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絵描きの君とのラフな関係。「先生、進捗どうですか?」  作者: 葵依幸
【10】絵描きの君とのラフな関係。

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絵描きの君とのラフな関係。(2)


 都内某所。日本庭園の望める料亭の一席に、着物に身を包んだ絵麻の姿はあった。

 和室の中には絵麻一人、数刻前より降り始めた雪は大粒で、既に庭をうっすらと白く染め始めている。


「…………」

 ぼーっと、白に染まっていく景色を眺め、絵麻は思う。

 これでよかったのだと、自らに言い聞かせるようにして。


「酷く、なるようですね」


 しわがれた、しかし、凍てつく水面のように張り詰めた声に振り返れば電話に出ていた祖母であった。


「渋滞で、少し遅れるとの連絡がありました」


 祖母は絵麻の隣に膝を折りながら、雪見障子の向こう側に目をやり言った。


 結城紗栄子。

 現結城家の当主であり、戦中の混乱期、闇市で『女傑』として名を馳せた傑物である。


「そうですか」


 絵麻はしんと答える。


 実家に帰って半年、のらりくらりと見合いの話は先延ばしにしてきたが限界だった。

 今年で二十六。結婚は若い内がいいと言うわけでもないが、向こうの気が変わらないうちに、婚約だけでも済ませておきなさいと言うのが祖母の言葉である。


 岡田誠司。都議会議員。

 来年にも国政へと打って出る以上、地元での地域票が必要になる。

 結城家の後押しを欲してのことだろうと、絵麻は読んでいた。


「絵麻」

「……はい」


 祖母の言葉に自然と顔をあげた絵麻ではあるが、その顔に表情はなかった。


「……お婆様?」

「……いえ。なんでもありません」

「そうですか」


 絵麻は再び障子の向こう側へと目をやったが、その絵麻を見る祖母の目は冷ややかであり、静かだった。


 絵麻によく似た、……というよりもどちらかといえば穂果によく似た雰囲気の結城紗栄子は妙齢を感じさせぬほどに背筋を伸ばし、その時を待つ。

 白髪まじりの髪を結い上げ、ただじっと、絵麻の見つめる先、雪見障子の、その向こう側へ。


 結城紗代子は決して、絵麻のことを嫌っているわけではない。むしろ、人付き合いが苦手で、どうしても内気になりがちな絵麻のことを想い、厳しく育ててきたつもりである。


 そんな孫娘が『上京して一人暮らししたい』と言い出した時は強烈に反対もしたし、イラストレーターとして『いかがわしい』イラストを描いていると知った時は卒倒しそうにもなった。


 しかしそれも、『孫娘の一時の自由』として受け入れ、認めてきた。

 自らがそうであったように、結城家の女はいつか名家に嫁ぐか、婿を貰う。


 時代錯誤も甚だしいと眉を顰めるものもいるだろうが、地方ではいまだに『そうした繋がり』が物を言い、それは自らの力で生きることが困難な、『人付き合いが苦手な』絵麻のような子供にとっては必ず助けになる。


 結城紗栄子は悪人ではない。

 ただ一人の、『結城家の未来』という盾を使って孫娘を守ろうとした女傑なのである。


 そんな紗栄子の耳に、ドタバタという足音と、店の者が制止を掛ける声が聞こえてきた。

 来ましたか、とその顔を向けたのと、障子が打ち開かれるのは同時だった。


「絵麻……!」


 たったその一言。

 顔を見るよりも早く、孫娘の表情が氷解する所を紗栄子はしかと見届ける。


「――秀治……」


 結城紗栄子は静かに瞼を閉じ、嘆息した。


「悪い絵麻、俺っ……、」


 この場には不釣り合いな、普段着にコートを羽織っただけのその男、伊藤秀治は和装姿の女中に腕を掴まれつつも部屋に押し入り、紗栄子に目をやって顔を歪めた。


「す、すみませんお客様っ……! お客様! 他のお客様のご迷惑となりますので――、」「構いません、私の客人です。話を通すのを忘れてしまい、申し訳ございませんでした」


