私がママになるんだよ!?(2)
「へ……?」
目の前のイケメンが、女の声で秀治に話しかけていた。
「いやぁっ……、参ったなぁ。もしかしてエマリエルの彼氏さん? すみません、私、先日、エマニエルさんにママになってもらった、」「ママ!?」
ママである。突然のママ発言。
秀治は力任せに絵麻を奪還し、抱き抱えて目の前のイケメンから遠ざかった。
「ま、ママってお前……!」
驚きと怒りの矛先をどちらに向けるべきかで悩んだ秀治は二人の顔を交互に見て言葉を失い、
「あー、ママっていうのはアバターのイラストを描いてくださった方のことで、」「アバター……?」「ああ、アバターっていうのは配信で使うやつのことでーー、」
秀治はそこに至ってようやく事態を把握する。
眼前のイケメン、に見える女性はよくよく見れば男装、……に見える服装に身を包んだ女性であり、その表情は軽やかで麗人を思わせる雰囲気はあるものの、明らかに女性であった。
「ヴァーチャルシンガー音野葉桜こと、嵐山桜です? ――でもそっか、そっか。きっと心配して付いていらっしゃったんですね。分かります。ママ、可愛いからっ」
あまりにも嫌味のない笑みを向けられ、秀治は絵麻を抱き抱えたまま完全に固まってしまっていた。
嵐山と名乗ったその女性はイタズラっぽく笑うと人差し指を自らの唇に持っていき、微笑む。
「なら、あとの取材は彼氏さんにバトンタッチかな? ママ、またねっ?」
パチリ、とウインクして軽やかにステップを踏み、嵐山桜は入り口から退くと二人にお辞儀をし、手を振って繁華街へと去っていってしまった。
ラブホテルの入り口に、二人を残して。
「VTuber……」
「さくらちゃん。先月私がキャラデザ担当してLive2Dイラストも納品したの。配信時に動かすイラストのことね? で、デビューも上手くいったし、ボイチャで意気投合してたし、リアルでお茶しながら打ち合わせしませんかー? って……」
「何でラブホ……?」
「……次の仕事で資料が必要だったから写真撮りに来たんだよ。転んだから中までは運ぶよーって言われて……、……ていうか、いつまで抱きしめてんの。恥ずかしいんだけど……」
見やれば、いつの間にか周囲にはちらほらと秀治と絵麻を伺う視線がいくつもあった。
当然である、ラブホの入り口で、イチャコラしていれば嫌でも視線は集まるものだ。
「……膝、怪我してんだろ」
「かすり傷だもん。平気だよ」
絵麻は強がってはいたが、耳まで真っ赤であるし、秀治は秀治で変な対抗心が芽生え、退くに退けなくなっていた。
目の前にはラブホテル。絵麻は秀治に抱きしめられており、恥ずかしさのあまり、秀治の顔を直視できずにいる。
言わずもがな、絵麻はオシャレ着をしており、普段の三割り増しに可愛かった。秀治の目には三割どころか五割増し、普段と違う装いに鼓動は音速を超えかけていた。
「……資料、必要なんだよな」「へ……?」
声に出したのは決意の表れである。
「ちょ!?」
秀治は絵麻をお姫様抱っこすると、ラブホテルの入り口へと向かって一歩踏み出した。
「ま、ま、待って待って待って! ストーップ! 何で!?」
「資料必要なんだろ。絵を描くために、んじゃ仕方ないだろ」
「仕方なくないから! 今日はダメ! 今日はダメなの!!」
「何で」
「可愛くないから……!」
「あ? 可愛いだろ」
真顔である。
真顔で秀治は言った。
「お前は今日も可愛いだろ」
「へ……」
お前は、今日も、可愛いだろ。
人生において一度も言われたこともない言葉に絵麻の思考は吹き飛んだ。
絵麻は顔までも真っ赤にし、口をパクパクとさせていた。
秀治は秀治で変なスイッチが入っているので、絵麻の言った「可愛くない」が『そういう意味ではなく、ああいう意味』であることを理解していなかった。
