自撮りの誤送信にはご用心!(5)
「っとに……、あのバカは……」
秀治は基本的にそれほど長風呂をしないタイプである。
必要最低限。その日の疲れ具合にもよるが、ルーティンワーク的に入浴は済ませ、体が温まったところでさっさと湯船からは上がるようにしている。
それでも今夜の、……今日一日の疲れはなかなかに酷かった。
転ばぬ先の杖とは言うが、杞憂に気苦労ほど、無駄なものはない。
「はぁああ……」
湯船に顔を半分浸かり、一人で気を揉んでいたことを自覚し、反省する。
どうしてこうも、絵麻のことを信じてやれないのかと。
別に、秀治は絵麻との間にあるものを疑っているわけではない。
しかし、それでも、『絵麻が知らない相手と出かけて行ったり』『絵麻が、自分以外の誰かにえっちな写真を送っているかも知れない』と考えると悪い方へ悪い方へと思考が転がり、止まらなくなるのだ。
「……直さなきゃだな」
秀治は自分が割と嫉妬深いことを自覚した。
それもおそらくは、自分が思っている以上に。
それはきっといつか取り返しのつかないミスをしでかすことになり、絵麻を傷つける結果になり得る。
秀治は絵麻のことが大好きである。それも、本人が思っている以上に秀治は絵麻のことを想っている。
だからこその嫉妬であり、杞憂なのだがそれはもはや秀治にはどうしようもないことでもあった。秀治と絵麻が『ただの幼馴染』であり『家主と居候』の関係である以上、二人を繋ぎ止めるものは曖昧で、不確かなものなのだから。
「……早めに寝るかな」
今日は市場は荒れていなかったが、明日以降、なんらかの動きがあると上司は睨んでいるらしかった。海外の利下げによる市場の混乱。膨らみ綴けるAIバブルと半導体需要に対する株価の調整。
考えるべきことは多く、秀治は湯船から上がると早々に寝支度を済ませ、麦茶を一杯流し込むと自室へと向かった。
絵麻の姿は、リビングにはなかった。
部屋を覗いて、声をかけてから眠ろうかとも思ったが、着替え中だったりしたら取り返しがつかないし、画像を整理すると言っていたから邪魔もしたくない。
秀治はそっと自室に引っ込むと机の上のスマホを回収し、ベッドに倒れ込む。
「はぁー……」
疲れた。と、天井を仰ぎ見ながらも上司からの連絡が入っていないかを確認しようとスマホを持ち上げ、「…………、」不意にエマニエルの名前がポップアップ通知された。
画像だ。
……なんだ? とある種の予感めいた気配は感じつつ、秀治はその通知をタップし、画面はメッセージアプリへと切り替わった。
エマニエルこと、絵麻とのメッセージ画面。そこに表示されたのはメイド服姿の、絵麻の写真である。
ベッドの上に女の子座りをして、上目遣いに胸元を少し覗かせるようにしての微笑む、絵麻のちょっとエッチなメイド姿の写真であった。
グラビア雑誌の表紙でも飾りそうなその写真を見つめて数秒、既読が付いてもなお、その画像は消えることはない。
秀治は、少しだけ考えてから、その画像をそっと保存した。
画像を保存しても相手側には通知は行かないはずだ。
送られてきた画像を保存した。相手から、送られてきた画像を。
絵麻はまた、送り先を間違えたのだろうか。それとも――。
秀治が考え、絵麻に何か伝えるべきだろうかとメッセージの入力しようと画面をタップし、フリック入力を始めた矢先、「ぁ」画像が消えた。
昼間と同じように、何事もなかったかのようにチャット画面から消失し、そこに残るは『今から会社でる』『おっけー(という猫のスタンプ)』である。
そして写真の代わりに絵麻のアカウント名の下に「エマニエルさんが入力中……」の文字が表示され、『しゅぽん』と画面に表示された文字は、
『 えっち 』
秀治は思わずベッドの上で半身を起こし、床に足をつけた。――が、ドタバタと隣の部屋から絵麻が脱衣所に向かう足音を聞いて項垂れるようにしてベッドの上へと倒れ込んだ。
「お見通しかよ……」
まんまと手のひらの上で転がされたことを自覚し、秀治は他の誰にも見られないようにとその流れでカメラロールに保存された絵麻の写真をパスコードロック付きのフォルダへと移動した。
伊藤秀治、二十四歳。
幼馴染のメイド服姿にノックアウトされた夜の出来事である。
*
――やりすぎたかなぁ……!? やりすぎたかなぁああ!?
メイド服から着替えた部屋着を脱衣所でバタバタと脱ぎ捨てながら絵麻は自分の『やらかし』を自覚しながらも逃げるように浴室へと飛び込み、頭からシャワーを浴びて心の中で叫んだ。
ひゃぁああああああああああ……!
