大人のお医者さんごっこ(2)
「限度があるだろ……」
秀治はもう一度タブレットの画面に視線を戻し、あまりにも『透け透け』なシルエットに再び眉を寄せる。
「第一、リメイク版は大きなお友達向けだから。セフセフ!」
「いや、描かれているのが小学生女児だってのがアウトだろ。面倒な人たちに怒られるぞ」
「ぐっ……」
とはいえ、実は、絵麻は一度炎上事件をやらかしているであまりそう、強くは出ることができない。
去年、ラブエンではなかったが、『小学生に見えるロリ神さま』に赤いランドセルを背負わせ、かなり際どいポーズを取らせたのが女性の権利確立を訴える団体のリーダーに見つかり、それはもう盛大に燃え上がったのだ。
SNSの怖さは知識として覚えがあった秀治でも実際に目の当たりにすると言葉を失う光景であった。
何よりも絵麻はガチ凹みし、しばらく部屋から出て来れなくなったほどだ。
「ああいうの、嫌だろ?」
「それは……嫌だけど……」
タブレットの画面を自分の側に返し、描き終わったばかりの『濡れ透け、全裸白衣姿の天使ちゃん』を見つめる絵麻の表情は切実そのものだった。
「可愛くない……?」
瞳を潤ませ、上目遣いに訴える絵麻の姿は可愛かった。
服装こそ、部屋着のヨレヨレTシャツではあるものの、元のビジュアルが整っているだけあって、本当に普通に、ものすごく秀治の胸をクリティカルヒットした。
そしてラブリーエンジェルと絵麻と共に全話走破し、絵麻と共にラブリーエンジェルごっこをしていた秀治にはこのイラストが『何を表しているか』も分かってしまう。
そう、これは、のちの伝説回。ラブリーエンジェル第二十三話『痛みにさよなら、貴方にさよなら』で描かれた展開をイメージしたものなのである。
激闘の末にラブリーエンジェルこと愛野天使を守って伊龍白兎が世界から消失させられてしまい、雨降る中、疲労から変身が溶け、『ただの小学生女児』となった愛野天使は伊龍白兎の残した白衣を抱きしめて剥き出しの感情を叫ぶのである。
『胸が、痛いです、先生……!」と。
自らの痛みを和らげてくれる先生は、もう、どこにもいないのに。
「……だめ?」
絵麻はその愛野天使を想起させるような瞳で秀治を見ていた。
秀治は再びタブレットに目をやり、思考した。
それは確かにエロの印象が勝るイラストではあるだろうが、物語の内容を知っていればある種のメッセージ性、芸術性までもを感じさせる力作だ。大天使エマニエルと呼ばれることもあるエマニエル先生の本領を遺憾なく発揮したイラストともいえよう。
「……そうか」
言って、秀治は一つ頷いた。
念の為に言っておくが秀治はラブエンを履修したのは子供の頃であり、今は特にオタク文化に明るいわけではない。
リメイクが放送されていたことさえ知らなかったほどだ。
しかし、ラブエンが大好きな絵麻に、『愛野天使のような顔で』懇願されれば跳ね除けるようなことは出来なかった。
詰まるところ、『惚れた弱み』である。
「……まぁ、とりあえず担当者さんに送ってみればいいんじゃないか……? この前のラノベの仕事の時も、結局は最終的に向こうのリテイクで対応できたんだろ」
「だよね!」
我が意を得たり。
絵麻の切り替えの速さはプロ級だ。
タブレットを置き、残りのパスタを再び頬張り始める幼馴染に秀治は呆れながらも笑ってしまうのだが、実のところ、『秀治が認めてくれたから』と言うのが絵麻の中では大きかった。
絵麻にとっての秀治は絶対に裏切らない友人であり、昔から一番辛い時には必ず側にいてくれた『伊龍白兎』なのである。
「ありがとね、秀治? これめっちゃ美味しい!」
「そ、そうか……」
ありがとな、と返しつつも頭の中で先ほど見たイラストを秀治は思い浮かべる。
……まぁ、クライアントがダメならダメって言うだろ……。
まるで子供みたいな笑みを浮かべる絵麻に、自らの敗北を噛み締める他ない秀治なのであった。
*
食事を終え、入浴を済ませ、自室に戻った絵麻はイラストのデータをパソコンに移してから再度細かい部分を確認、修正し、担当者に送信してからベッドに転がった。
「うへへー」
