泥酔によりこの配信は終了しました(5)
「んで朝チュンした割に進展はなかったと」
その日の夜。秀治が風呂に入ったタイミングで絵麻は嵐山桜に通話を繋いでいた。
「朝チュンいうなー……。っとにもうっ……、不覚だったよぉ……」
危うく、ベランダで告白してしまうところだった。
好きと。口を突いて出た言葉が秀治の耳には届いていなかったようなので命拾いしたが、絵麻はその決定的な告白を、口にしてしまっていた。
「いやー、ママからの応答があって、そのままなんか二人でいちゃつき始めた時はこのまま聴いてていいのかなってドキドキしたけど、何事もなく寝息聞こえ始めたからさぁ? そーんなこっちゃと思ったけどねぇ?」
「うぐ……」
嵐山桜に絵麻が通話を繋いだのには理由がある。
というのも、昨日の配信時、配信画面越しに絵麻の身に何かが起きたのだと察した桜は電話をかけ、安否確認を行なった。
絵麻は「大丈夫! 転んだだけ!」と答え、スマホを机に置いて、配信画面に戻り、……桜はそのまま、放置された。
そして聞こえて来たのが「イタズラしちゃうぞ」発言と、何やらイチャコラする二人の物音である。
「はーっ……、ああいうの、クセになっちゃいそ。ねーねー、ママ。今度泊まりに行ってもいい? 私、ママの部屋で寝るからママは彼氏さんの部屋で寝てよ。壁に耳当て楽しませ貰うから……!」
「変な性癖に目覚めないでー!」
叫びつつも、絵麻は自重した。
放っておかれて寂しいと秀治に打ち明けられたばかりである。
「とにかく、そういうことだから、心配かけてごめんね。ありがと」
「んーん? ママの幸せを祈るのは娘の義務みたいなもんだから。今度コラボ配信しよーね。彼氏さんが仕事遅い日とかに」
「ん。りょーかい?」
桜も桜で察しがいいのである程度のことは理解してくれた。
「んじゃねー、おやすみー」「おやすみー、配信頑張ってー」「おー」
今夜も音野葉桜の配信の予定が入っていたこともあり、事情聴取はそこで手打ちとなり、絵麻は解放されたのである。
「はぁ……」
絵麻はベッドの上で膝を抱えながら、昨夜、自分たちが転がっていた場所を眺めて思う。
寂しいのは自分も同じなのだと伝えるべきだっただろうかと。
秀治は絵麻が好き放題にやりたいことを謳歌しているように思っているようだが、実はそれは少しだけ違う。
絵麻は確かにイラストを描くことが好きで、絵描きとして生計を立てられるようになってからは熱を入れ、打ち込んできてはいるがそれと同じぐらい、秀治との時間も大切だった。
秀治と共に夕食を共にし、秀治と共にアニメを見たり、映画を見たり。
聖地巡礼と銘打って二人で出かけたこともある。しかしそれも、秀治の仕事が忙しくなるまでの話だ。
就職して二年。少しずつ、秀治と過ごせる時間が短くなって来ている気がする。
絵麻はその空白を埋め、寂しさを誤魔化す為に嵐山桜と私的に交流をしてみたり、配信を始めたりしている。しかし結局は『秀治と過ごす時間』は何物にも代え難いモノであることを再認識させられるばかりである。
「……どんかん」
絵麻は抱えた膝を胸に寄せた。
それでも思い出すのは一晩の甘い夢であった。
ベッドで目が覚めた時、絵麻は昨晩の出来事が全て夢であったのではないかとまず考えた。
あまりにも自分の部屋が『何事もなかったかのように』整理整頓されていたからである。
しかし、片付けた後があるとはいえ、微かな違和感は残されており、極め付けは秀治のあの態度である。
絵麻が起きてくれば何を差し置いても「おはよう?」と言ってくれる幼馴染が自分に気付かぬふりをして朝に浸っていた。
絵麻も馬鹿ではない。それで『昨日あったことは夢じゃなかったんだ』と思い至るに時間はかからなかった。
そうでなくともスマホを確認すれば嵐山桜からの『事情聴取に応じるように』というメッセージが入っていたので気づくことは出来たのだが、その確認は前後した。
絵麻は、何に差し置いても秀治とのこの生活がこれからも続くことを望んでいた。
絵麻が絵を描き、秀治の帰りを待つ。
イラストレーターとしては名が売れ始めて来たところだし、お絵描き配信の感触を見るに、こっちの方面でも活動を広めていけば今よりも知名度を上げることが出来る事を肌感ながらに絵麻は掴んでいた。
しかしそれも、『幼馴染との生活を続ける為に』である。
絵麻が祖母から出された条件は三つ。
一つ、結城家の者であることを忘れぬこと。