普段の秀治であれば数秒考え、その結論に至ることもできるのだが、VTuberのママとはいえ絵麻を『ママ』呼ばわりされたことで独占欲が溢れ出し、ビックバンを生んでいた。
「じゃ、仕事だから」
「…………!!!」
ようやく自我を取り戻した絵麻が言葉にならぬ悲鳴をあげ、秀治がエントランスに足を踏み出した。――その瞬間ときである。
「あのー、すみませんー?」
トントン。と秀治の肩を叩く人影があった。
「何やら女性の後をつけている怪しい男がいるとの通報がありまして〜、ちょっとお話し宜しいですかー?」
「……え?」
「……秀治……?」
ニコニコと、お巡りさんは秀治を見ていた。
強引に小柄な女性を抱き抱え、ホテルに連れ込もうとしている秀治を。
その日秀治は、初めてお巡りさんのお世話になった。
伊藤秀治、二十四歳。
二十四年生きてきて、最大の失態であった。
*
「んでさぁっ、ほんっとーに大変だったんだからぁっ」
お巡りさんに対しての誤解は容易に解けたとはいえ諸々のショックを受けて秀治が部屋に引きこもってしまったことを、帰宅後、絵麻はボイスチャットで今日会っていた自分の娘、音楽系VTuberの音野葉桜こと嵐山桜に報告をしていた。
「いやぁ、ごめんねー? なんか煮え切らない感じだって言ってたからさぁっ? 私がママの背中を押してあげようかと思って。かっこよかったじゃん、彼。ときめいちゃったんじゃない?」
「それは否定しないけどぉ……。あ、今日言ってた次のライブ用の衣装、ラフ出来上がったから共有するねー」
「おー、はやーっい。さすがママ。できる女ぁ〜」
「良きに計らえ〜」
ポチッとな、と絵麻がデータをチャットアプリで共有するとイヤホン越しに桜の歓声が上がる。
「かっわいい〜! さすがママ!」
「えー? それほどでもぉ〜」
音楽系VTuber音野葉桜はちっちゃくて可愛いが売りの妹系VTuberである。
嵐山桜本人が女性にしては高身長ということもあり、ちっちゃくて可愛い系のアバターを希望し、それ系のイラストが得意なエマニエルこと絵麻にお鉢が回ってきたのだ。
「マネちゃんにも共有しとくね、私はこれで勧めてもらいたいけどチェックは必要だもんね」
「そうだぞー? ノーチェックならどエロな衣装にしちゃうんだからぁっ」
ぐへへ、と我が娘にあんな衣装やこんな衣装を着せてみる想像をするママ失格の絵麻であったが、絵麻は『どエロい方が可愛い』という感性を持つママなので悪気はない。
実際、現在音野葉桜として公開されているアバターも修正に修正を重ねたものであり、最初のラフ案ではノーパンノーブラなのは大前提、『アバターだからどこまで晒しても大丈夫!』の理論で透け透けの見え見えだったのだ。
嵐山桜は「可愛いー!」とそれでGOサインを出したのだが、当然事務所がNGを下した。
詳細は省くが、あのような格好が許されるのはラブホテルの密室だけである。
「で、ラブホには入れたの?」
「入ってない。それどころじゃなくなったし、また今度ってことにした」
「また今度、ねぇ……?」
音声越しにも桜のニヤニヤ笑いが聞こえて見え、絵麻はつま先を擦り合わせた。
「資料は、必要だからね……!」
別にネットで資料を探しても良いのだが、話の流れで行ったまでである。
絵麻は特に期待もしていないし、今度と言いつつネットで資料集めをする方向で動いている。それに――、
「別に、ラブホぐらい、入ったことあるし……」
「ん? いま、何か言ったぁ? ままー?」
「何も言ってないよー! ほら桜ちゃん! そろそろ配信の時間でしょ!? 行った行った!」
「はーっい! そんじゃね、ママー? 今日はありがとー」
ぽしゅん、と気の抜けた音を経て、桜との通話を終えると絵麻はつま先をもじもじと動かしながら、今頃ベットで不貞寝しているであろう同居人の幼馴染を壁越しに見つめた。
「……ばーか」
結城絵麻、二十四歳。
未婚のままに一児のママとなった絵描きのボヤキであった。
《続く》