一仕事終えた後の充足感に加え、今夜は秀治の手料理も食べられての満腹感まで与えられ、情熱皇帝ペンギンのぬいぐるみ『炎ペラー』を胸に抱く絵麻はご満悦だった。
「あいのっ、ごちゅーしゃ、ごちゅーい、るんるんっー」
秀治が風呂に入ったのを確認しており、鼻歌も調子が出てくる。そもそも絵麻が絵を、イラストを描くことになったキッカケもラブリーエンジェルだったりするので、そのエンドカードの依頼を受けた時、夢が叶ったと叫んだほどであった。
早くに秀治には報告したかったのだが絵が完成してからと絵麻は自身に制約を課していた。
家事のみならず生活の殆どを秀治に頼り切っている分、『ちゃんと頑張っているところ』は言葉ではなく成果として披露するのが絵麻なりの誠意なのだ。
そんなわけで、絵麻はいつになく上機嫌でベッドの上を転がり回っていたのだが、致命的に運動神経が死んでいる絵麻である。調子に乗っていたらズデン! と思いっきりベッドから落ちた。
「づっ……、」
打ちつけた腰を手で押さえながら、おおよそ、ラブエンの主人公はあげないであろう声にならない悲鳴をあげ悶絶する絵麻はしばらく床の上で呻く。呻き続ける。
「いっダァ……」
ようやく痛みが引いてきた時には絵麻の瞳は潤んでいた。普通に痛かったのだ、仕方がない。しかし、モニターに表示されたままになっている納品したばかりの『ラブエン』のイラストを見るとその痛みも和らいだ。
ラブエンは絵麻にとって絵描きを志すキッカケであると共に、秀治と過ごしたあの頃を語る上では外せない作品だからである。
「ほんと、強がっちゃって」
覚えていない、といった幼馴染の顔は嘘をついている時のものだった。
昔から秀治は都合が悪くなると目を逸らすし、そうなると意地でも認めないことを絵麻はよく知っていた。
「ねー、炎ペラー?」
ぬいぐるみ相手に話しかけ、抱き抱えて「むぎゅ〜っ」とやっていると脳裏に『お医者さごっこ』の記憶が蘇った。
ちょうどラブエンの神回としても名高い第十八話『その痛みは雨では流れ落ちません』を見たばかりだったのもあってだろう。
子供の頃、服を捲りあげて「胸が、苦しいんです……」と秀治にやって見せていたこと。
その胸に耳を当てるようにして抱き寄せられ、囁かれた言葉に絵麻の耳は真っ赤に染まった。
今でこそ笑い話だが、なかなかにやらかしが過ぎている。
あれは確か、まだ小学三年生とかその頃だったはずだ。胸も膨らんでいないし、性的なアレコレは全く意識していなかった。妹の穂果も交えて三人で遊んでいた。お医者さんごっこの時は二人きりだったが……。
「……胸が、苦しいんだよー……」
ボソリ、と絵麻は言ってみる。
当然、浴室にいるであろう秀治には聞こえないだろうし、聞こえたところでラブエンのセリフを引用していただけと言い訳すれば良いだけなのだが、みるみるうちに耳だけでなく顔全体を赤くした絵麻はベッドに倒れ込み。悶絶しながら声にならない悲鳴を枕に叩きつけた。
結城絵麻、二十四歳。
ラブエンに憧れ、「お医者さんごっこ」で幼馴染に愛を伝えてから十五年。
未だ素直にその想いを伝える勇気はない。
*
一方。浴室にて、絵麻との「お医者さんごっこ」を鮮明に思い出し、それをかつての光景ではなく、『現在の絵麻』に対して行なっている自らの姿を想像してしまった秀治はシャワーで『冷水』を頭から浴び、邪念を流し落としていた。
ラブリーエンジェルがこの世にいるのであれば、どうか彼を『ジャネンダー』から救ってあげて欲しい。
そんな伊藤秀治、二十四歳。
ラブエンごっこで幼馴染の結城絵麻が天使であることに気づいてから十五年。
普通に告白しちゃえば問題解決なのだが、愛は持ち合わせていても勇気は持ち合わせてはいないのだった。
なお、エマニエル先生こと結城恵麻の描いたエンドカードはそのまま放送に採用されることになったのだが、あまりにも『えっちぃが過ぎる』とのことでBPO、放送倫理・番組向上機構に多数のお便りを頂くこととなり、しばらくはネットで物議を醸すことになった。
芸術とは、見るものによっては卑猥で低俗と評価されることもある、難しい領域なのであった。