二つ、子供を作るような真似は絶対にしないこと。
三つ、イラストレーターとして自立出来ないようであれば即座に家に戻ってくること。
絵麻は、祖母のことが嫌いではない。むしろ早いうちに母を亡くした自分を母代わりに育ててくれた恩人でもあるし、早死にしたらしい祖父の代わりに結城家を立て直した豪傑としても尊敬している。
だからこそ、最初は家に戻ろうとしたし、『結城家の女として』家のために生きようとも思っていた。
しかし秀治が言ってくれたのだ。祖母の前で、「絵麻には才能があります」と。
「自分がそれを知っています」と。
「自分が、絵麻を支えます」と、啖呵を切ってくれたのだ。
秀治はもう忘れているかもしれないが、それは絵麻にとって何よりも嬉しい告白であり、祖母はそんな秀治だからこそ絵麻が東京暮らしを続けることを認めてくれたし、イラストレーターとして活動する事を許してくれた。
日々を楽しく過ごすうちに忘れてしまいそうにもなるが、この日常は非常に危ういバランスの上に成り立っている。
絵麻は今年で二十五である。
晩婚化が語られる世の中ではあるし、『女は子を産むための道具ではない』というのも分かる話だが、女が子を成せるには期限があり、三十代を超えるとリスクは跳ね上がる。
祖母はその身を結城家に捧げ続けた。
そんな祖母を尊敬し、大切に思っているからこそ、絵麻は自らの幸せと同じぐらい祖母を安心させてやりたいとも思っている。
だから、絵麻は秀治に想いを伝えることは叶わないのである。
結城家の女は、結城家当主の認めた相手と結ばれるのが恒例だからだ。
既に大学在学時から何度もその手合いの紹介はされていた。
多くは政治家二世であったり、病院の次男坊であったり、高望みすべくもない、素晴らしい人たちだったと絵麻と記憶している。
問題があるとすれば、年が一回り離れていた、ということぐらいだろうが、家を守る事を考えればそれは仕方のない事だった。
絵描きなど、水商売だと囁く親類の声は既に耳に入って来ている。
絵麻がイラストレーターとして『いかがわしい』絵を描くことに眉根を寄せる人がいることも知っている。
だけど絵麻は『そんなもの』と言われる絵に惹かれ、認められるまでになったのだ。
せめて、その時が来るまでの勝手と、許してください。
そう自分に言い訳して、好きに過ごしてきた。
今も、昔も。これからも、きっと。
絵麻は先程まで浮いていた心がいつの間にか沈み込んでいた事を自覚し、膝に顔を埋めた。
秀治がいないと大抵はこうである。
絵麻は秀治にオタク語りするのが好きだ。
自分の好きなものを決して否定せず、理解できないなりに耳を傾けてくれる幼馴染のことが大好きだった。
だからこそ、そんな幼馴染が『寂しい』というのであれば、『それは私もです』と言いたくなってしまう。
好きだと、言えたのなら。
絵麻は少し考えて、その考えを掃き捨てた。
やめよう。せめて今は、今を楽しむべきだ。
悩むことは一人でもできる。
二人でいられる間は、そんな無駄な事に時間を割くべきではないと、絵麻はよく知っている。理解している。自分の愚かさも、寂しさも、全ては今この時だけの夢であることを。
絵麻は顔をあげ、笑みを作ると廊下へと出た。
頭で考えを巡らせながらも、ドライヤーの音が消え、リビングに向かう足音には既に気づいている。
秀治は風呂上がりにコーヒーを飲む。
絵麻は先に入浴を済ませているので、後は寝るだけだ。
――ならば、と満面の笑みでリビングの扉を開け放ち、絵麻は言った。
「お酒を、飲むぞー!」
台所で、目を丸くする秀治の姿が見えた。
自分が今言われた言葉を遅れて理解し、心底嫌そうに顔を歪めながらも秀治は絵麻に苦笑してくれる。
「俺はもう飲まないよ……?」
そんな慎重派な幼馴染に、絵麻は天使の笑みを向けて頷く。
「私が、秀治を肴に飲みたいのーっ?」
なんだそれ? と秀治が笑うのが見えた。
絵麻はそれだけで満足だった。
今はまだ、『寂しい』と思えば手の届く距離にあることを確認するかのように、この晩、絵麻は秀治が呆れるほどにお酒を飲み、ソファの上、秀治の膝の上で眠った。
この夢がどうか、いつまでも覚めませんように、と。微塵も酔いを感じさせない頭で願い、笑った。
自分はきっと、あの時からずっと、この幼馴染に酔っているのだろうと。
そんな事を考えてしまう絵麻はきっと、酔っ払っているのであった。
《続く》




