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碧玉の瞳  作者: ふとん
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 悪魔の道具と言うならば、その見返りは?

 神の道具と言うならば、その生贄は?

 いずれにせよ、彼の道具には犠牲が付き物だ。


 崇高なる魂を内包した、汚れ無き贖罪の山羊が。










        

 穴倉は、地獄の底に通じている。

 古来、洞窟は祭式の場であり、神聖な場であり、墓場だった。

 だが、この地下に静謐な空気はない。

 ただ混沌が猥雑な色を帯びて何処までも浸透しているかのようだ。

 彼女は前を歩く二人の男について、道を歩いていた。

 ブレザーと短めのプリーツスカート、流行りのショルダーバック。だが本人の意図がどうであれ、おさげにされた長い黒髪は時代錯誤なセーラー服が似合うように思われる。いずれにせよ、ここでは酷く浮いて見えた。

 路地裏といえば、まだ聞こえが良い。廃墟にバラックが建ち並ぶ隙間に、大勢が通って出来た道である。

 人の姿はない。ただ、崩れたビルのコンクリートが風化し、得体の知れない蔦が廃墟に絡み付いている。

 生暖かい微風が吹いているにも関わらず、体温は少しずつ空気に奪われていく。暑いのか寒いのか判らない心地悪さで空を仰いでも、空はない。

 複雑にブロックを組み合わせた天井である。地面から天井までは主都にある高層ビルがすっぽり入るほどある。ともすれば、天井が暗い空にも見えた。だが、遠くに見える機械的な骨組みがそれを否定する。そのくせ辺りは曇りの日程度の明るさがあるのだ。不思議といえば不思議だが、ここが異世界だと聞かされていれば、自分の持っている常識が通じないのだと感じるだけだった。

