20
「……歩美?」
瞬きする。
ソフィアが覗き込んでいた。
「……思い出したの?」
「――――……」
思い出した。
そして、歩美は瞳の性質も理解していた。
碧玉の瞳は同じ目を持つ者のことは見えないのだ。
だから歩美は首を振る。
「……そう…」
ソフィアは少し目を細めたあと、視線をアズラエル達に向けた。
状況は悪化している。
アズラエルの全身に文字が刻印されて、彼は床に倒れていた。
「忘れたのかい? アズラエル」
ラグエルは倒れているアズラエルを、それでも慎重に手をかざしたまま光の文字を手の平に収めた。
「僕がエメラルド・タブレットの破壊と共に君の監視役になった理由を」
「――――――…意識を操る術か」
倒れたまま、アズラエルはうめいた。
「今のソフィアともう一人のソフィアは意識体だからね。物理攻撃じゃ、二人とも転生してしまう」
「……ソフィア。アズラエルの眼が黒いわ…」
彼の鮮やかな赤が、今は光沢を放つような黒瞳に変わっている。
「――――アズラエルはヘブンで唯一、意識体をも殺す力を持っているから」
ソフィアはわずかに眉根を寄せた。
「……意識体を殺す? レミエルは生きていたわ」
「レミエルの抜け殻を、ラファエルが繋ぎ合わせたの」
「……どういうこと?」
「ヘブンでは、人が死ぬと意識体が体から分離する。でも、体にも意識が半分残るの。意識が本体と考えるヘブンでは、体に残った意識を残り香と認識するから、ラファエルはその残像で貴女がゲイリーと呼んでいたレミエルの擬似意識体を作ってソドムに落とした」
「―――何のために?」
ソフィアは平板な口調だった。
「私を殺すためよ」
「ソフィアを……殺すため? 同じ仲間だった!」
アズラエルの声を、ラグエルは口の端をあげただけで一笑した。
「ラファエルにとって、私は研究対象であり、それ以下でもそれ以上でもなかったのよ」
「なら、どうして殺すなんて……」
「ソフィアが邪魔になったんだ。アズラエル。君のためにね」
ラグエルは慰めるように首を傾けた。
「君がソフィアを好きにならなければ、よかったんだよ。アズラエル」
「―――…アズラエルは、その異端な力から元は私と同じ研究体だった。でも、ラファエルの助手となったことで研究チームに入った」
「研究体……」
「意識体を殺す力、というのはそれだけでも脅威よ。意識体が本体と考えられているヘブンでは尚更ね。でも、ミカエル派筆頭のラファエルが彼を自分の管理下に置くことで上層部も助手となることを承諾したの」
「……ラファエルは、もうミカエル派筆頭どころじゃない……。その権力はヘブン全体に及んでいる…」
「そうだよ。それは君がよく知っているとおりだ。アズラエル。僕は詳しい事情は知らないけれど」
「アズラエルは、能力を解放すると見境無く殺してしまう性質を持っている。だから危険視されていた。ラファエルの意識体を癒す術が彼の暴走を食い止める唯一の手段だったの。他の誰でもないラファエルだけがアズラエルを扱える……そう判断した上層部はアズラエルを研究員にすることを認めた」
「アズラエル。君の能力は素晴らしいよ。だから能力が解放される前にヘブンに送る。君の役目はここで終わりさ」
「………俺の力で何をするつもりだ…」
「ラファエルは粛清をするって言ってたけどね」
「戦争をするつもりなのよ。ラファエルは」
「戦争? ヘブンで?」
「ヘブンは戦争と陰謀の世界よ。ラファエルは政敵や敵が二度とヘブンに現れないようにアズラエルの能力で殺させるつもりなの」
「だから、まずソフィアで君の能力が転生にまで影響するかどうかを見てみたいんだってさ」
「……ラファエルは、あくまでもソフィアを研究対象としてしか見ていないのね……」
「―――……アズラエルはね…」
ソフィアは視線をアズラエルから外して、自分の爪先に落とした。
「助手として入った時は私よりも年下だった…。だから、ラファエルと私は、弟みたいに可愛がっていて…」
「それが全部嘘だと……?」
「嘘ではないさ。ラファエルも、ソフィアを本当の妹のように可愛がった。……ただ、君たちのことを知って、淋しくなっただけ」
「駄目よ。ラグエル!」
ソフィアは今までの無表情を捨てて、壁面に手をついた。
「ソフィア!」
壁に手をつけば、エメラルド・タブレットの外側と接点ができて、こちらのことがアズラエル達に知られてしまう。
だが、ソフィアは壁面を叩いた。
「アズラエルをこれ以上刺激しないで! 彼はもう、能力を目覚めさせているわ!」
ソフィアの声が届いたのだろう。
ラグエルはハッと息を呑んで、今まで停滞させていた手の平の呪文をアズラエルに向けた。
だが、
「小賢しい真似を」
低くうめいたアズラエルは、呪文を浴びたまま立ち上がる。
その目は、混沌とした昏い輝きを放って、愉しげに嗤った。