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碧玉の瞳  作者: ふとん
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 冷たい。

 その感触が、まどろみを引き剥がす。

 頭痛をこらえて、歩美は起き上がるが夢と現実の交錯で眠気のような混乱が感覚を鈍らせていた。

 次第に体は夢から目覚めたが、まだ目を閉じているような暗闇に戸惑った。

 この暗闇に、いくつかの靴音が反響した。それでようやく彼女は、明りのない広い空間に放り出されていると確認する。

 急に視界が開けた。

 ランプの明りに照らされたのだ。浮かび上がったのは一つ目の子供と、何処か中国にでもありそうな(あわせ)の民族衣装を着た二人の男だった。彼等はいずれも剣帯に大小の剣を吊るしている。

 そして、三人と歩美との間には騙し絵のような鉄格子が隔たっていた。

「ソフィア」

 一つ目の子供に呼びかけられて、まだ起き抜けの脳裏に緩い記憶が閃いた。

 今は歩美ではなかったのだ。名前が人を殺す力さえも持つというこの異世界では仮の名前が必要だった。

「……キュクロプス。これはどういうこと?」

 冷たい石の床が濡れていることに気がついて、歩美、ソフィアは一つ目の子供、キュクロプスを見つめながら腰を浮かした。

 制服のスカートの裾に触れると、わずかに湿っている。この牢に放り込まれて数時間以上は経つらしい。

 キュクロプスはソフィアを宥めるように肩を竦めた。

「おいらも困ってるんだよ。ソフィアが倒れてからすぐに真実の森を抜けたんだけど、行くアテがないもんだから、あのデュナミス達に頼ってここまで来たら…」

「デュナミス?」

「アズラエルとラグエルみたいな空と地中を行き来する連中のことさ」

 黒髪のアズラエルと茶髪のラグエルを思い出して、ソフィアは少し顔を歪める。

「さぁ、話はあとだ」

 会話に水を指したのは、ランプを持った男だった。

「言葉がわかるならそこから出ろ。御前に連れて行く」

 牢を開けられ、ソフィアは素直に外へ出る。牢の中とは違い、乾いた床を踏んで改めて自分のローファが湿っていることに眉をひそめた。

「御前? 誰に会わせようっていうの?」

「口の利き方に気をつけろ」

 男二人に挟まれる形で、薄暗い石の廊下を歩き始めた。

「姫さ。この国の。まぁ、姫といっても女王といってもいいね」

 ソフィアの隣で同じように足を進めるキュクロプスが子供の無邪気な声で陽気に語り始めた。

「何でも絶対の権力を持ってるらしくね。ソドムでの発言力も大きいものだから、たとえデュナミスといえども彼女のワガママにはなかなか逆らえない」

 やがて長い階段を登り始める。

「デュナミス……って。ラグエルとアズラエルは何者なの?」

「彼等は天上に住む監視者さ。空ばかりしかないヘヴンからアース、ソドムを統治するための派遣監査官ともいえるな」

「……監視?」

「そう。監視」

 キュクロプスはくるりと一指し指を回す。

「奴らはとにかく公平が好きなんだ」

 わけのわからない説明をされて、とりあえずソフィアは質問をやめた。

 そろそろ階段も切れる。

 男――兵士なのだろうか――の一人がようやく見えた重い扉を開いた。

 有無を言わさず促され、通されたのは明るい廊下だった。日の光をふんだんに取り込むのは高い朱色の柱が居並ぶ回廊である。床や天井に刻み込まれた幾何学模様が陽光に慣れない目をいっそう刺激する。

 甲高い靴音は気の遠くなるほど高い天井に跳ね返り、複雑に反射した。

 同じような回廊をいくつも進み、辿り着いたのは一際広い部屋だった。左右に天幕がいくつも並び、その先に人が小さく見える座席が一つ設けられている。その周りに幾つか人の姿が見えるが、いくら目が悪くないとはいえ、影が見えるにとどまる。もはや、部屋と呼ぶには広すぎた。

