次の乗り物は……
「じゃあ、次はコレね! 午前中のクライマックスだよ!」
七瀬が指差す方向には歪んでいるほどに曲線を描くジェットコースター。その名も『大回転』。一回転するのが何度もあるからだそうだ。
「また、すごいのを取っておいたな」
長い行列に並びながら見上げると、それだけで吐き気がしてくる。狂人の筆で描かれたようなその形はとてもいびつで、エンターテイメントというよりも間違って置かれたモニュメントにも見える。
「お化け屋敷もすごいけど、こっちも有名だよ。他県から来る人もいるくらいだから」
「すごい形よね」
泉と椎田は巨大な造形物を見上げる。風が椎田の髪を巻き上げ、ふわりとシャンプーの香りが鼻に入り込んでくる。
「あ、期待してもダメだからね!」
「ん、俺?」
「瑞穂もスカートじゃダメだよう。デニムなかったっけ? とにかくこうね、こう!」
七瀬は足を内股に追って椎田に合図を送る。コイツ……!
「誰が見るか、誰が!」
「クールぶって、こういうタイプがいちばっ……ひててっ!?」
「この口は、さっきまでわめいてたかと思ったら……!」
七瀬の頬をつねりあげる。生意気な言葉と裏腹に、指の腹には柔らかな感触。……あ、お嬢様だったんだっけ、コイツ。
「痛ーい! 助けて、瑞穂」
「今のは雪乃が悪いのよ」
抱きつく七瀬を椎田は仲の良い姉妹のようにめっ、と叱る。
「仕方ない、瑞穂の顔に免じて許してやる」
「何様だ、お前は」
椎田の影から左手で赤い頬を押さえながら、こちらを指さして偉そうに言う。どうしてこう、コイツは……。
「あ、そろそろだね……。さっ、好きなのを引いて」
乗車時間が近づいてきて、再びかざされる四枚のカード。左から2番目を引く。
「スペードだ」
「僕はクローバー、柳田とペアだね」
「なら、私は雪乃とペアね」
「やったー、瑞穂とペアだー! むっさい2人なんて気にせず行こ行こ!」
「あ、雪乃、引っ張らないで!」
否、姉妹のように、というより姉妹だ。椎田が姉で七瀬が妹。そういえば、椎田はもう誕生日は迎えたのか? 実際の年齢では逆かもしれない。
「これ、絶対にすごいよ。ちょっと怖いね」
「そうだな、さて乗るか」
ジェットコースターなんて久しぶりすぎて、前にいつ乗ったのかなんて覚えていない。小学生のころは身長制限で引っ掛かったから、もしかしてこれだけの物は初めてかもな。
七瀬とそれに引っ張られた椎田が前に座って、俺と泉が後ろに座る。安全バーが下ろされ、職員が乗り物から離れるといよいよジェットコースターは上へ上へと昇っていく。なるほど、緊張感というか高揚感はこうやって煽られるのか。
「キャー!!」
もういいだろう、という所まで来た瞬間にかかる重力。上下左右に引き寄せられては急に手を離される不思議な感触。そして始まる何重もの曲線と回転。
「うわあああああ!!」
泉が腹の底から出す声に押されながらも、俺も自然と声が漏れる。
「うわっ、うわあ!」
ガクンガクン、という急停止が狂騒曲のタクトの幕引きを示していた。
「で? これはどういうこと?」
小柄な七瀬の気だるそうでいて不機嫌な声が、今日は上から聞こえる。
「仕方ないよ、柳田が叫ぶくらいだもん」
「私的にはまた泉が失神でもするのかと思ったけど。よく声が出るのね、アンタ」
「ははは……」
「泉君のは楽しそうな叫び声だったから、大丈夫だとは思っていたけど……。柳田君、大丈夫?」
「わりぃ……」
頬に触れる缶ジュースの冷たさが気持ちいい。俺は右手でそれを受け取ると、今度は額でその冷たさを感じた。
時は2、3分前にさかのぼる。ジェットコースターが終わって立ち上がった俺は喉の奥から込み上げるものに抑え切れず、制止を振り切りトイレに駆け込んだ。……その後は推して知るべし、といった所だ。
「まっさか、アンタがこんなんで参っちゃうとはね」
「うっせー……」
ベンチで横になったまま声を絞り出す。七瀬のケラケラと笑う声が憎らしい。
「……っと」
「大丈夫? こぼさないようにね。飲める?」
「スマン……」
何とか上体を少し起き上がらせて、ジュースを口に含む。冷たい感触が口から腹へと伝わっていく。
「しっかし、どうするかしらね。これじゃ、食事は無理でしょ」
「ちょっと休んでようよ」
「……先に回っててくれ。回復したら追っ掛けるから」
「そう?」
「というか、休ませてくれ……」
俺はハンドタオルで顔を覆うと再び横になった。全員ケロッとした顔しやがって……、気持ち悪……。
「どうしましょうか」
「本人がこう言ってるからいいんじゃない?」
「そうだけど、七瀬、誰か付いていないと……」
静かにしてくれ……。声を絞りだす余力もない俺は右手の甲を額に当て、そのまま落ちていく意識に身を任せた。
「父さん、見て見て!」
「あぁ、昂司」
「あんまりはしゃいじゃダメよ、昂司」
まだ小さかった時、当時の自分には巨人にも見えた父さんに肩車してもらいながら、豪華なイルミネーションの中を家族三人で歩いた。忙しい両親の久しぶりに一致した休日に、一度だけ遊園地に行ったことがある。その広さ、豪華さ、雰囲気全てに小さな俺は飲み込まれていた。その後、起こることなど未だに知らなかった俺。父さんの顔は少しおぼろ気だ。
急に意識が正常に戻ってくる。
(あのころは良かったな)
今はサッカーはおろか満足に走ることの出来ない右足を抱えて、慎ましやかに生きている。仲間もできたが、その期待に応えられているのか?
