3
「佐々木さん」
彼女はとっさに目を開けた。
「佐々木歩美さん」
目に飛び込んできたのは、何の変哲もないただの白熱電灯だった。
目障りな明るさに、彼女は眉をしかめた。
「ああ、良かった」
声の方へと視線を移すと、そこには心配そうな顔の車掌が彼女を覗き込んでいた。
意識が混乱して、彼女は一番新しい記憶を呼び起す。
たった今、彼女は仮面の巨体に殺されかけたのだ。
だが、ここはどこなのだろうか。背中にあるのは少し固いがクッションだ。冷たい床ではない。首に触れても、胴と首は繋がっている。
彼女は朦朧とする意識を叩き起こして、半身を起こした。
ここはどこかの事務室だった。
「……ここは…」
「地下鉄のホームで倒れたんだよ。覚えていないの?」
中年の車掌は安心したように笑んだ。
「……倒れた?」
電車の中を散々走り回れば、倒れもするかもしれないが今、その疲労はない。悪寒が走るほど冷たい手で触られた足にもその感触は残っていなかった。
「あ、あの…ここは何駅ですか?」
彼女の問いに、車掌は目を丸くしたが少し混乱しているのだろうと判断したのか素直に答えてくれた。
「田路原駅だよ」
彼女が電車に乗り込んだ駅からたった三つ先の駅である。
彼女は急いで腕時計に目をやった。時計の針はすでに九時を回っている。
「学校……!」
車掌に礼を言ってから、彼女は隣に置いてあった自分のカバンを掴んで勢いよく事務室を飛び出した。
事務室は改札口のすぐ近くだった。改札口を通り抜けるとすぐに地下へと続く階段がある。
彼女は階段を駆け下りて、ちょうど着いたばかりの電車に飛び乗った。
乗車客は少なかった。
長い座席には端と端に点々と座っているだけで、喋る人もないので静かだ。
彼女はドア近くにもたれかかった。
(さっきのことは、夢だったのよ……)
しかし夢にしては臨場感がありすぎた。どちらかといえば、今、こうして電車に乗っているのが不思議なくらいだ。
彼女は少し思い出して身震いする。
薄気味悪い灰色の腕に奇妙な仮面を被った巨人。そして、誰もいなくなった電車。
彼女は辺りを見回した。
そして、息を呑む。
カタンカタンと電車は規則的に揺れている。
だが、人の姿はこつぜんと消えていた。
誰も居ない車内で吊革だけが微かに波打っている。
彼女は声を無くして、ドアにへばりつくように背中をはりつける。
その彼女の首をドアから何かが掴んだ。首をしめあげるでもなく、ただ掴んだのである。
強張る瞳に映ったのは、灰色の腕。
体温の欠片もない手に触れられて、彼女は青ざめた。
気が付けば、足、腰、顔といわず、灰色の腕が絡みついているのだ。
灰色の腕は徐々に彼女の体をドアへと引き寄せていく。
「きゃああああああああっ!」