 視覚の探検に飽きて、彼女は眼前の男達に視線を戻した。

 一人は、ラフなシャツにジーパン姿の茶髪の男である。もう一人は、黒コート姿の黒髪の男だ。

 居並ぶと茶髪の男の方が黒髪の男よりも少し背が低いが、二人とも彼女の頭二つ分は高い。

 地下鉄のトンネルから出て何時間こうして歩いているのだろうか。ローファーの爪先がいい加減、ジクジクと痛んだ。

 腕時計を見遣るが秒針は時を刻まず、遡っている。

 逆回転しているのだ。

 規則的な微音は刻々と時間を略奪していく。

「……ねぇ」

 時間の逆算に疲れて、彼女は変わらない速度で前を歩く二人に呼びかける。振り返ったのは、茶髪の男だけだった。

「なぁに?」

 にっこりと笑う彼は、羨望を独り占めにしてしまうような端正な容貌である。微笑まれれば誰であれ呆けてしまう、かもしれないが彼女は顔をしかめた。

「いつまで歩くの」

「まだ二時間程度しか歩いていない」

 振り返りもせず、応えたのは黒髪の男だった。

 ますます彼女は口を歪める。

「アテもなく歩いてるわけじゃないんでしょ」

「確かに」

 とうとう彼女は黒髪の男を睨みつけた。

「まぁまぁ。怒っても疲れるだけだって」

 宥めるように茶髪の男は場を取り繕う。

「アズラエルも、もう少し言い方を考えろよー。部下の兵士じゃないんだから」

 名を呼ばれて、黒髪の男はようやく振り返る。冷淡な印象のくせに、黒フレームの眼鏡の奥にあるのは紅玉のような赤い目だった。

「確かに急ぐ仕事ではないが、時間もない。事情の説明をできるのか? ラグエル」

 彼らも、名前が大きな力を持つというここ、ソドムでの名前を決めている。

 黒髪の男はアズラエル。

「勘弁してくれよ。喋ると舌を抜かれるんだ」

 茶髪の男はラグエルといった。

 おどけて肩を竦めると、ラグエルは彼女に向き直る。

「まぁ、じきに慣れるよ。名前にもね」

 彼女にはソフィアという名前が与えられた。

 名付けるというより、標識としての名前らしいが、

「なにも、天使や聖人の名前じゃなくてもいいんじゃないの?」

 アズラエルやラグエルはイスラム教やキリスト教の天使の名前、ソフィアは伝説上の聖人の名前だ。

「上司の趣味だから」

 軽薄なラグエルには珍しく苦笑した。

「尤も、名前の振り分けはピッタリだと思うけどね…」

 言いかけたラグエルが突然ソフィアの肩を掴んだ。

「なっ…!」

 息を詰まらせる彼女を押し倒して、一緒に地面へと倒れこむ。苦情を言いかけた彼女だが、そのまま声を呑みこんだ。

 轟音が響く。その中で、奇妙な赤ん坊の泣き声が混じっていた。

 風化したコンクリートを更に砕いたのは、鳥を模した異形だった。

羽毛の揃った翼に、長いくちばし、鋭い鉤爪は鳥そのものだが、その頭には未発達な赤ん坊の上半身がついている。赤ん坊は盛んに泣き叫ぶが、その顔についているのは口と大きな一つ目だ。反して体長三メートルはあろうかという巨体は、大人一人丸呑みにしてしまいそうなくちばしを大きく開けている。

ばさりと羽ばたくのは二匹。

廃墟に足をかけてこちらを覗きこんでいる。

好奇心か。食欲か。人間の顔があるというのに表情はわからなかった。

「アンジェか」

 ソフィアを庇ったラグエルが、舌打ち混じりに鳥と相対するアズラエルを顧みる。アズラエルはコートのポケットに手を突っ込んだまま、いつもの仏頂面で鳥を睨んでいた。

「呪いがかけられている。ラグエル、解けるか?」

 ラグエルはソフィアをそのまま背中に庇って立つと、鳥を見ながら軽口を叩く。

「腹の足しにされる方が早いよ」

 ソフィアは怯えた視線を彼の背中越しに鳥の頭頂部についた赤ん坊へ泳がせた。不気味な赤ん坊の額に、奇妙な赤い文様が印されている。不自然さを感じて、恐怖を忘れそうになった。

「……呪いって、あの額にある模様?」

 尋ねた彼女を、男二人はひどく驚いた様子で振り返った。二人の反応にソフィアの方が驚いて、目を丸くする。

「な、何?」

 だが、彼らは結局何も言わずに鳥へ向き直った。

 鳥が大きく鳴く。

 耳をつんざく声は淀んだ空気を切り裂いた。

文字通り八つ裂きにするための鉤爪をアズラエルに向かって突き出す。

 アズラエルは体を反転させて必殺の爪を避けると、空振りした爪に足を掛けた。そのままジャンプ台にして飛び上がる。

 くちばしがアズラエルのコートに喰らいつこうとするが、彼は開きかけるくちばしを上から踏みつけた。

飛び乗ったくちばしの上でポケットから手を引っ張り出すと、口を開けてもがく赤ん坊の額に向かって手の平を向ける。

 何の変哲もない行為に、鳥は突然、大人しくなって廃墟の頂上に爪を下ろして止まった。

 もう一匹は鳴き喚いて、真っ直ぐラグエルに向かって獲物を狙う鷹のように降下してきた。

 ラグエルは飛び退こうとせず、両腕を突き出す。

 赤ん坊が仰け反った。

 空気が局所的に圧力を上げた。そうとしかいえないような現象だ。赤ん坊の叫び声に、鳥のけたたましい声が覆い被さる。

 鳥がいる場所の空圧だけが震動し、空気と摩擦を起こした鳥の体から煙が上がる。全身を煙に包まれた鳥はようやく奇妙な空間から放り出されると、ぐったりとその場に力尽きた。

 赤ん坊の額から赤い文様だけが消え失せている。

 無力化した鳥たちを見とめてから、ラグエルはソフィアに手を差し出した。

「大丈夫?」

 彼女は素直に手を取った。腰が抜けて何か支えがなければ立てない状態だったのだ。

「……何とか」

 立ち上がってスカートをはたいていると、アズラエルは不気味な鳥のくちばしの頭を一撫でして降りてくる。

「よくあんなモンに触れるよな」

 ソフィアも浮かんだ感想を、ラグエルが代弁してくれた。アズラエルは無愛想に横目で鳥を見遣る。

「別に。さっき蹴り飛ばしたから謝っただけだ」

「やっぱり変わってるよ。お前」

 アズラエルはそれ以上話題には触れず、ソフィアに視線を降ろした。

「怪我は?」

「……無いわ」

 ソフィアは少し眉を歪めた。高圧的でさえある言葉だが、不思議と不快感のない平板な口調にどういう表情を返せば良いのか迷うのだ。

 ソフィアの返答を確認すると、アズラエルはさっさと踵を返して十五分前と同じように歩き出す。

 ソフィアはラグエルと顔を見合わせたが、彼は呆れたように口の端を吊り上げた。

「不器用なんだ。許してやってよ」

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