 シン、と言葉を遮ったのは紗栄子で、女中に向き直ると軽く頭を下げ、秀治を見上げた。


「待っていましたよ。伊藤秀治さん。どうぞそちらへ」

「は……?」


 戸惑ったのは秀治だけではない。

 女中も、絵麻も、唖然と紗子を見ていた。

 唯一事態を静観していたのは後からやってきた穂果だけだ。


「すみません、あとはこちらで引き継ぎますので、お騒がせして、申し訳ございませんでした」


 他の店の者に事情を説明しながらやってきたのか、穂果の後には他に誰も連なってはいなかった。


 秀治の腕を掴んでいた女中もまた、そう言われてしまえば引き下がる他なく、怪訝そうに眉を寄せながらも一度膝をついてお辞儀を返し、去っていく。


「さ、伊藤さん、こちらへ」


 話を切り出したのは紗栄子で、穂果はその後ろに控え、畳の上に膝を下ろす。


「おばあちゃん……?」


 戸惑っているのは秀治だけではない。絵麻もまた隣の祖母を見つめ、言葉を失っている。


「そうですね。絵麻。先に謝っておきます。今日は岡田様はお越しにはなりません、先ほど連絡がございました」

「は?」

「どうやら、この大雪で呼ばれたようでしてね。先ほど日を改めさせて欲しいとの連絡がありました」

「なら……」

「同時に、穂果が『もしも』伊藤さんがお越しになられるようであれば、話ぐらいは聞いてあげて欲しいと昨日からうるさくてね。……まさか迎えにいくとは思ってはいませんでしたが、連れていらっしゃったんなら、仕方がない。お久しぶりですね、伊藤秀治さん?」


 平坦に言葉を並べる紗栄子の瞳はしかと秀治を捉え、射抜いていた。

 秀治とは、四年前。雨の降る夜に絵麻を迎えに来た時以来の再会である。


 秀治はその瞳の強さに射抜かれつつも、気押されはしなかった。

 思えば、その四年前。絵麻を引き留めた時もそうであったと、秀治は思う。


「紗栄子さん、僕は」


 そう口を切った秀治であるが、揺らぎない眼差しに一度腰を下ろし、正座でその場に相対すると背筋を伸ばした。


「突然のご無礼、申し訳ございません。ご無沙汰しております。伊藤秀治です」

「……はい。それで? 本日は何用でしょう」

「絵麻を、引き取りに来ました」

「秀治……!?」


 単刀直入。

 秀治は着飾ることなく紗栄子を見据えた。


「引き取りに来たとは?」

「絵麻に、イラストレーターとしての仕事を続けさせてやって欲しいんです。確かに、世間一般で言えば水商売のような所もあるでしょうが、それでも現代の『絵描き』として、一つの仕事として生業としている方も多く存在します。蔑まれるような仕事ではありません。立派な仕事です」

「……そのようですね。少々、目に余る絵を孫娘は描いているようですが」


 チラリ、と祖母に目を向けられ緊張となんとも言えない羞恥に思わず目を背けそうになった絵麻ではあるがそれでも何とか目に力を入れて見つめ返すことは叶った。


「絵麻がそのような絵を描いていること、人様に知られれば恥ずかしくて外も出歩けません。良い笑い者です。年頃の娘が、あのような『破廉恥』な絵を描いているだなんて。品性を疑われるでしょうね」


 軽蔑と、叱咤。


 その入り混ざった表情を向けられつつも、絵麻はそれでも眉根に力を込めた。


「好きなんだもん、いいじゃん」


 そうして、唇を少しだけ尖らせつつも、祖母に絵麻は言い返した。


「私は、アレが可愛いと思うんだもん。悪い?」

「そうですね、良いか悪いかで言えばわたくしには理解できません。どうして、あなたの描く絵には、下着が描かれていないのですか?」


 ぎょっと、思わず顔を歪めたのは秀治で、秀治は穂果を見つめたが、穂果は穂果でスン、と聞こえないふりをしていた。


「か、可愛いから!」


 祖母の追求に絵麻は通常営業以上のエマニエル先生で返す。


「下着をつけていないことが、可愛いのですか?」

「可愛いの! おばあちゃんには分かんないよ!」

「ええ、分かりませんね。あなたの性的趣向は微塵も理解できません」


 暖簾に腕押し、どころではない、岩壁を押し返そうとしている感覚であった。

 躱されたと思えば、跳ね除けられ、絵麻は前のめりになったが、紗栄子の視線は再び秀治へと向けられていた。


「伊藤秀治さん」

「……はい」

「貴方は『絵描きは立派な職業だと』おっしゃいますが、私には到底、そのようには思えません。中には芸術にも通じる物を描き上げる方もいらっしゃるのでしょうが、この孫娘が描いているのは破廉恥で、いやらしい、人様の前にお見せするのも阻まれるような『見るに耐えない絵』だと、私は思います」