 何せソフィアが止められたのは部屋の一番端なのである。いつのまにか眼鏡もはぎとられているので視界は広く、眺めだけは良い。

 ぼんやりと眺めていると隣の兵士に小突かれた。

「早くお答えしろ」

「は?」

 最奥の席に腰掛ける人物が何かを喋ったらしいが、ソフィアにそれが聞こえるはずもない。

「お前が緑の目の持ち主かい? ってさ」

 代わりにキュクロプスが教えてくれる。彼の大きな一つ目でなら、この非常識な距離も処理できるようだ。

「質問の意味がわからないわ」

「言っただろ。ソフィアの目は特別なんだってさ」

 キュクロプスはいつもの陽気さを収めて神妙にソフィアを見上げてくる。

「どう特別なの? ただの碧眼よ?」

「だから…」

「歩け」

 話の途中で二人は兵士達に押し出される。

「何?」

「御前まで召し上げろとおっしゃった」

 そのまま兵士はソフィアの背中を強引に押し、広い部屋の中心を歩かせた。

 歩を進めるに従って、ようやく彼等の言う “御前 ”が見えてきた。大きな天蓋の下に一人の少女が座っている。高く結い上げた黒髪に、細い首で支えきれるのかと思うほどの貴金属をつけ、その首にも大きな宝石をいくつもつけている。衣装こそ見慣れない袷の民族衣装だが、長い裾を椅子の数メートル下に流している姿は何処かの肖像画に登場するような姫君だった。

 その近くに見慣れた長身の男達を見つけて、ソフィアは思わず睨みつけた。

 端正な小顔をこちらに向けて手を振る茶髪はラグエル、そして振り向きもしない黒髪がアズラエルだ。

 再び止められたのは、この二人から少し離れた場所だった。

「―――ほう。とんだ小娘じゃな」

 物珍しそうに言ったのは姫君である。

 ソフィアが向き直ると彼女は長いまつげに彩られた瞳を少し歪めた。

「その、瞳じゃな。問題の瞳は」

 長い人差し指の爪先が指すのはソフィアの碧眼である。

「それが一体―――」

「そうです」

 疑問で噛み付こうとしたソフィアを遮って、硬く応えたのはアズラエルだった。横目で睨むが黒フレームの眼鏡が見えるだけで表情の揺らぎはない。

「厄介なものが来たものじゃ。――言うておくが、わらわは貴様ら、デュナミスも好きではない」

 ソフィアから視線を移した姫君はアズラエル達に嘲笑を向けた。

「元より貴様らヘブンの住人は秩序を求めるくせに、己の平安さえおぼつかぬ。それが我等ソドムを統治しようと言うのだから皮肉なことよの」

 ふ、と笑い、姫君は訳がわからないと顔をしかめるソフィアに水を向ける。

「アースからの異邦人よ。そなた、あやつ等の姿を観たのであろ?」

 観た、と言われてソフィアは脳裏に焼きつく光景を思い出していた。真実の森で観た幻覚である。血に濡れる男、血の色の目を持つ若いアズラエル、そして顔を抉られた女。

(あれが、アズラエルの見ていた真実の道なら……)

 あの凄惨な姿が彼の現実なのだ。

 美しいガラスの回廊が酷く虚しい憎悪を飲み込む世界。

「あやつ等はの。己の権力闘争に余念がない奴らなのじゃ。常に恐怖で秩序を求め、それでしか他人を動かすことができぬ。我等ソドムは秩序がない分、干渉は ない。むしろ我が世界の方が平和というものじゃな」

