携帯も無くなっていた。
水がたまり続けていく中、鈍い頭を抱えながら私は叫んだ。泣いた。怒った。
なぜ私だけが、このような目に遭わなければならないのだと壁を叩いた。
手が痛くなっただけだった。
落ちていた鋏を拾い上げて壁を突いてみれば、高い金属音がした。
その強固な音は、一生ここから出れないのだと言っているように聞こえた。
水は相変わらず流れ続けている。
だから、私は持っている鋏をだらりと下げるしかない。
そんなことをしているうちに何時間が経ったのだろう、私は唐突に気がついた。
気がついて笑った。
そしてずっと持っていた鋏を凝視する。
鋏には錆びが浮いていた。それも綺麗に刃の方だけが変色していた。
これは何かを作るための鋏ではない。
どうしようもないこの状況で、自分を殺すための道具なのだ。
おそらく、鋏の『錆び』は以前の使用者のものだろう。
そうして、私はこの地獄から解放されるのだ。
水に侵された部屋に、私の死体がぷかりと浮かぶ。
そこまで考えてぞっとした。
あわてて鋏を放り投げる。ぼちゃんという控え目な音を立てて凶器は水中に落ちた。
ずるずると座り込んで顔を覆った。
さっきよりわずかに水位が上がった水は、座ると胸の辺りまで来ていた。
残された時間はあまりない。
というのも、水が出続けている穴はそんなに高くなく私の腰あたりまでしかないからだ。
そこまで水が溜まってしまったら、かろうじて循環されている空気も無くなってしまう。
私は重たい腰を上げて、水の出続ける穴に近づいた。
そして、袖をまくると思いきって穴に手を突っ込んだ。
穴は斜め上に続いているようだった。
ところどころざらざらとしているのは錆びているのだろうか。
水の流れに逆らって手を差し込み続けると、肘のあたりまで入ったところで唐突にくの字に曲がっていた。
そこから真上にいく作りとなっており、これ以上手を伸ばすことが出来ない。
いったん手を引き抜くと、あちこちに錆びが付いていた。
もしかしたら、案外脆くなってるのかもしれない。
そう思うと、行動は早かった。
投げ捨てた鋏を拾うと、それを持ってもう一度穴に向き合う。
そして鋏を持ったまま穴に手を突っ込むと、くの字に曲がった角を力一杯に突いた。
予想していたよりも鈍い金属音がして、確かに手ごたえを感じた。
さらに力を入れて突く。
水はすでに、穴のすぐ下まで迫っていた。
手が痺れるほどに握った鋏を渾身の力を込めて突きたてた。
ガッガという音と水音だけが響く。
額に汗が浮かんできた頃。
今までにないバキッという音がして、鋏が壁を突き抜けた。
同時に新たに空いた穴へと水が吸いこまれていく。
手を引き抜くともう水は流れてこなかった。
錆びだらけの手でガッツポーズを取る。
相変わらず水が流れる音がするが、それは先ほどまでの絶望を含んだ音ではなかった。
水の上にばしゃんと腰を下ろして穴を見つめた。
あとは、相手がどう出るかだ。
……長い時間が経って。
鉄を踏むコツコツという音が近づいてきた。
壁の一部だと思っていた鉄板が外側から開く。
私は、錆びた鋏を握りしめて笑った。