「……はい」


 正直、秀治もまたそれはちょっとだけ思っていた。


 特に最後の一年。秀治との約束で成人向けの仕事は引き受けはしなかったものの、絵麻のイラストはとても、とてもそれは『えっちな感じ』だったのだ。


「それでも貴方は、絵麻に、『イラストレーター』を続けさせよとおっしゃるので?」


 生き恥を晒し、それを対価にお金を恵んで貰うような仕事は果たして仕事と言えるのでしょうか?


 どこまでも平坦な口調で紗栄子は秀治に問いかけ、秀治はそれに呆れ調子で返した。


「それが絵麻の幸せなら、俺はそうさせてやりたいと思います」

「秀治……」


 秀治は自分の名を呼ぶ絵麻に苦笑し、目の前の、『子供の頃、よく自分を叱ってくれたお婆ちゃん』に視線を戻し、告げた。


「確かに、絵麻はちょっと暴走してやらかすこともありますけど……、そこが可愛いと、俺は思います」

「可愛い?」

「はい。絵麻は、可愛いです」


 絵麻は、目の前で繰り広げられている光景に言葉を失っていた。


 これは一体なんだろう……?


 夢か現実か。夢なら覚めないで欲しいと思う一方、現実ならなかなかに悪夢というか、「絵麻は可愛いですよ。世界で一番可愛いです」

「秀治……!?」


 祖母相手に特大の惚気を披露する秀治に流石の絵麻の黙ってはいられなかった。

 手を前につき、次何か変なことを言おうものなら飛び掛かれる姿勢で幼馴染を見つめた。


「そんな絵麻だから、守ってやりたいんです。放っておくと、何しでかすか分かりませんから?」


 秀治はどこまでも物腰柔らかく答え、紗栄子は黙ってそんな秀治のことを見つめていた。

 絵麻は穂果を見て、首を横に振られ、秀治を見て、言葉を無くす。

 秀治は絵麻を見ていなかった。


「大好きな絵を描き続けている絵麻は本当に可愛いです。時間も忘れて夢中で描き続けられる。……そんなの、才能と呼ばずして何と言いましょうか」

「だから、絵麻には好きにさせろと。いつ住む家を無くし、露頭に迷うような危険を背負ってまで、不確かな道を歩ませろと? 私には、それが正しい道とは思えませんね」

「――だから、俺がいます」


 秀治はじっと紗栄子を見つめ、言った。


「俺が、絵麻を守ります」

「……秀治」


 絵麻の囁きを、咎めるものはいなかった。


「絵麻が笑って絵を描き続けられるよう、俺が支えます。俺が絵麻の家を用意します。俺が絵麻を守り続けます、だから――、」


 ただ紗栄子を見つめ、頭を下げた。


「結城絵麻さんを、僕にくださいっ……! 俺は絵麻に、笑っていて欲しいんです……!」


 そんな秀治を見る紗栄子の目は冷ややかだった。


「貴方に、それが出来ると?」

「はいっ!」

「生涯をかけて、絵麻を守り通せると?」

「はい……!」

「……そうですか」


 そうして、沈黙が、部屋の中を包み込んだ。


 しんしんと降り続く雪。

 白く染まり続ける景色は、音を吸い込んで、空気を冷やしていった。


 絵麻は何も言えなかった。


 込み上げてくるのは喜びと、戸惑い。

 そして、羞恥心だった。


「おばあちゃん、私っ……」


 しかし、何か言わなくてはいけない。秀治が、どういう想いで今その言葉を言ってくれたのかは分からないけれど、私もそれに応えたいと絵麻は祖母の背に手を置き、「……お婆ちゃん……?」


 祖母の肩が、小刻みに震えていることに気づいた。


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