ACT.9
数日後の午後。
春の陽射しがやわらかく、公園の芝生が明るく光っていた。
彩花は娘の手を引きながら、美咲と並んで歩く。
「もうすっかり元気そうだね」
美咲は笑いながら娘を見下ろした。娘はお気に入りの帽子をかぶり、スニーカーのつま先をトントン鳴らしながら、地面のアリを追いかけていた。
「うん、もう熱も下がったし。食欲も戻ったの」
彩花の声には、ほっとした色が混じる。
ベンチに腰を下ろし、三人でコンビニのジュースを分け合う。
「ママ、あれ、すべりだい!」
娘が指さすと、美咲がすぐに立ち上がった。
「よーし、行こうか! ほら、ママも!」
「え、ちょっと、美咲まで?」
「当たり前でしょ! 三人で滑るの!」
笑いながら三人で並んで滑り台を滑る。
娘の笑い声が公園に響き、彩花は思わず胸の奥があたたかくなる。
ほんの少し前まで、眠れない夜を過ごしていたのに、今こうして娘の笑顔を見られる。
ベンチに戻ると、美咲が空を見上げて言った。
「ねぇ、彩花。あたしさ、こうやって笑ってるの、久しぶりかも」
「え?」
「なんかね、家の中じゃ、みんな怒ってばっかりで。外でも、うまく笑えない時が多かった。でも今日、ほんとに楽しい」
彩花は静かに頷き、娘の髪を撫でながら微笑む。
「私も。……美咲がいてくれて、ほんとによかった」
二人の視線が交わり、ふっと笑い合う。
娘は二人の膝の間で、どんぐりを拾っては「みて!」と誇らしげに見せていた。
風が吹き抜け、木々の葉がきらめく。
穏やかで何でもない午後のひとときが、彩花にとってはかけがえのない“日常”だった。
昼下がりの職員室。
窓際には春の光が射し込み、静かな紙のめくれる音と、コーヒーの香りが漂っていた。
「どうぞ、入って」
声の主は、彩花の担任――お腹が目立ち始めた女性教師だった。
黒のスカートスーツに、淡いグレーのカーディガン。
脚には黒いパンストが光を受けてわずかに艶めいていた。
彼女は立ち上がると、ゆっくりと彩花の前に腰を下ろす。
「久しぶりね、彩花さん。体調はもう大丈夫?」
「はい……私じゃなくて、娘が、少し熱を出していて」
彩花の声は少し震えていた。けれど、もう隠す気はなかった。
教師は頷き、穏やかな目を向ける。
「そう。あなた、ずっと一人で頑張ってたのね」
彩花は膝の上で手を握りしめた。
「……学校に来るのも、本当は怖かったんです。みんなに知られたらって。娘のことを笑われるんじゃないかって」
教師は机の上のマグカップを少し横に置いて、彩花の方へ体を向けた。
「私もね、今、母になるところなの。まだお腹の中だけど……あなたの気持ち、少しわかる気がするわ」
彩花は目を見開いた。
教師はお腹をそっと撫でながら続ける。
「命を抱えるって、不安もあるけど、同じくらい力もくれるの。
あなたがここまで学校に来られたのも、その子があなたに力をくれてるからよ」
彩花の目に涙が浮かんだ。
「……先生」
「困ったときは、隠さないで話してね。学校はあなたの敵じゃない。
あなたも、あなたの子も、守るべき“生徒”であり、未来だから」
静かに涙が頬を伝った。
教師は微笑んで、ティッシュを差し出す。
「それに――支えてくれる友達がいるでしょ? あの金髪の子。とても頼もしいじゃない」
彩花は涙の中で微笑んだ。
「はい。……美咲が、いてくれます」
「いい名前ね。あなたたち二人なら、きっと大丈夫」
教師は窓の外に目をやった。桜の花びらが風に舞っていた。
「春って、何かを始めるのにちょうどいい季節なのよ」
彩花はゆっくりと頷いた。
――もう、隠す必要はない。ここにも味方がいる。