一人暮らしであれば盛大に叫んでいたところである。
しかし、居候の立場で、しかも、秀治のも聞こえてしまうであろう距離感で、それをするのは流石に自制心の方が優った。
代わりにお湯の中で『ブクくくくククククク』と気泡を吐き出し、溺れかけてゲホゲホ咽せる。ガキである。今日は秀治の方が先に湯船に浸かっている為に『そう言うこと』にすら気づけないほどには、絵麻も絵麻でいっぱいいっぱいであった。
「……反省しよ」
湯船の中で膝を抱え、絵麻は猛省する。
昼間、誤爆した件は本当に意図せぬことであったし、既読がつく前に消せたので『セーフ、セフセフ、危なかったー!』と一人で納得し、完全に終わったこととして処理して忘れてしまっていた。
そのあとは久しぶりに取り組んだ料理で思考は完全に別のところにあったし、秀治に言われるまで『誤解されている』と言うことにすら考えが及ばなかった。
その部分に関しては秀治の嫉妬心故の現象であるため、一概に絵麻に責があるとも言えないのだが、絵麻の中では『やっちまったー』なのである。
「でも、あれで痛み分けっていうか、むしろ得したんじゃないっ……?」
実際、絵麻は寸前のところまでベッドの上での自撮りを送るかどうかは悩みに悩んだ。
それでも最後の一歩を飛び越えて送信ボタンを押したのは、ひとえに嬉しかったからに他ならない。
秀治が嫉妬した。年がら年中、ニュートラルを地で行き、自分への好意を一切表に出してくれない幼馴染が、嫉妬してくれた。
そのことが絵麻は嬉しくて、恥ずかしくて、その勢いに任せて『わざと』秀治が画像を確認して保存できるだけの時間を与えてから、写真を消した。
「ぁう〜っ……!」
改めて思い直せばなかなかの痴態である。
絵麻はもう一度湯船にどっぷりと浸かり、普段よりも時間をかけて入浴を行い、日課の『風呂上がりの牛乳』すらスキップして自室にそそくさと引っ込んだ。
歯を磨き、髪を乾かす間も、秀治にどういう顔を向ければいいのか分からず、逃げたのである。
そして電気をつけることもなくベッドに直行して、布団に潜り込んで数秒。
隣の部屋から秀治が出てくる音が聞こえて、数秒。コンコン、と扉がノックされる音に布団にめいいっぱい引っ込み、絵麻は亀になった。
ガチャリ、と普段なら返事がなかった時点で開くこともない扉がゆっくりと開き、その音に絵麻は肩を振るわせて再び身を縮めた。
何がどうなるという予想がついたわけではない。
ただ、秀治がどういう反応を示すのかが分からず、怖くて、恥ずかしかったのである。
秀治が部屋に入ってきたらどうしよう。
秀治が私に襲いかかってきたら私はどうしたらいいだろう……!?
若干暴走気味に跳ね始めた心臓を胸に、息を潜める絵麻であったが、秀治の足音は聞こえてくることはなかった。
その代わりに聞こえてきたのは、小さなため息だ。
「……絵麻」
闇に溶け込むような、秀治の静かな声音が部屋の中に染み渡り、それは布団越しにも絵麻の耳にもしかと届いた。
「……俺が縛る義理もないけど、ああいう写真、これからは誰にも送んないで欲しいかも。……絵麻の勝手だし、俺がやめろっていうのも変な話なんだけど、……ほら、流出とか怖いし、SNSとか、には、まぁ……、絵麻はアップしないだろうけどさ、……とにかく、気を付けてほしい」
秀治らしい、理屈っぽい遠回しな主張に、絵麻は少しだけ笑いそうになってしまったが、心配しているのも本当なんだろうな、と納得し、小さく頷く。
その動きは秀治にもしっかりと伝わっていた。
絵麻の潜り込んだ布団が微かに動いたことを確認した秀治は「それじゃ」と扉を閉めようとし、……しかし、寸前のところで思いとどまって、小さく息を吸い込んだ。
躊躇は一瞬である。
亀になっている幼馴染を見て、秀治は迷いはしなかった。
「あと、……すっごく似合ってた。可愛かったよ。おやすみ」
そうして、扉は閉められた。
しばらくして絵麻は隣の部屋の扉が開き、閉まる音を聞いた。
あとは秀治も布団に入ったのか沈黙が闇に響くばかりだ。
「…………」
そんな夜の静けさの中、絵麻は布団に潜り込んだまま、秀治に告げられた言葉を反芻し、目を何度も瞬かせながら口元をモニュモニュと動かし、震えていた。
――そ、それは、ずるくない……!?
幻聴を疑い、どうせなら録音しておくべきだった! と後悔する結城恵麻、二十四歳。
幼馴染が似合うと言ってくれたメイド服を標準装備にしてしまおうかと本気で検討し、血迷ってしまいそうに夜の出来事であった。
《続く》




