ハッピーカモーン 9
拓也の店は朝8時に開店する。
最初の客は、いつものように伊藤老人だった。老人と断定しては失礼だが、拓也が見立てる限り、八十歳を越えているように思えた。決まって注文するのはハムエッグとトースト、そして店長おすすめのブレンドコーヒーだった。最初のうちは拓也も注文を確かめていたが、数ヶ月すると、拓也は注文も聞かず、メニューを出すようにしていた。
奈々子は伊藤老人が店内に入るや否や「いらっしゃいませ」と大きな声を出していた。伊藤老人の座る場所も決まっているので、奈々子が別の席を案内するのではないかと拓也は冷や冷やしたが、奈々子が「お好きな席にどうぞ」と言うのが聞こえてきて拓也がほっとした。伊藤老人はドシリと定位置の席に座った。
奈々子が「ご注文は?」と尋ねると「いつものやつ」と伊藤老人は答えた。奈々子が「いつものやつですね!」と元気よく答えたものだから、伊藤老人は大笑いして、「君はいつものメニューを知っているのかい?」と奈々子に尋ねていた。「ええ、店長に聞けばわかりますから」と奈々子はウエイトレスとして、最高の笑顔で答えた。
「新しいアルバイトさんかね、元気があってよろしい!」と伊藤老人は上機嫌となった。
伊藤老人は高齢であるせいか、彼女が人気キャスターの山本奈々子であることに全く気づいていないようだった。
伊藤老人だけじゃない。ほかのお客さんも彼女の正体に全く気づかず、いつものようにリラックスしてコーヒーを飲んでいるではないか。拓也はほっと胸をなで下ろした。
11時に決まってやってくる常連客がいる。3軒向こうの大型書店のオーナー奥山だった。書店での日常の仕事は全て社員に任せているため、普段は暇なようだ。奥山は店内に入るといち早く奈々子に気づいた。
「新しいアルバイトかい?」と奈々子に親しげに声をかけていた。
「ええ、今日からなんです」と奈々子は答えた。
奥山は奈々子の顔をまじまじと見て、
「君はきれいな顔をしているね、そのメガネは似合わないよ」などと奥山はセクハラじみた発言をしていた。
「ありがとうございます。でも私、ド近眼であうコンタクトが無いんですよ」と奈々子はうまくかわしていた。奥山も奈々子の正体に一向に気づいていないようだった。




