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碧玉の瞳  作者: ふとん
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 彼女は自分の叫び声で飛び起きた。

 息を切らせて辺りを見遣って、見覚えのある広告を見つける。

ここは朝に乗り込んだ電車の最後尾だった。

 薄暗い車内のシートに何時の間にか寝かされている。

「ああ、起きたの」

 男の声だ。彼女が振り返ると、薄い茶髪の男が車両に入ってきたところだった。肩より少し長い髪を一つに束ねて、ラフなシャツにジーンズといった格好だ。スニーカーの足も軽やかに彼女の前に立つと腰をかがめて、シートに座ったままの彼女の顔を丸めの黒い眼で覗き込んだ。

「……あの…私は……」

 彼女は混乱しながら男に視線を合わせた。

 改めて見ると、この男は世の女から嫉妬されそうなほど端正で上品な顔立ちだった。

 彼はにっこりと微笑む。

「キミ、かわいいねぇ。なんか、こうマニアックなカンジで…」

 口を開くとボロが出るタイプらしい。

 彼女は即座に態度を改めた。

「ここはどこ? あなたはだれ?」

 怒鳴るような調子で言った彼女に彼は少し目を丸くしたがすぐに笑んだ。

「良かった。頭のいい子みたいだ」

「………?」

 彼女が不審な目を向けるのも気にせず、彼は一つ前の車両に呼びかけた。

「おーい。お嬢さんがお目覚めになったぞー」

 呼びかけに応えて現れたのは、長身の男だった。黒フレーム眼鏡の奥のどこか怒ったような無愛想な眼で彼女を一瞥すると、裾の長い黒コートをひるがえして茶髪の男の隣に並んで彼女を見下ろす。

 冴えた雰囲気を漂わせる長身の男の眼は、赤い。黒髪のために余計に目立つ色は鮮やかな紅玉を思わせる。

 彼女が少し眉を寄せると、彼は双眸を隠すように視線を逸らした。

「ここは君が乗ったはずの電車だ。そして俺たちは君を保護した者だ」

 男の声は無愛想で低かったが、よく透る声だった。

「………乗ったはず? どういう意味?」

「実際にキミは電車に乗ったんだ。だけど、どういうわけか、“こっち ”に落ちちゃったみたいだねぇ」

 軽い口調で言った茶髪の男を彼女は見上げる。

「こっち?」

「話がこじれる。黙っていろ」

 長身の男は自分より少し目下の軽口を叩く男をたしなめるが、茶髪の男はおどけて困り顔を作った。

「だってさぁ、こっちにも彼女にも事情があるんだし。ラファエルは何て言ってきたんだよ」

 茶髪の男は長身の男に視線を移す。

「保護観察」

「うっそぉ! お前大好きのラファエルが? 女の子をそばに?」

 溜息をつく長身の男を他所に、茶髪の男は一人嬉しそうに笑う。

 長身の男は彼を無視して話を進める気らしく、彼女を見遣る。

「電車に乗ったはずって、どういう意味?」

 彼女は男が話し始める前に、質問を投げておくことにした。彼らはこの説明を避けたがっているように思えたのだ。彼は少し目を細めたが、淡々と話し始める。

「乗ったはずというのは、言葉どおりの意味だ。電車に乗ったが、君はこちら…『ソドム』にどういうわけか落ちてしまった。それで、住人たちに歓迎を受けた」

「……住人?」

「床から這い上がってくる腕や、仮面の巨人を見ただろう。彼らは『ソドム』の住人たちだ」

 彼女は思い出して、立ち戻る悪寒に腕を抱いた。

「……その“そどむ ”って何?」

 尋ねてから、彼女は自分が目の前にいる彼らを質問責めにしていることに気付いて口を閉じる。だが、長身の男は元から辛抱強く説明する気だったらしく、さして気にする様子もなかった。

「ソドムは、多次元構造の異空間……君が普段暮らしている世界の裏側にある世界と思ってくれていい。君の世界にはこちらの世界に通じる穴が無数に点在している。そうそう開くものではないが、君は落とし穴に運悪く落ちてしまった」

「まぁ、たまにいるんだよ。俺たちが開いたホールに落ちちゃう人が」

 納得しかけた彼女は、横合いから耳に入ったこの言葉で顔をしかめた。

「……話がこじれるから、黙っていろと言っただろう」

 長身の男は不機嫌に茶髪の男を見遣る。

「だって本当のことだろぉ?」

 茶髪の男は自分のせいではないとでも言うように軽い口調で肩をすくめてみせる。

 彼女はじっとりと二人を睨みつける。

「……じゃぁ、このソドムってところに落ちたのは私の責任じゃなくて全面的にそちらの不手際によるものなんですね」

「……そういうことになる」

 詰問する気でいた彼女に肩透かしをくらわせたのは、意外にも長身の男だった。彼女はやる気を削がれて首を振る。

「それで……私はどうすれば元の世界に戻れるんですか?」

 今度は二人が眼を丸くした。茶髪の男は軽く口笛を吹く。

「やっぱり頭のいい子だ」

「納得したわけじゃないけど、実際に今、わけのわからない世界にいるんでしょう? だったら郷にいっては郷に従うしかないわ」

 彼女は不機嫌に口をすぼめる。

「そうしてくれると助かる」

 そう言った長身の男は少し表情を緩めた。何処となく彼の周りを取り巻いている、冴えた雰囲気が柔らかくなる。

「穴は四六時中開いているわけじゃない。穴はそれぞれに開く時間がある」

「……つまり、その時間にならないと元の世界に戻れない……?」

 彼女は思わず顔を引き攣らせた。だが、茶髪の男ははしゃぐように長身の男の肩を叩く。

「なぁ、この子すげぇ順応早いぜ。いっそパラダイスに引き入れる?」

 彼女は半ば脱力して溜息をついた。そんな彼女に長身の男が追い討ちをかける。

「悪いが、こちらも少々仕事がある。それが終わり次第、君を元の世界に戻すからそれまでは大人しくしておいてくれ」

「おいおい、いいのか?」

 茶髪の男は驚いた様子で長身の男を見遣った。

「ラファエルの指示だ。足が遅くなるのは仕方がないそうだ」

「えらく寛大になったなぁ」

 これ以上の詮索はできないと思ったのか、茶髪の男は肩をすくめる。

「保護も仕事のうち、ね。……ええと、じゃぁこの子の名前、何にする?」

「ちょ、ちょっと…どういうこと?」

 彼女が戸惑って会話に割り込むと、茶髪の男はにこりと微笑んだ。

「ここではね。物の名前がえらく力を発揮する場所なんだ。だから、本当の名前は使えない」

 長身の男はこちらに背を向けて、ドア前へと立つ。

「君の名前はこれからソフィア。いいな」

「……ソフィア?」

 長身の男に彼女は不審な目を向ける。だが、彼はそれ以上応えようとしないので、次に茶髪の男を見遣ると彼は珍しく顔をしかめていた。

「それ……」

「ラファエルからの指示だ。あちらでもサポートのためにこちらをサーチするらしい。その識別信号だそうだ」

 長身の男は茶髪の男の言葉を遮るように緊急のロックに拳を叩きつける。砕け散るカバーガラスとともにドアがゆっくりと暗い口を開けた。

 

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