 姫君はころころと鈴のように笑う。一見、無邪気にも見えるが、ソフィアにはそれが魔女めいて不気味に映った。

「じゃが挙句のはて、奴等はデュナミス共を使ってソドムにまで己の戦乱の種を蒔こうとしておる」

 笑う姫君の瞳が刃物のようにうっすらと光る。

「それはアンタも同じじゃない?」

 からかうように口を挟んだのはキュクロプスである。

「ソドムでは有名だよ。ギの国の魔女姫。アンタ、デュナミスにちょっかいかけて、ヘブンに戦争でも挑むつもりかい?」

 子供特有の甲高い笑い声が広間に響いた。しばらく耳を傾けていた姫君だったが、おもむろにアズラエルとラグエルに視線を向けた。

「デュナミスのアズラエルと言ったな」

「は…」

 低く頷いたアズラエルは少し口元を硬くする。

「殺せ」

 姫君が何気なく自分の首に一指し指をあてた。

「そこのキュクロプスを殺してみせよ」

「……何故」

「キュクロプス」

 問うアズラエルを黙殺し、姫君はキュクロプスに笑いかける。

「ぬし、わらわに向かってよう言うた。そうじゃな。ヘブンに楯突くのもそろそろ良いだろう。しかし今はラファエルがおるからの。あやつがくたばるのを気長に待つことにするわ」

 姫君は目を細めた。

「キュクロプス。ぬしは失うたあと(・・)二つ(・・)の(・)()を取り戻し、本来の姿になってからわらわの元に来るがよい。職の一つも与えてやろうぞ」

 対したキュクロプスはいつもの軽口を収めて、苦笑を漏らした。

「アズラエル。そやつの首をはねよ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 ソフィアは思わずキュクロプスの前に立った。

「首をはねたら死ぬに決まってるでしょ? 気に入ったくせに何で殺すのよ!」

「キュクロプスはこの世界の者ではない」

 姫君は冷笑を湛えてソフィアを見下ろす。

「異世界の者はこの世界で死ぬことはないらしい。たとえ首をはねてもな。それにそのキュクロプスは本当の体を無くしておるから死にたくとも死ねぬのじゃよ」

「じゃぁ首をはねるなんて意味がないじゃない!」

「意味はある。この場にこやつは邪魔なのじゃ」

「邪魔?」

「次に首を落とすのは、そちじゃからの。これ以上邪魔をされぬよう首をはねておく」

 ソフィアは絶句した。

 体を跳ね飛ばされる。

 誰かと見遣れば、ラグエルである。

「ごめんね。ソフィア」

茶髪の美貌は軽薄にニコリと笑いかけてくるが、今まで感じたこともない悪寒がソフィアの背中に走った。

 その隙に乗じてアズラエルがキュクロプスの首めがけて平手を刀のように振り下ろす。

「あ」

 間の抜けた声を上げた。

 キュクロプスは静かな笑顔を湛えたまま跳ね上がる。

 生温かい飛沫が飛び散った。

 ごとん、と重い音が響いた。

 息ができない。

 口を開けたまま閉じることもできない。

 頬をかきむしる指先が冷たい。

 そのくせ動悸は熱に浮かされたように痙攣している。

 視線は離れなかった。

 床に落ちる小さな体。

 その先の、笑みを湛えた一つ目の子供の首。

 血は赤くはなかった。真っ青なスカイブルーである。

 生理的な嫌悪感と恐怖がソフィアの言葉を更に奪う。

 靴音が聞こえた。

 ゆっくりと、だが確実に近づいてくる足音にソフィアは茫然と顔を上げる。

 無情な紅い双眸が黒フレームの中から彼女を見下ろしている。

 アズラエルはソフィアを見下ろしたまま、何かを静かに告げている。

「逃げろ」

 小さく、聞き取れないほどの掠れた声で、アズラエルの声が聞こえた。

 彼の青に染まった平手がさながら首切り包丁のように振り上げられる。

「逃げろ!」

 ソフィアは意識のないまま走り出した。

 だが、おさげの先をアズラエルが掴む。

 振り返るとラグエルの驚いた顔を見えた。

「アズラエル!」

 手を放せ、と口で伝えるラグエルを無視して、アズラエルはソフィアのおさげの先を掴んだまま冷たく彼女を見据えた。

 ようやく氷解した涙腺が緩む。

「私もあの人と同じように殺すつもりなのね!」

 アズラエルの手から少し力が抜けた。震えたのだ。

 ソフィアは構わず彼の手を払いのける。

 毛先の留めをむしられて、長い黒髪がほどけていく。

そして、誰の制止も聞かずに走り出した。




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