「ん……」
体の向きを少し変え……フニ。
「……ん?」
頭の下の温かい感触。何だ、これは?
「あ、起き……」
ゴチーーーン。
「っ痛ぇっ」
「あいたた……」
急に起き上がった俺は誰かに頭を正面衝突させた。重低音が頭に響く。ハンドタオルが顔からずり落ちて、……って椎田か!
「起きたー?」
「いい音したけど、大丈夫?」
上体を起こすと、芝生のほうから後の二人が駆け寄ってくる。まだ額がズキズキ痛む。
「いてて……。何だよ、いったい……」
「さっすが柳田、やってくれるわね。瑞穂、大丈夫ー?」
振り向くと、椎田が頭を抑えてうずくまっている。
「うん、ちょっといい感じに当たっちゃって……」
「ほら、柳田謝る!」
「あ、こっちの台詞だ! 何だこれは!」
「何って、ハイ」
七瀬が何かを一枚俺の腹の上に落とす。トランプ?
「私、スペード」
「僕がクローバー」
「私がハートね」
ってことは俺がダイヤか、ではなくて!
「こ・れ・は、ど・う・い・う・こ・と・だ!!」
俺はまだジンジン痛む額をさすりながら、椎田の膝を指差す。膝?
「何って、膝枕」
さも当然、といった風に七瀬は答える。
「で、アンタのペアは瑞穂だったわけ」
「僕じゃなくて良かったね、柳田……」
泉が苦笑いする。
「だから、何で膝枕する必要があるっ! これをどうしてくれるっ!」
「額をぶつけたのはアンタでしょー。瑞穂に謝りなさいよ」
「私は大丈夫だから……」
「それに、百合ヶ丘のお嬢様の膝枕よ。感謝しなさい!」
「本当に僕じゃなくて良かったよ……」
「それとも、泉が良かったの? アンタそういう趣味? もしかしてもうデキていたとか! 瑞穂ー、聞いてー!」
「こら、雪乃。あんまり大きい声で言わないの」
「そうだよ、周りに聞かれたら……」
「やっぱりお前かっ!」
ガッ、と七瀬の胸ぐらを掴……スパーン!
「スケベッ!」
「あっ! またいい音……」
「柳田君、大丈夫……?」
何なんだ、いったい!
「で、何か? 人が寝ていたのをいいことに、また悪巧みをしたってわけか? あ?」
「盛り上がったじゃない! それに、瑞穂の膝枕なんて私がしてもらいたいぐらいよ!」
「嫌ね、雪乃。私達の仲じゃない。言ってくれればいくらでも……」
「僕は止めようって言ったんだけど……」
取っ組み合い寸前になりながら口論を繰り広げる俺と七瀬を椎田と泉が止める。
「今日の主役はアタシよ! 企画・立案までやってるのよ!」
「企画・立案だぁ!? 挙げ句、張り手かぁ!?」
「それは、アンタが変なところを触ろうとしたからでしょ!」
「色気の“い”の字もない女が偉そうにっ!」
「ハイハイ、二人とも。あんまりやってると次のに乗れないわよ? また並ぶかもしれないんだから」
取っ組み合おうとした俺達を椎田が間に入って制す。
「次?」
「アレ」
七瀬が指差した先にあるのは……一瞬で上昇し、次に一瞬で下降する絶叫マシーンが。
「てめえっ、今のを見てなかったのか! この女!」
「やる気ね! いいわよ、とことんやってやろうじゃない!」
「あわわ……、二人とも……」
「ほら、そこまで」
こうして、俺の苦難はまだ続いた。
たぶん、この2人は仲いいです。
ちなみに、最後の絶叫マシーンの名前は『瞬間移動』です。
感想と批評お待ちしております。