自撮りの誤送信にはご用心!(1)
伊藤秀治、二十四歳。勤め先は証券会社である。
主に秀治の担当は国内の株式案件であり、その為に昼休みは市場の閉まる十一時半から十二時半の間に固定される。
しかし、午前の相場が荒れていた時などはクライアント対応に追われ、まともに昼食を取れないことも多い。
そう言った意味では今日の市場は比較的安定しており、懸念材料もない、穏やかな一日ともいえよう。
「はーっ……、疲れた」
とは言え、いつ顧客からの急な電話が入るかもしれない身。秀治の昼飯は常にビルの一階に入っているコンビニで調達するのが日課となっていた。
各々が私用のスマホを操作しつつ食事をとっている休憩室に遅れて入ってきた秀治は買って来たばかりのサンドイッチとコーヒー机に置き、他に倣ってスマホでSNSをチェックする。
かといって、午前中の取引を反映するかのようにこれといってめぼしいニュースはなく、アカウントを情報収集用から個人用に切り替えれば絵麻の仕事付き合い関連で知り合った人たちのつぶやきが流れて来た。
クリエイター業の人たちは、割と自由だ。絵麻を見ている秀治の身からすると然もありなん、という感想しか出てこないのだが、憧れるかどうかで言えば話は別である。
「また入院してるよこの人……」
以前、絵麻がイラストを担当したラノベ作家が『点滴ぶち込まれてやんす』と写真をアップしていた。
ベテランの、それなりに名の売れた作家さんらしいが、半年前にも調子を崩したとかで入院していたはずだ。その影響で原稿が遅れ、絵麻の制作スケジュールが押して、結構な迷惑を被った。
「お大事に……、と」
良くない報告にも『良いねボタン』しかないのはどうかと思うが、とりあえず秀治は『良いね!』を押しておく。
健康第一、好きなことをするにも気をつけて頂きたい。絵麻の為にも。
それはまぁ、絵麻自身にも言えることなので、出来る限り残業はしないようにして、絵麻に栄養のあるものを食べさせてやらなければと思う秀治であった。
サンドイッチを咀嚼し、味を味わうでもなく、秀治は淡々と食事を続ける。そんな折、秀治のスマホの画面に『しゅぽん』と通知が入った。
「……ん」
画面上部に自然と目が行き、メッセージではなく画像であることが分かった。絵麻からである。
ただ、通知欄ではなんの画像かは分からず、……しかし、妙な胸騒ぎを覚え、秀治の指先は即座に吸い寄せられた。
通知を押せば、メッセージアプリへと画面は切り替わる。
絵麻とのやり取りの最新として表示されていそれは、「…………」
鏡の前で、スカートをたくしあげるメイドの写真であった。
「…………ぁ?」
そして即座に、それは画面上から消える。
まるで、幻でも見せられたかのように。
秀治は一瞬、呆気に取られ、思わずチャットを打ち込み掛けたが、……留とどまった。
画像は消えた。
秀治が画面を開くのと、それはほとんど同時であった。
メイド服であることは確認できていた。
そのスカートが膝上まで持ち上げられ、下着が見えるか見えないかのギリギリラインであったことも。
「…………」
秀治の記憶に刻まれている情報はそれだけである。
悲しいかな、男の記憶力などそんなものである。
スカートから覗く素足があれば、自然とその目は股間へと、そこにあるであろう下着へと吸い寄せられ、……ましてやそのメイドがニーソックスを履いていたとなれば存在するは絶対領域。そこには全ての視線を絡めとる重力場が発生していた。
……つまるところ、秀治は『そのメイド服』を着ていたのが一体誰なのかを確認できなかった。
鏡の前に立ち、スマホを構えて片手でスカートを託し上げていたことまでは思い出せる。
恥じらいを思わせるポージングで、太ももが眩しかったことも。
……しかし、その顔は、スマホを掲げていた少し上の部分にあったはずのメイドの顔は、思い出せなかった。
否、パンツが見えるかどうかに意識を持って行かれた秀治の目には見えていなかった。パンツは見えないからこそ魅力的である。
いつか絵麻に言われたそんなことを思い出しながら秀治はスマホをテーブルへと伏せ、残りのサンドイッチを食べ、仕事へと戻って行った。
脳裏に浮かびそうになる、メイド服を着た絵麻のイメージを押し殺しながら。
*
その日、帰宅した秀治を出迎えたのは食欲を誘う良い香りであった。
『今日は残業しないで済みそうだから、夕飯は俺が作るよ』と仕事の合間にメッセージを送って送ると、意外にも絵麻からスタンプではなく文章での返信があった。
内容はこうだ。
『私が作る』
絵麻は基本的に秀治とのメッセージアプリでのやり取りは非常に淡白だ。
絵麻の作家アカウントである『大天使エマニエル』では四六時中、どーでもいい事ばかり呟いている割に、秀治に対しては送っても一行、そうでない場合はスタンプといった具合で絵麻は済ませる。
そのことを秀治は『親しさの裏返し』として捉えているので、特に思うこともないのだが、「……私が作る……?」
一瞬、画面を見て眉根を寄せた。
本日二度目の硬直である。
気にはなるが、仕事中である。顧客からの電話が鳴り、片手間で『了解』と打ち込むと私用スマホはデスクへと伏せた。午後の市場は穏やかではあるものの、次の動きに向けての仕込みが既に始まっており、値動きの激しい株を好む顧客からの相談に秀治は意識を集中させていった。
そして、帰宅である。
帰る道中、電車の中で絵麻に『何か買って帰ろうか?』と料理が失敗した時のことを考慮してメッセージを送ろうかとも思ったが、絵麻からなんの連絡もない以上、絵麻のことを信じる事にした。
絵麻は、料理のみならず家事全般が苦手である。
小柄で、体力的にも不利という点を差し置いても才能がないとしか言いようがない。
それでも、結城家の長女としてある一定の躾は施され、料理も一応に習ってはいる。
苦手であることと、できない事はイコールではないし、絵麻が料理をしないのは単純に『秀治のご飯を食べたいから』であって、やろうと思えば『苦手なりに』出来はする。
秀治が絵麻に、自分の帰りが遅い日はインスタント食品やデリバリーで済ませても良いと言っているのは、絵麻が『秀治のために』苦手な料理を頑張らなくても良いようにという気遣いであった。
秀治は、自分が『料理を作って待っていて欲しい』と言えば、絵麻はそれに応えようとするし、きっと毎晩、秀治の帰りを待って食事を温め直してくれるであろうことを知っている。
知っているからこそ、絵麻にはそのような負担はかけたくなかった。秀治と絵麻はあくまでも『家主』と『居候』の関係であり、幼馴染ではあっても『恋人』ではないのだから、ある種の線引きともいえよう。
閑話休題。
そんな日常を送ってきた秀治が、絵麻の手料理の匂いに出迎えられるのは絵麻と暮らし始めて数日、秀治が絵麻に『こういうの、しなくて良いから』と気遣いを止めるように迫った時以来である。
「良い匂いだな」
リビングへと続く扉を開け、中を覗くと絵麻は台所に立っていた。
「おかえりー。ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ、た、し?」
「……ご飯かな。お腹減った。食欲そそられる」
「おー。よかろうよかろう。ビーフシチューなのだー」
なんという茶番劇。
秀治は呆れながらも一旦引っ込み、とりあえずはスウェットに着替えて戻ってくるとダイニングテーブルにちゃっちゃと皿を並べる絵麻の姿があった。
……良いなぁ、と秀治は思う。
料理はしなくて良いとは言ったが、こういう光景に憧れがないわけでもなかった。
何よりエプロン姿の絵麻は普通に可愛い。
後ろで髪を一つにまとめ、同居し始めてから買ったエプロンを着てとてとてと動き回る幼馴染は可愛かった。
「なによぉ。思うところがあるなら言ってご覧なさいな」
そんな秀治の様子に流石の絵麻も気付くらしく、輪切にされたフランスパンと皿に盛られたビーフシチューを並べ終わると絵麻は頬を膨らませた。
素直に答えるべきか否か。
少し悩んだ秀治は素直に伝える事にした。
「似合ってるなって思ったんだよ。エプロン、久しぶりに見たから」
「なるほど」
しげしげと言われてみればそうかもなー、と自分のエプロン姿を見下ろす絵麻だが、そこは当然のエマニエル先生である。
「裸エプロンってエロいもんね!」
胸を張り、自信満々に言い放つのであった。
《続く》




